平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。 平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。
イラストレーター、映画監督、
グラフィックデザイナー、そしてエッセイストとして、
さまざまな活躍をした和田誠さんが
2019年10月に逝去されました。

糸井重里もほぼ日も、
和田さんにはとてもお世話になりましたが、
思い出を大きく語ることをしませんでした。
ご家族をはじめまわりのみなさんもほとんど、
そうしていたのではないかと思います。

あんなに偉大な仕事を数多くのこし、
憧れている人も感謝している人も山ほどいるのに、
みんなを大袈裟にさせない「和田さん」って
いったいどんな人だったの? 

いま、たっぷり話したいと思います。
平野レミさんといっしょに、和田誠さんのことを。
第2回 みんなジーパンでいいよ。
糸井
じゃ、座りましょうか、
座って話しましょう。
レミ
そうね、座りましょう。
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糸井
今日は率さんも来てくださって。
暑いなか、ありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。
ぼくは、母の通訳係として、一応。
写真
糸井
率さんは、弟さんのほうだよね。
兄が和田唱で、ぼくは弟です。
父がこうなってしまうとき、
糸井さんにはほんとうに
いろいろ相談に乗ってもらって、
その節はありがとうございました。
糸井
秋に亡くなって、
そのあとコロナウイルスがあって、
いろいろ予定が変わりましたよね。
レミ
ほんとにね。
糸井
こういうつもりじゃなかったですよね?
レミ
3月に予定していた「和田誠を囲む会」も、
結局できなくなりましたよ。
糸井
その‥‥つまり、和田さんの
「控えめにしたい」という意志は、
十分に伝わっているんですよね、我々には。
レミ
ひょっとしてコロナも和田さんが
持ってきたんじゃないかと思うくらいです。
糸井
和田さんは、みごとに静かに、
下がっていく。
こんなこと、ありえないですよね。
和田さんは、みんなが偲んで、
大騒ぎするのがいやだったんでしょう。
写真
レミ
ほんと、そう思います。
去年の秋、和田さんが亡くなっちゃったあとすぐ、
テレビ局で和田さんの特集みたいな番組を
やってくださることになったんですけど、
あの10月、台風がすごかったんですよ。
糸井
ああ、そうでしたね。
レミ
その番組は結局台風で飛んじゃった。
和田さんはああいう派手なことが
ほんとに嫌いだからね。
3月3日の囲む会もコロナウイルスで飛んじゃって、
和田さんらしいなと思いました。
結局、ちゃんとお葬式もしなくて、仏壇もないの。
糸井
仏壇、ないんですか。
あ、通訳入ります。
厳密には、和田家なりの
ちゃんとしたお葬式はやっていて、
仏壇らしい場所もあります。
レミ
一応ね。
ふつうの仏壇って、
お線香やろうそくがあって、
とっても死んじゃったみたいで
悲しいじゃないですか。
そういうの、和田さんが好きじゃないと思うから、
いつも使ってたテーブルの上に、
篠山紀信さんが撮ってくださったいい写真を
飾ってるんです。
そこに谷川俊太郎さんの
直筆の詩も置いてるんですよ。
写真
糸井
谷川さんの。
レミ
朝日新聞に掲載された、和田さんに向けた詩です。
和田さんの絵といっしょに、活字になって
新聞に刷られていました。
私は新聞を見て
「えっ、うちの夫のことが書いてある、
谷川さんの詩が載ってる!」
って、びっくりしちゃってね。



やっぱりね、
和田さんは仏壇もないし、何もないけども、
谷川俊太郎さんの詩は喜ぶんじゃないかと思ってね。
それで先生のところにうかがって、
先生、うちの夫の新聞の詩を、
先生の直筆で書いていただけませんか、と
お願いしたんです。
いいですよって、すぐ書いてくださって。



篠山さんの写真があって、
まわりにお花がいっぱいあって、
谷川俊太郎さんの詩がある。
ただそれだけ。
写真
糸井
ああ、いいですね。
レミ
和田さんが亡くなったときも、
みんなジーパン姿でした。
亡くなった和田さんも
ふだんどおりTシャツ着てました。
糸井
みごとだなぁ。
お別れも、よかったよね。
地元の小さな葬儀場で家族だけが参列したんですが、
みんなジーパン姿でした。
父がジーパン大好きだったので。
レミ
みんなでスニーカー履いて、
音楽は和田さんが好きだったジャズやシナトラ。
ガンガン流して。
顔の横には、和田さんが大好きだった料理を
私がたくさん作って
重箱に詰めて置いてあげました。
糸井
それをさせたのが、父である和田誠さん。
これ、なかなかできることじゃないですよね。



「亡くなる」ということは、
自分のものにはならないんだ、と、
ぼくは吉本隆明さんから聞きました。
死はまわりが決めるものだから、
自分はなんともできないんだと、
吉本さんはおっしゃってたんです。
そのときぼくは、
たしかに死は自分のものじゃないなと、
すごく納得しました。



けれどもいまの話聞くと、
和田さんはご自身の死のあとまで
参加してますよね。
レミ
ふっふっふ。してる。ホント、ホント。
写真
糸井
できないことだわ。
レミ
近くでみんな真っ黒の服を着てるところに、
うちだけジーパンとスニーカーだから、
焼き場の人もわかっちゃってね、
遅れてきた家族も
「あちらでございます」なんて、
すぐに和田家のとこに案内してもらえちゃう。
糸井
はぁああー。
レミ
ほんとに和田さんは、よかった。
ちょっと変わってますが。
糸井
すごいねぇ。
もともと父は、
お葬式に参加することじたい、
あまり好きではなかったんですよ。
むかし父と一緒にお葬式に参列したとき、
途中で「帰ろ」と言われて焦ったことがあります。
それくらい、父はあの空気が苦手だったんですね。
糸井
それはよくわかる、うん。
それを知ってたもんだから、
亡くなってすぐ、病室でみんなに提案しました。
「家族だけでいいよね。喪服は要らないよね」
「お父さんのお葬式だったら
こうだよね、こうだよね」と。
ロックミュージシャンの兄だけ
「喪服なし? マジ??」と言ってたのが
印象的でしたが、
その場でぽんぽんぽん、と意見が一致して。
レミ
「喪服はみんなジーパンでいいね」
しかもみんな、ぼろぼろのジーパン(笑)。



だけどね、私が、
ちょっと眠れないほど
考えちゃったことがあって。
それはお墓のことなんですよ。
写真
(明日につづきます)
2020-09-02-WED
和田誠さんの「ほぼ日手帳2021」
2021年のほぼ日手帳のラインナップには
和田誠さんのイラストレーションをデザインした
カバー「時を超える鳥」と
weeks「星座を抱いて」が仲間入りしています。



「時を超える鳥」は、
和田さんが1977年より描きつづけている
「週刊文春」の表紙絵の第1作。
コンセプトは「表紙は読者へのおたより」です。
写真
「星座を抱いて」は、
2002年11月7日号の表紙絵。
和田さんが400年前の星座図を参考に
描いたものだそうです。
写真
和田誠さんのほぼ日手帳について、
くわしくは「ほぼ日手帳2021」のページ
ごらんください。

また、40年以上にわたって描かれている
「週刊文春」の表紙絵の初期作品をあつめた画集
『特別飛行便』も、ほぼ日ストアで販売しています。
※『特別飛行便』は完売いたしまして、再販売はございません。
(9月2日追記)
和田誠さんの
メッセージカードが届きます。
このコンテンツへの感想や、
和田さん、レミさんにむけたメッセージを
ぜひ「往復はがき」でお寄せください。
返信はがきに和田誠さんのスタンプ
(生前にご自身で作られたものと、
今回のために和田さんのイラストレーションで
和田さんのご家族とほぼ日が作成したもの、
ふたつのスタンプを捺します)
の返信はがきをお送りいたします。
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※往復はがきとは、
往信と返信がつながったはがきです。
必ず「往信」と「返信」の両方の宛先をご記入ください。
返信の宛先が未記入の場合、
スタンプを捺したはがきはお手もとに返ってきません。
ポストに投函するときには、
往信の宛名が外側になるようにふたつ折りにしてください。
往信はがきの裏面には、ぜひコンテンツの感想や
和田さん、レミさんへのメッセージをお書きください。
<ご注意>返信はがきの裏面には何も書かないでください。



※いただいたはがきの内容は、
平野レミさん、ご家族、ほぼ日が拝見します。
ほぼ日刊イトイ新聞で内容を公開することがあります。
返信はがきに記載された個人情報は、
はがきを返信するためにのみ使用します。



※返信はなるべくはやめに
お出しするようにいたしますが、
みなさまからいただく数によっては
時間をいただくことがあります。
また、郵便事情等による不配につきましては、
責任を負うことはできかねます。
どうぞご了承ください。
往信の宛先:

107-0061

東京都港区北青山2-9-5-9階

株式会社ほぼ日

平野レミ様



返信の宛先:

ご自身の住所、お名前



締め切り:

2020年10月7日消印有効