TAKEMURA
「京都いろは広告塾」での
竹村真一さんとの対談。
釣りをはじめてから、ひとりでどこでも行くくせがついた。
テレビ出演の時とかは、
マネージャーという人がいないとヘンに見えるみたいだが、
そのマネージャーが同じ時間に別のことをしていたほうが、
いいと思うので、たいていの場合は、
ひとりでクルマをころがして、
ひとりで「おはようございます」とか言って、
終わったら帰ってくる。

でも、たまに、斎藤さんが付いてきてくれると、
思わぬ副産物が収穫できることがある。
京都での寺子屋の授業・対談を、メモしておいてくれたのだ。
そのままでは、もったいないのでここに載せることにしました。

インターネットはジグソーパズルだ。と
竹村真一氏は言った。
私たちはみな、ジグソーパズルのピースの一片である、と。
ひとつひとつのデコ(凸)とボコ(凹)が
自然にそれぞれ組み合わさって、
ひとつの全体を形作る。
ピースひとつもそれ自体なにかの意味を持ちながら、
なおかつ全体でひとつのコンテクストを形成している、
それこそがインターネットの宇宙なのだ。

『京都インターナショナルアカデミー』は、
ほんとの学校じゃない。
でもここで行われる「広告塾」や「イラスト塾」では、
学校で教えてもらえないたくさんのことが見たり聞いたりできる。
何かを得たい、つかみたい、
そんな気持ちで集まって来るおとなたちのために、
この学校はある。

糸井重里はもう何年も(10年くらいかな)
ここの「広告塾」(昔はコピー塾といってたのだけど、
いつのまにかコピーには限定されなくなったっけ)の
講師を勤めている。
一年に2回、春と秋、糸井は京都に向かうのである。
春の講義はいつもゲストを招いての
対談形式で授業を行うことになっている。
今までにご一緒していただいた方はえのきどいちろうさん、
吉田戦車さん、さくらももこさん、柴門ふみさん、
大槻ケンヂさん、任天堂の宮本茂さん、
ゲームソフトを一緒に作っている
ハル研究所の岩田聡さんなどという顔ぶれ。
毎年の人選にあたって糸井が望むことはいつもひとつ、
「いま、いちばん会ってはなしをしたいひと」である。
そして今年、いつものようにアカデミー事務局の阪部さんから
「どなたにいたしましょうか?」と尋ねられた糸井は即座に答えた。
「今、自分がもっとも会いたいひと、
それは今の自分のいちばんの興味である
インターネットの可能性を感じさせてくれるひとである。
具体的に名を挙げるとまず竹村真一さんですね、
ぜひお誘いしてみてください。」

それから2日と間をおかずに竹村さん
ご快諾の朗報を得た糸井は言った、
「食べ物と釣り以外で京都にいくのも、楽しみなもんだね。」

<学ぶとは何か>
6月11日午後6時35分、授業は静かに始まった。
イトイ 「今日はまず自分のことから話そうと思います。
自分は広告屋として腕のいい職人であることを
自負していた。
自分にしか出来ない表現をみせることで、
自分が在るという思いがあった。
けれどもバブルははじけて、世の中のしくみやものの価値が
大きく変わったことを仕事を通して痛感させられました。
表現という『研ぎすまされた能力』が
『システム』に組み込まれるとき、
自分の在るべき『場』はなくなってしまうだろうと感じた。
自分に限らず、今在る場所でどんなにがんばっても
その意味が無化されてしまうという直感があった。
それでも『希望』をもって
自分が生きていくために必要なことは何か。
今、自分にその答えを見せてくれているのが
インターネットなんです。
インターネットを通して
『誰もが誰かのつくったものを受け取れること』
を知りました。
たぶん今日は『学ぶとはなにか』ということについて
竹村さんと話して行くんじゃないかと思います。」
竹村氏 「糸井さんからこれに先立って声をかけられたのは
『RRR』を紹介されたときです。
顔もしらない4人がインターネット上で
オリジナルのジーンズをつくりあげていく過程を知って、
ひじょうにおもしろいと思った。
これをみてもわかるように『経験資源」としての
体験情報のコレクションが、
今までの社会では生かされる場がなかったのですね。
『おたく』といい片付けられていた。」
イトイ 「ちょっとまえは『コミケ』がそうでしたね」
竹村氏

「それぞれの人間が持っているリソースを、
日本(社会)として生かせない構造になっているのですね。
その、社会的にみて未使用の
経験資源=『コンテクスト(文脈)』が、
インターネットで はとても
大きな意味を持つものであったんです。」
「例えれば『他人のふりみて思い出す自分』の面白さ、
とでも言おうかな、ふだん気づかない自分の『暗黙知』を
お互いに引き出し合う面白さ。相互触媒しあい、
それぞれが部分であり全体であること。」

<属人的であること>
竹村氏

「日本人って『私の箸』『私の茶碗』というように、
私の=MY〜な意識が非常に強いのですね。
それを「人に属する=属人的」と言います。
個人個人がもっている、未使用のままのリソースを
インタラクションさせることで
新しい経済のパターンが生まれました。」

イトイ 「例えばコンビニに置かれている商品を考えると、
100人のうち50人、80人が求めるものだけが残り、
多くの商品はそのうち棚から消えていってしまう。
そうやって世の中から『多数じゃないもの』が
なくなっていく。
でも商品という『物体』では作れなくても『情報』でなら、
100人のうち3人しか欲しがらないものでも
つくれるんだね。」
竹村氏 「中央統制もされず、地域の影響も受けずに、
ひととひととのつながりのなかで
『属人的』な情報がやりとりされ、
関係がつくられていくのがインターネットなんですね。 」
<インターネットの可能性>
竹村氏

「僕はインターネットがとても日本人向きの
コミュニケーション方法なんじゃないかと思うんですね。
面とむかって他人と向き合わなくていい、
横向きながらでいいなんて、
まさに日本人にぴったりじゃないかとね。」
「日本には『連歌』の発想があるでしょ。
松尾芭蕉はまさに連歌の有能なプロデューサーだった。
すべて言い切らない、上の句だけでひとに委ねて
つぎつぎに歌を足していく手法、『舌足らず』の表現は
インターネット的だなあと思うのですよ。
そういった『伝統』として我々が持っている
コミュニケーションのとりかた=『日本のリソース』
を生かしていくのも、興味深いですね。 」

イトイ 「なるほど、それは気づかなかったなあ。面白いなあ。」
竹村氏 「アメリカの大学では
『クリエイションよりもコラボレーションだぜ』
という言い方があります。
つまりはひとりで出来るすばらしいことよりも、
共同作業のほうがより価値あるものだ、
という考え方ですね。」
イトイ 「まったく、そうですね。
たとえば高校の試験なんかでも、カンニングOK、
辞書、参考書、なんでも持ち込みOKの試験にするべきだと
思うんですよね。
あらゆるものをつかっていいから、そのなかで自分の答えを
出していく能力こそ大事なんじゃないかと。」
竹村氏 「そうですよね、カンニング能力が問われる時代だと
思います。
いかに上手にカンニングするか、
そのときにだれのものでもないなにかが
生まれるのですから。」
<デジタルって>
竹村氏 「いま盛んに論議されている『遺伝子操作』について
いえば、人間の遺伝子を分析していくと、
どうも全体のうちヒトにかかわる部分の遺伝子って
わずか3%しかないことがわかってきたんですよ。
残り97%はまったくヒトに関係ない遺伝子、ムシとかね、
ヒト以外の遺伝子らしんですね。
で、それをヒトはずっと抱え込んだまま今に至っている。
ヒトとして必要ないものなんだったら、
そのうち 淘汰されたりしていきそうなものなのに、
まるまる抱えている。
そのうちヒトがヒト以外に進化するとき、
その遺伝子が何か重要な働きをするんじゃないか、とね、
そのときに備えてるんですね。 」
イトイ 「言えてますね。進化の契機って
『事故』がひき起こしたものじゃないですか。
事故にあうとそのことで活き活きするんですね。 」
竹村氏 「その意味では、デジタルなもののほうが
あいまいな許容性は高いんです。
0と1、まるで有るか無いか、
みたいに思われがちだけどそうではないんです。 」
イトイ 「デジタルが変化して事実がそれを追いかけていく。」
「僕はデジタルについてちょっと前までは
ちゃんと捉えることが出来なかった。
でも思ったんです。
たとえば地球が出来て45億年とかっていいますね。
45億年と40億年のちがいの5億年という年月を
ちゃんと把握することは出来ないんですよ。
さらに40億年と100年を比べることも
ほんとには出来ない。
いわば『比べようのない世界』です。
でもわからなくても使うことが大事だと思ったんです。
身体でわかれないことでもちゃんと
意識として持とう、って。 」
<ブリージングアース(呼吸する地球)>
イトイ 「ここで竹村さんの『sensorium』という活動を
紹介します。
  (http://www.sensorium.org/)
世界中の地震計をリアルに表示するデータベースを用いて
数値の羅列ではない表現を、と考え出されたのが
『BREATHING EARTH(呼吸する地球) 』」
竹村氏 「これを見ると地球が『浮動する大地』であることが
わかります。
わたしたちは(とくに日本人は)水の上に浮かぶ
『いかだ』のうえに住んでいるようなものなのです。
まさにこの世は『浮き世』です。」
イトイ 「なるほど、『浮き世』ね。」
竹村氏 「地球上にひっきりなしに起きている地震を、
インターネットでしか見られない表現にしたわけです。
インターネットでしか見られない地球の姿です。
ただし、単にグラフィックとしてだけ捉えられては
困ります。
あくまでも、世界中の地震計から送られて来る
リアルタイムデータベースがあって、どんな田舎の、
どんな小さな地震計が示すデータも
ひとつひとつに意味があって、
それをこういうかたちで表現しているわけですから。 」
イトイ 「話は飛ぶけど、僕は『江戸』の浮き世が好きで」
竹村氏 「ぼくも江戸という都市は好きです。」
イトイ 「あんなに江戸のひとたちがさっぱりしていられたのは
火事で家がなくなっちゃうという
前提があったからじゃないかと思うんだけど。」
竹村氏 「江戸時代ってね、『モバイル社会』だったんですよ。
御伊勢参りだの、参勤交代だのと、
あれこれ理由をつけては『根無し草』になれる、
社会がそれを制度として用意し容認していたんです。
火事というのは、焼き畑農業も山火事も
意味としては同じですけれど
『ゼロリセット』なんですね。
そして再生のプロセスを歩み、森は多様化するのです。
それを社会が用意していたのですから、江戸時代は。 」
イトイ 「政治が『グランドデザイン』と呼ばれるゆえんですね。」
<インターネットの本質>
竹村氏 「さきほどの遺伝子の話でもそうですが、
何が役に立つのか分からないのに今の価値判断だけで
ものの有益、無益を決めて、
無益なものを削除することの貧しさを思うと、
インターネットではどんな小さなものにも
価値があることがわかります。
ジグソーパズルのピースのひとつひとつに意味があり、
それがひとつ欠けてもパズルは完成せず、
完成したときにその全体が見渡せて、
全体のもつ意味があらためて見えて来ます。
そしてそこには必ず人間の存在があります。
それがなければ、
インターネットも単なる情報砂漠にしか過ぎません。
抽象的なホームページなんて有り得ないのです。
それは必ず属人的なもので、
人間が大きく介在しているのです。」


時間がきてしまった。もっともっといろんな話を聞きたい、
とその教室にいた誰もが思った(と思う)。
授業の半ばで生徒にむかって
「インターネットをやっているひとは?」
と挙手を求められたとき、手を挙げたひとは
そのうちの1/3くらいだったろう。
この授業を聞いたあと、
何人のひとがコンピュータを買いに走るか、
何人のひとがプロバイダーを探し始めるか、
その後の様子を知りたいと思った。
『ほぼ日刊イトイ新聞』も、ぜったいに存在する意味を持つのだ。
誰かがどこかでこのホームページを読んでいるのだから。
いやそれよりも
我々がこのホームページをつくりたかったんだから。

竹村先生、お忙しいなかを京都までおいでくださって
ほんとうにありがとうございました。
こころから御礼申し上げます。

(文責 斎藤ゆかり)

竹村真一さんへの激励や感想などは、
メールの表題に「竹村真一さんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

1998-06-28-SUN

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