平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。 平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。
イラストレーター、映画監督、
グラフィックデザイナー、そしてエッセイストとして、
さまざまな活躍をした和田誠さんが
2019年10月に逝去されました。

糸井重里もほぼ日も、
和田さんにはとてもお世話になりましたが、
思い出を大きく語ることをしませんでした。
ご家族をはじめまわりのみなさんもほとんど、
そうしていたのではないかと思います。

あんなに偉大な仕事を数多くのこし、
憧れている人も感謝している人も山ほどいるのに、
みんなを大袈裟にさせない「和田さん」って
いったいどんな人だったの? 

いま、たっぷり話したいと思います。
平野レミさんといっしょに、和田誠さんのことを。
第10回 なんにも言わないほうがいい。
糸井
和田さんはレミさんのこと、
そうして1年間、狙ってたんだね。
レミ
そうですって。
私は和田さんに拾ってもらって
ほんとうによかったと思う。
りっちゃん、よかったね、
りっちゃん、生まれたんだからさ。
糸井
生まれてよかったね。
レミ
よかったねー、
ほんとよかったねー。
なんて答えれば‥‥(笑)
写真
糸井
息子さんおふたりとも、お父さん同様、
レミさんのことを認めてますよね。
レミ
認めてるかなぁ。ないない。
それでいうと、特に唱ちゃんが‥‥兄がね、
変化があったようで。
兄はロックミュージシャンだから、
昔はこの母親と長男の関係を
できるだけ隠そうと‥‥。
糸井
ロックじゃなくなっちゃうからね(笑)。
でも、最近はそれが変わったようで、
母は「ヘーキ、ヘーキ」というのが口癖なんですけど、
『Heiki Heiki』というタイトルの曲を
作ったんです。
歌詞にあるメッセージは、母のことでした。
レミ
ジャケット写真もね、
ちっちゃいときの唱ちゃんと私が
公園で手をつないでるのを、
和田さんが撮ったやつでした。
写真
糸井
両親とも変わってるということを、
息子としては知っているだろうけども、
みんななかよしじゃないですか。
みんなそれぞれ、遠すぎず、近すぎず、
いい距離感だったと思います。
家で母がわーわー騒いだり
へんてこなことを言ってたりするのを、
父がいつもたのしそうに眺めていたのは、
記憶にあります。
糸井
それはいいねぇ。
他人からすると、ものすごくうらやましいです。
おもしろそうで(笑)。
レミ
わっはっはっはっは、
みんな元気なら平気平気。それでオッケーよ。
写真
糸井
理想に近いんじゃないかな。
和田さんが家では怖い父じゃなかったというのも、
重要だったかもしれませんね。
そうですね。
レミ
ふたりとも怒られることはしなかったよね。
一回だけあったかな。
ぼくがアメリカに留学していたときのことでした。
母と電話で話してて、
ぼくはもう日本の大学に戻らず、
このままアメリカに残るって言ったんです。
すると、父が電話に替わって
「お母さんがかわいそうだから、
絶対に帰ってきなさい」
とだけ言いました。



それまで一回も、
あれをやれとかこれをやれとか、
父から言われたことはありませんでした。
ここぞというそのときだけ、父は言ったんです。
ぼくは「じゃあ帰る」と言うしかありませんでした。
レミ
そうだったんだ。
はじめて聞いた。
糸井
いい話ですね。
視点が、母にあるんですよね。
「お母さんがかなしむから帰ってきなさい」って
ただそれだけ。
糸井
たまらんのう。
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レミ
そうだったの。
お父さんに言われなかったら、
いまもアメリカにいたかもよ。
レミ
私が知ってるのはね、
りっちゃんが塾に行きたいって言ったときのことよ。
中学生のとき
「塾行っていい?」「お金ちょうだい」
って言うから、お金あげて、
りっちゃんはどっかの塾に行ったでしょ。
そんで、高等学校を受験して、
ぜんぶ合格しちゃったじゃない。



それで、りっちゃんがお母さんに、
「どこの学校入ろうか?」なんて訊いてきたわけ。
「お父さんと相談するね」って、
和田さんに相談したらば、和田さんは
「なんにも言わないほうがいいよ」
と言ったの。
「なんにも言わないほうがいい、
自分で決めさせたほうがいい」
写真
それでいうと、
唱ちゃんの話もおもしろいね。
ぼくはどちらかというと
勉強して受験して、というタイプの
子どもだったんですけど、
兄はご存知のとおり、音楽が大好き。
勉強そっちのけで、
ずーっとギターを弾いていて‥‥。
レミ
そう。明日から期末試験という日にも、
夜おそーーーくに、
ギターのパンフレットをいっぱい持って
うちに帰ってきたんです。



パンフレット見せて、
「ただいま。ねぇお母さん、
どのギター買ってくれる?」
なんて言うから、
「明日から試験でしょ! 何やってんのよ!」
ってことになりました。
糸井
兄と弟でぜんぜん違って(笑)。
レミ
それで、そのまんまシーンとなって、
自分の部屋に入っちゃいました。
私は「静かに勉強してるんだな」と思って、
そーっと見に行きました。
そしたら唱ちゃん、
和田さんの古いギターをかかえて、
制服のまま、あおむけに寝てたの!
一同
(笑)
レミ
私はすぐに
「お父さん大変大変、見て!」
と和田さんを呼びにいったら、和田さんは
「これでいいんだよ」ですって。
よーく憶えてます。
写真
糸井
あああー。
レミ
りっちゃんのときと同じ。
「なんにも言わないほうがいいよ」ってね。
だから私も、そのまんま黙ってた。
そこから先、
唱は音楽の世界に行きました。



そしたら、和田さんが、
「ほらみろ」ってね。
「あれで勉強しろ勉強しろって言ってたら、
唱はつまんない人生送ってたよ」
って。
これでよかった、言ったとおりだろ、と。
ゾッとしますよ。
兄からギターを奪ったなんて想像すると。
でもふつうだったら、
そこでギターを取りあげて、
勉強させますよね。
糸井
いったんは学校入っとけとか、
いろんな言い方をしてね。
父のひと言がなかったら、
唱ちゃんはぜんぜん違う人生を
歩んでたかもしれない。
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(明日につづきます)
2020-09-10-THU
和田誠さんの「ほぼ日手帳2021」
2021年のほぼ日手帳のラインナップには
和田誠さんのイラストレーションをデザインした
カバー「時を超える鳥」と
weeks「星座を抱いて」が仲間入りしています。



「時を超える鳥」は、
和田さんが1977年より描きつづけている
「週刊文春」の表紙絵の第1作。
コンセプトは「表紙は読者へのおたより」です。
写真
「星座を抱いて」は、
2002年11月7日号の表紙絵。
和田さんが400年前の星座図を参考に
描いたものだそうです。
写真
和田誠さんのほぼ日手帳について、
くわしくは「ほぼ日手帳2021」のページ
ごらんください。

また、40年以上にわたって描かれている
「週刊文春」の表紙絵の初期作品をあつめた画集
『特別飛行便』も、ほぼ日ストアで販売しています。
※『特別飛行便』は完売いたしまして、再販売はございません。
(9月2日追記)
和田誠さんの
メッセージカードが届きます。
このコンテンツへの感想や、
和田さん、レミさんにむけたメッセージを
ぜひ「往復はがき」でお寄せください。
返信はがきに和田誠さんのスタンプ
(生前にご自身で作られたものと、
今回のために和田さんのイラストレーションで
和田さんのご家族とほぼ日が作成したもの、
ふたつのスタンプを捺します)
の返信はがきをお送りいたします。
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※往復はがきとは、
往信と返信がつながったはがきです。
必ず「往信」と「返信」の両方の宛先をご記入ください。
返信の宛先が未記入の場合、
スタンプを捺したはがきはお手もとに返ってきません。
ポストに投函するときには、
往信の宛名が外側になるようにふたつ折りにしてください。
往信はがきの裏面には、ぜひコンテンツの感想や
和田さん、レミさんへのメッセージをお書きください。
<ご注意>返信はがきの裏面には何も書かないでください。



※いただいたはがきの内容は、
平野レミさん、ご家族、ほぼ日が拝見します。
ほぼ日刊イトイ新聞で内容を公開することがあります。
返信はがきに記載された個人情報は、
はがきを返信するためにのみ使用します。



※返信はなるべくはやめに
お出しするようにいたしますが、
みなさまからいただく数によっては
時間をいただくことがあります。
また、郵便事情等による不配につきましては、
責任を負うことはできかねます。
どうぞご了承ください。
往信の宛先:

107-0061

東京都港区北青山2-9-5-9階

株式会社ほぼ日

平野レミ様



返信の宛先:

ご自身の住所、お名前



締め切り:

2020年10月7日消印有効