第14回 前へ進むための学問。

──
これまでのお話で、真理を絶対視しないとか
お互いに認め合うみたいな態度からすると
構造構成主義って
どちらかというと
「相対主義」的なんだろうなと感じたのですが、
その点は、どう考えていますか?

ようするに
「どっちもいいよね」で終わらないために、というか
構造構成主義と「絶対主義」との関係性、というか。
西條
前提として、ある「特定の正しさ」の上に
成立している考えかた、つまり「絶対主義」って
「ちがう正しさ」の上に成立する考え方と
対立してしまうという意味で、限界があります。

たとえば「科学主義」というのは
「科学は絶対に正しい」という学問的態度です。
──
ええ。
西條
近代には「科学万能」の時代がありました。

でも現代では、公害やら放射能の問題やら
いろいろ出てきて、
そういう考えかたも、だいぶ相対化された。
──
はい。
西條
絶対性を主張するような
モダニズムの考え方が流行し終わったあと、
反対側にふれたからです。

大雑把に言えば
それが「ポストモダン」だったわけですが。
──
ようするに、相対主義的な考えかたが
勢いよくなってきた、と。
西條
相対主義の登場というのは
ある枠組みが絶対だと思っていた人たちを
びっくりさせる効果がありました。

「世の中、
 絶対的なものが正しいと思っていたけど、
 そんなことないのか‥‥」と。
──
でも、そんな「相対主義」を突き詰めていくと
「すべてを相対化する」という
姿を変えた「絶対主義」になっちゃいますよね。
西條
そう。

ですからぼくは
「相対化したあとに何が残るんだろう」
というところを
出発点にしなきゃならないと思っています。
──
なるほど。
西條
相対化しただけでは、解決法は得られないから。
──
たしかに。ぼくも西條先生も、
西洋的な価値観が絶対だとは思っていない
世代だとは思うんですが、
それでも、
発展途上国の文化のほうが優れているんだと
無条件に持ち上げる考えかたは
なんだか、ちょっとちがうような気がして。
西條
わかります。

安易に「価値を倒錯させる」という方法には、
僕も、直観的に違和感があります。

やはり、模索されるべきなのは
そう主張することで
「あとに何が残るんだろう」と考えること。

「それは
 本質的な解決をもたらしているだろうか」
と問い質すことではないかなと思います。
──
指針として「あとに何が残るか」を考えるって
いま、かなり納得しました。

どっちもいいじゃんといって終わり‥‥じゃあ
対立や問題は解決しないですもんね。
西條
医療の現場なんかは、典型的ですよね。

近代の絶対主義的な考えでは
お医者が偉いんだから
患者は、唯々諾々と従うしかなかった。

でも今は、セカンドオピニオンなどの
考えかたも普及して、
患者の言い分も認められるようになりました。
──
つまり医者の権威の相対化、ですね。
西條
しかし、医者の権威を完全に相対化して
「患者至上主義」になったら、
さっきと同じで、それは別の絶対主義です。

そして、専門知識を持っている医者と
持っていない患者とが
「病を治す」という「目的」に対して
対等に振る舞うことが
本当に最善の「方法」なのだろうか‥‥
とうことも、考えなければならないでしょう。
──
つまり、構造構成主義は
絶対主義でもなく、相対主義でもない?
西條
構造構成主義は、その間を通そうとしている。

絶対的な正しさ、みたいな存在に依拠せず、
多様性を前提としながらも
悪しき相対主義の「何でもあり」にならずに、
前に進むためにはどうしたらいいか。
──
なるほど。
西條
その、か細い隙間で理論を紡いでいったのが
構造構成主義なのかな、と。
──
今の話って、現代思想の根本問題ですよね?
西條
そう、根本問題ということはつまり、
どこの分野でも同じような問題が起きている。

それらの問題を解決する理路を提供できたから
構造構成主義は
さまざまな分野の研究者に道具として用いられ
これまでに
200以上の論文や著書が生み出されて‥‥。
──
うわ、そんなに。
西條
いえ、まだまだぜんぜん足りてないです。

さらに大きな道を拓けるよう、
もっともっと、磨き込んでいきたいです。
──
そう思われますか。
西條
構造主義は「前へ進むための学問」なので。
──
西條さんにぴったりの表現だと思いました。
前へ進むための学問、というのは。
西條
そうしないと、何も解決しませんから。
<つづきます>
2014-10-09-THU