不定期であることを宣言(?)してはじまった
この連載だが
まだ冬のうちに第2回を更新することができて、
本当によかった。
担当者として、胸をなでおろしている。

この小さな枠の中で紹介していくのは
田附勝という写真家の目玉が
そのときどきに「見つめているもの」だ。
そうする理由は単純で
それが「おもしろそう」だから。

これまで、東北の祭りや鹿猟や
夜の森の暗がりのなかに光るけものの眼や
縄文土器の欠片などに
レンズを向けてきた田附勝の目玉の先には
ここ数ヶ月、
八戸の「魚」と「その周辺」があった。
2014年の5月から8ヶ月の間、
ひと月に10日ほど
八戸の地域コミュニティの施設に泊まり込み、
周辺の「浜」を撮影してきたという。

種差海岸。
白浜、深久保、大久喜、金浜。

撮影は、今後も続けていくというが
その、ひとまずの成果が
市内にある「八戸ポータルミュージアム」、
通称はっちの1階に展示されている。

2月22日(日)まで開催されている
田附さんの写真展「魚人」が、それである。
会場の写真には「魚、そのもの」はもちろん、
沖へ向かう漁師の後ろ姿、
ウニや昆布を採る浜のオバちゃん、
食卓に並んだ焼き魚やフライ、
延縄の手入れ作業など
魚と魚食をとりまく文化や風土が写っていた。
浜の人々の暮らしや営み、歴史が写っていた。

なかでも大きく引き伸ばされているのが
「手開き」という、
昔ながらの魚のさばき方を捉えた場面。

男性の素手が、イワシの頭を千切っている。

とりわけ強い印象をあたえる写真だが
こうすることで
内臓がスルリと取り除けるのだという。
田附さんは、なぜ、「魚」を撮ったのか。

質問をもうちょっと普遍化すれば
「写真家は
 なぜ、特定のテーマを選ぶのか」
「なぜ、
 その対象にレンズを向けるのか」

答えは写真家の数だけあるのかもしれないが
田附さんは、こう言う。
田附
俺は、ただ、知りたいだけ。
知らなくて、知りたいと思うものを写真に撮る。
知りたくないものは、撮らない。
もともと、
今回の仕事は八戸市に頼まれたものなんだけど、
引き受けた理由は、知らなかったから。
お前、魚、見たことあんのかってことだよ結局。
魚って何なのか、当然、知らないわけがない。
しかしもちろん、そういう意味ではない。

田附勝という写真家は
「写真に撮る」という行為を通じてはじめて
対象の「表層」でなく「本質」を
「知る」のだろうか。いや、わからないけど。

ただ、何かのことを本当に「知る」ためには
頭の中だけじゃなく
さわったり、移動したり、味わったり、
そういう、
何かしら身体的な行為を伴うような気はする。

自分も、田附さんの「魚人」を見るまでは
魚というものを、
ここまでの至近距離では、知らなかった。

深い海から揚げられたドンコは、
圧力の関係だろう、
大きく開いた口から内臓を飛び出させていた。
田附
東京に住んでたらさ、
魚じたいを見る可能性が低いというか、ない。
八戸の海で、揚がってきた魚を見たとき、
もう、魚は魚なんだけど、勢いがすごいわけ。
満ち溢れてるんだよ。
その満ち溢れてるって感覚は、
またなんか下品な言い方になっちゃうけど、
性器みたいな感じだった。
生命の力がみなぎって、バタバタしてた。
そういう顔、つまり俺ら魚の顔を、
お前、知らなかっただろうって言われた、魚に。
釜石で鹿猟についてったときも、
鹿、撃つじゃない。鹿って鹿、野生の鹿だよ?
それまで、森ん中の鹿に個性を感じるだなんて
思ってもみなかったけど、
でも、撃たれて倒れた鹿を見おろしたときに、
こいつと俺は、
「撃つ側」と「撃たれる側」との関係性の中で
今、出会ったんだと思った。
だから今回、俺は、魚についても
それくらい思えるのかという挑戦でもあった。
それは、「思えた」のだろうか?
田附
実際、近くで見てみたらさ、
タコなんて、すげえ凶暴な顔してるんだよ。
その、凶暴で獰猛なタコを
お前、タコって呼べるのかってことだよね。
つまり、苗字あんじゃねえのかくらいの、
そのぐらいのタコだったわけ。
「思えた」ようだ。
田附
魚だからってあなどるなって、思わされる。
ちっちゃな存在かも知れないけど、
実は凶暴で、獰猛で、
俺ら人間だって、食われちゃう。
俺らは魚を食うけど、
あっちだって
場合によっては俺らを食うというか、
本来、そういう関係性の中にあったというか、
それを忘れるなというか、そんな感じ。
ところで「魚人」ってどういう意味なのか。

写真をじっと眺めていたら
なんとなく、わかったような気にはなった。
でもやはり、
ご本人の言葉で聞いてみたいと思い直して、
改めて、質問してみた。
田附
海に向かい、魚を獲り、
生命力に満ち満ちた魚を食らう。
人の体内に入った魚は
人と結合し、
人も魚もひとつになる。
そんな世界で生きている人たちのことを
俺は、「魚人」と思っている。
八戸に行った日の夜には
「はっち」でトークショーが開催された。

お相手の民俗学者、
「東北学」を提唱したことでも知られる
赤坂憲雄さんは、
このように、おっしゃっていた。
赤坂
田附くんの写真を見たとき、
不意打ちを食らわせられた気がしたんです。
僕は東北東北と言って、
たくさんの言葉を紡ぎ出してきたけれど、
たとえば、何だっけ、
こうやって抱えてるでっかい‥‥メカジキ。
あの写真の漁師の目つきなんか、
僕は、上手く言葉で表現できてなかったな。
田附さんに何か質問をすると、
言葉を尽くして、
すごい勢いで、とても真摯に、説明してくれる。

酒が飲めないのに
ときとして、酒の入った人を黙らせるほど
言葉を尽くす田附さんだけど
やっぱりそれは
「補足」であり「サービス」なのだと思う。

今回、展覧会に足を運んでみて感じたのは
受け手側のぼくらには
「写真を、じかに見る」こと以上に
田附さんのやりたかったことを「知る」方法は
ないだろうな、ということだった。
田附さんは、八戸の浜のオバちゃんたちに
「マサルちゃん」と呼ばれていた。

いまや「浜のアイドル」(!?)として
地元の人たちに愛されているという。

じつに、田附さんらしいエピソードだと思う。
そして、そうか、
その距離感で撮った写真なんだなあと思った。
大久喜に残る、ふるい浜小屋。
余談だが、その日は休日だったこともあって
東京はじめ各地から、田附さんの仲間が集っていた。
みなさんで、夜の八戸の街へ飲みに行くというので、
同席させてもらった。

大通りから、明るくにぎわう屋台街を抜け、
細くて暗い路地へと入っていく。

身をかがめなければならないほど
背の低いドアをくぐるようにして、
昭和なテイストのスナックに入る。

ちいさなカウンターに、テーブル席がひとつ。

懐かしい色あいのシャンデリア、
煤けたマリリン・モンローのポスター、
壁には有名人のサイン。

となりの席には、
田附さんの後輩だという写真家が座った。

冒頭から彼は、
「ちょっとムキになって」(後日ご本人談)、
目の前の田附さんに
写真についての考えを、ぶつけていた。

そこには
真っ直ぐなリスペクトや憧れを感じたが
今回の田附さんの写真に
どこか挑むようなニュアンスもあった。

酒の飲めない田附さんは
ホットコーヒーで、ニコニコ聞いていた。

もちろん
言うべきことは言っていたようだが
基本「まあ、お前の言うことも、わかるよ」
という態度を崩さなかった。

後日、その後輩写真家さんのお名前を
聞きそびれていたことに気づき、
田附さんにメールしたら
ほどなく、簡潔な返事が返ってきた。
田附
池田宏。応援、よろしくね。
よい写真家になると思うよ。
2時間ちかく、いたのだろうか。
店の名は「洋酒喫茶プリンス」といった。

海の魚をかたどったようなカタチをした、
ものすごくしょっぱい、
「獰猛な塩味」のあられをおつまみに
瓶ビールをけっこう空にしたと思うのだが、
お代はひとり「1500円」だった。

田附さんは最後までコーヒーだったので、
「500円」だった。

田附勝写真展「魚人」開催概要

オフィシャル写真
会期 2015年1月24日(土)~2月22日(日)
会場 八戸ポータルミュージアム(はっち)
住所 青森県八戸市三日町11ー1

展覧会のオフィシャル・サイトはこちら
八戸周辺のみなさん、ぜひ。
<いつかの第3回に、つづきます>
2015-02-13-FRI
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