谷川俊太郎、詩人の命がけ。 谷川俊太郎+糸井重里ひさしぶり対談 祝 谷川俊太郎さん、80歳!
 

第6回 主人公は誰だ。

糸井 谷川さんが1か月も推敲(すいこう)されるお話を伺って
ぼくもそういう力を持ちたいと思いました。
なぜならぼくはそれができないからです。
ものを書く人間だと思わずに
生きて、育ってきたので‥‥
谷川 うん、うん。
ぼくもそうかも。そりゃわかる。
糸井 できちゃったからできちゃった、
というところでやってきたもんですから。

なんだかぼくは、結局、
読み手としての自分が
書いてるような気がするんですよ。
言葉が生まれることと読むことが
ひっくり返しになって、
読み手が読んでることと
書き手が書いてることが
おなじになってきちゃって。
谷川 それはぼくもすごくよくわかるんだけど、
読み手と書き手が
うまくかみ合わなくて、
書き手のほうが
「やっぱり直したい」
というふうにならない?
ぼくは、それなんですよ。
糸井 ちょっとなります。
谷川 ちょっとなる。
糸井 ちょっとなるんですが、
ろくなことになんないんです。
谷川 あ、それ、ある。
推敲しながら、
これは果たして改良してるのか、
改悪してるのか、
という疑問は常にある。
糸井 でも、谷川さんは、
行ってしまうんですね。

つまりね、谷川さんは、
主語が自分じゃなくて
詩なんですよ。
主人が、詩なんです。
谷川 そうかもしれない。
糸井 以前、矢野顕子さんのドキュメンタリー映画の
タイトルの依頼を受けました。
ぼくはその映画に
「ピアノが愛した女」という
タイトルをつけたんです。
矢野顕子がピアノを選んだんじゃなくて、
ピアノが矢野顕子を選ぶ、
矢野顕子という人はそういう世界に
連れて行かれちゃったんです。
立川志の輔さんも
落語につかまっちゃった男です。
志の輔さんは、
落語に対するたのしさはあるものの、
なんでそこまでやるんだろう、というぐらい
苦しんで、ギリギリまでやる。
からだが壊れるくらいまで、落語やるんですよ。
ところが、俺はというと、
あらゆる場面で主人公が自分なんです。
谷川 うん(笑)。
糸井 奴隷になることから
逃げまくってやれ、という
気持ちすらあるんですよ。
谷川 なるほどねぇ。
糸井 そうじゃないと
ふつうの人でいられないからです。
ふつうの人というのは
ぼくの真ん中にある、軸なんです。
だけど、谷川さんの「推敲1か月」の話は、
もう、つかまってます(笑)。
谷川 自分では、そういう意識は
ぜんぜんないんだけどもなぁ。
糸井 たのしさと苦しさは、
どういう配分ですか。
谷川 ぼくは、たのしいだけ。
苦しさはない。
糸井 じゃあ、つかまってるんじゃないのかも。
谷川 ぼくは詩って、
そんなに好きじゃないからね。
書きはじめたころから
ぼくは常に詩を疑い続けているし、
いまでも、疑ってます。
でも、歳取ってきたら、
書くのがたのしい。
締め切りなんかがあると、うれしいの。
糸井 わぁ。
谷川 絶対、ずっと疑ってるんだから。
ぼくは詩とは恋愛結婚じゃなくて、
見合い結婚です。
見合いしてるうちに、
だんだん情がうつっちゃったような感じですね。

やきものつくる人が、
一所懸命ろくろを回して、焼いてみて、
だめだったら捨てる、
そういうようなこと、やってるでしょ?
推敲は、たぶんあれとおんなじ。
詩の場合はやっぱり
美しい日本語というものが
理想なんじゃないのかな。
その美しさを、ああでもこうでもないって
組み替えたり壊したりして
つくってるんだと思う。
糸井 ぼくのほうは、どっちかというと
さまになっちゃいそうなときに
すぐやめちゃう感じなんですが。
谷川 でも、糸井さんの書きものの中には、
非常に詩的なものがありますよね。
糸井 混じってますね。
谷川 うん、混じってるんですよね。
糸井さんの発想についても、
詩的な次元での発想が
ぼちぼちありますよね。
糸井 うーん‥‥、そうですね、ありますね。
谷川 自分の中の
読み手と書き手が
問答してることはあっても、
それはその人から出てきたことだから。
糸井 そこに批評家の目みたいなものが
入ってくるとややこしいですけど、
そうじゃないからなぁ。
谷川 そうですね。
批評家的な部分もきっと必要なんだけど、
ただの批評家になってちゃ、
ぜんぜんだめなんでねぇ。
言葉を直していくための
自分の基準というものが、
ないとだめなわけでしょう?
自分の基準をある程度信じてないと
直せないわけです。
糸井 そうなんです。
だけど、表現の中には、
批評されるのほうの側を向いてる、
いやなものが山ほどあって、
ぼくはそれがうれしくない。
「産直でないとだめだ!」
という気がするんですよ。
谷川 うん、絶対そうだろうね。
産直というのは、
宮沢賢治が「無意識即じゃないとだめだ」
というのと同じことじゃないかな。
糸井 そうですね。
引っこ抜いたものにみえる、フレッシュさ。
谷川 そうそう。
ぼくは詩というのは、
荒れ地から生まれるもんだと
わりと信じています。
文化的なとこから生まれちゃ
つまんないんじゃないかと思います。

(つづきます)

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2012-04-09-MON