YAMADA
天童荒太さんの見た光。
対話するように書いた物語。

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目標はあるけど、
 どうすればいいんだ


※今回は、天童荒太さんのモノローグでおとどけします。
 二十代前半で、いきなり袋小路に入りこんでしまった?
 現在までのライフストーリーを聞くインタビューです。
 どの年齢の話も、真剣に、語ってくれているんですよ!
大学時代にやっていた演劇は
自己主張の強い連中たちの集まりだったから、
一公演、一公演、やるかやらないかで
けっこうもめるし、人間も固定されなかったんです。

演劇学とはいえ、それで
仕事があるわけじゃないから、
四年になると、そこそこみんな、
就職活動をはじめて離れていったりする。

むろん自分も、
「将来、どうするの?」
っていう時期を迎えるわけです。

映画の世界に行きたいという気持ちには
変わりがなかったので、
映画会社の就職試験を受けに行きましたが、
筆記に受かって
次に面接で話を聞いていると
「どうも、話が違うなぁ」と思いはじめたんです。

「映画会社の中で、
 不動産部門に移される可能性だってありじゃん!」

当たり前ですが、映画会社といっても
いろいろな部門があって、
制作にたずさわれるのはごく一部で、
しかも実作に関われるなんて
ほとんど不可能なんですよね。

だから、最終試験に残ってはいたんですけど、
もう行かなかったんです。

迷って迷って悩んだ末に、
就職は、しないことにしました。
あのときは、こわかったなぁ。
フリーターなんて言葉はなかったですしね。
プーも、まだなかったかな。

当時、
「二十代前半の、
 就職のうまくいかなかった大学生が、
 暴れて大家を刺した」
っていうニュースがあって、
アパートの大家が心配しまして。

「だいじょうぶ?」
って、ぼくの部屋に見にきた。
明らかに、ニュース見たんだなと思って……。

もちろん、親はほんとに心配してただろうけど、
十六歳の頃に、
「映画人になる」と言い出した頃のほうが、
反対されて、大変でしたからね。

それに、もう、東京に来ていたから、
「就職しようがしまいが、こっちのもんじゃい」
という気持ちもあった。

もちろん一方では、
「親には、もうしわけないけど」
と、そう思いながら、大学卒業後は、
アルバイト生活をしはじめました。

肉体労働をしたかったですね。
シナリオを書くなんて、
部屋にこもって、頭だけ使うわけでしょ。
いろんな経験もしたかったし、
よし、じゃあ市場だと。
ただあんまり魚くさいのはいやだなぁなんて、
そのへんは甘ちゃんなんですけどね。

朝五時ぐらいに起きて、
秋葉原の野菜市場で働いて、
帰ってからシナリオを書く。
そうやって、なんとかして
脚本の賞に入ろうとしていたのが、
二三歳のときです。

次に長くバイトをやったのが、
下町にあった紙の町工場で、
手をすぱすぱキリながら紙を運んで、
パネルみたいなものや
パズルとかを作る仕事があるんです。

ここはまさに中小企業の小のほうで、
現場は職人さんの世界である一方、
営業としては大企業の下請けで
ぼくも社長さんに連れられて回ったけど、
大きいところは、まさに虎の威を借りる狐で、
企業の力を笠に着て、腹をぐっと突き出し、
「おう、なんだ今日は」みたいに横柄だし。

少し自分たちより上のところは、
ねちねちいやみを言ってくる。
そのくせ自分たちのところも、
孫請けのパートさんが
集まってるようなところへは強気に出る、と。

いろいろ見せてもらって
勉強になりましたよ。
職人さんたちは本当にいい人ばかりでね。
中途採用の営業の人は妙に屈折してたりとか。
人間学習になりました。

この職場のことは今回の
『家族狩り』なんかにも出てきます。
あのバイトは、一年半ぐらいは続けたなぁ。

まぁ、そういう生活です。

バイトしながら一度、昔の仲間と新しい友人とで
ユニットを作って芝居もしましたね。
ぼくが脚本、演出、やっぱり、また照明もやって。
でも面白かった。一方で、
シナリオの賞には、なかなか、受からない。

二四歳のときに、一度最終候補に入りました。
そのときに一緒に残っていたのが、
『月はどっちに出ている』や
『愛を乞う人』を書いた鄭義信さんなんです。

その後、縁があって知り合い、
今はもう親しい友だちですから
「『シナリオ』に最終候補として一緒に残ったね」
「義信さんのほうが評価が高かったね」
って、後から、話したんですけどね。

そんなこんなで、二五歳になる。
もうとにかく、苦しいわけですよ。

外から見れば若いし、今、もしも
ぼくが二五歳の頃の自分を見たとしても、
「若造がまだまだだよ、全然焦ることないじゃん」
と思うんでしょうけど、
やっぱり、若い人にとったら、深刻でしょう?

まぁ、その頃は、精神的に、きつかった。
ほんとに、何者でもないんですから。

でも、目標はちゃんとある。
それに向けて努力もしている、つもりだと。

同じ目標を持っていながら、早くにあきらめて、
関係ない職種に就職した同級生を
何人も知っているわけだから、
自分はあきらめずにつづけているんだって、
意地というか、プライドはあるわけですよね……
そういうのって、
いちばんやっかいな存在だと思います。

「オレは、ダメ人間なのか?」

そういう気持ちにもなるわけです。
ただ、簡単であるはずがないクリエイターの世界を
目指している途中だから、
自分がほんとにダメなのかどうかもよくわからないし、
フリーターにもなりきれない。妙な時期でした。

※次回は、明日におとどけします。
 「オレはこんなことをやるために、
  十六歳の頃からがんばってきたのか?」
 とさえ思ったという体験を、語ってくれるんです。
 天童さんの言葉への感想やメッセージなどは、
 postman@1101.com
 こちらまで、件名を「天童さん」としてお送りください!





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第1部
「幻世の祈り」
第2部
「遭難者の夢」
第3部
「贈られた手」
第4部
「巡礼者たち」
『家族狩り』は5月下旬まで刊行され続けている作品です。
天童さんの言葉への反応は、件名を「天童さん」と書いて、
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インタビュアーは「ほぼ日」の木村俊介でおとどけします。

2004-05-11-TUE

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