竹籠屋 五代目 奮闘記

たけ あけび ぶどう くるみ いぐさの かごや どうぐや 市川商店たけ あけび ぶどう くるみ いぐさの かごや どうぐや 市川商店

東京・南千住にある、明治から続く
「暮らしの竹かご屋 市川商店」。
関東を中心に、日本各地の、
「あらもの」と呼ばれる
生活雑貨としてのかご製品を中心に扱うお店です。

その若き当主が、市川伴武さん。
(バンブーさんじゃありませんよ、ともたけさんです。)
市川さんは、20代から海外で
日本語を教える仕事をしていたのですが、
いまから3年前、31歳のときに、訳あって、
突然、実家のかご屋を継ぐことになりました。

100年以上続いた家業とはいえ、
その気のなかった本人は、まったくの不案内。
いざ継ぐ決意をして知ったのは、
高齢化によって廃業してしまう
竹の職人さんが多く、
だんだんと使う人も減っている、
ということでした。
「竹」にかぎらず、各地に残っている
その土地の植物を使ったいろいろなかご製品も
おなじ運命のようでした。

かつては、用途別に、
数え切れない種類のかごがありました。
(たとえば「あずきを洗う」ためだけに
うまれたかごもあったそうです。)
けれども、戦後、生活文化の変化や、
プラスチックの普及とともに、
だんだんと先細っていった、日本のあらもの。
そして少しずつ消えていくように見える、手仕事の世界。
そこに「えいやっ!」と飛び込んだ市川さんは、
体当たりで、おもしろがりながら、
「その先」を模索しています。

縁あって、市川さんの仕事を知った「ほぼ日」は、
市川さんの「いま」を伝えるとともに、
販売というかたちでお手伝いができたら、と思いました。

6月9日(金)からはじまる
TOBICHI2での展示販売会
「たけ あけび ぶどう くるみ いぐさの 
かごや どうぐや 市川商店」
に向けて、市川さんに、お話をうかがいました。

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その2海外赴任から突然の帰国。

店を継いだのは、3年前です。
今34歳ですから、31歳のときですね。

私はもともと日本の日本語学校に勤めていて、
継ぐまでは4年ほど海外で仕事をしていました。
日本語教育の仕事です。
外国の方に日本語を教えたり、
教えるだけじゃなくて、
そういうプロジェクトを統括するような。

最初は南米のパラグアイに行きました。
パラグアイには日系人の方がたくさんいるんですよ。
戦前にも戦後にも、
日本の国策として計画移住があったんです。
パラグアイの南部のピラポ移住地というところに、
2年、いました。
JICA(国際協力機構)の
日系社会青年ボランティアとして行ったんです。
勤め先の社長が有給休職というかたちにしてくれて、
行かせてくれました。

で、日本に戻ったら、
今度は会社が請け負った
ベトナムの国家プロジェクトがあると。
EPAという、経済連携協定がありまして、
その中で、経済だけじゃなくて、
日本とベトナムの、人の移動っていうことがあって、
看護師・介護福祉士の研修生として
日本に受け入れる候補者たちに
日本語教育をすることになりました。
それで、ハノイに、足掛け2年ほどいました。

店を継ぐきっかけは、
赴任中に、父が危篤になったことです。
急いで帰ってきてみたら、
この店、もう、なかば倉庫みたいになってたんですよ。

人が動けるスペースはなんとかありましたけど、
ほんとに半分くらいはもう、人が入れない領域で、
うず高くダンボールが積まれて。

私には兄がいますが、
ほかの仕事についていましたから、
父が病院からもどるまで、私が何とかつなげよう、と。
勤め先には無理を言って、
しばらく店をやらせてもらうことになったんです。

それまで、店の仕事は、
父がひとりでやってるようなものでした。
母もいましたけれど、
経理をちょっとやったりっていう
サポートという感じだったんで。
現実的な、竹の仕事、配達、役所関係の手続きとか、
とりあえず、父が復帰するまでつながなきゃいけない。
最初は、そういう気持ちでした。

ですけれど、
私が帰国したのが6月下旬で、
父は9月に亡くなっちゃったんです。

仕事のノウハウを引き継ぐ時間は、
ありませんでした。
しかも父、入院中も
ほとんどしゃべれる状態じゃなかった。
だから何か聞くとしても筆談とか、メールでした。

メールも、なんとかギリギリ使えたんですけど、
長文は無理だったんです。
だから、
「この人からこんな注文来たけど、どうするの?」
って聞くと、
「どこそこに行け」とか、
「何とかさんに聞け」とか。
その短いメールが届く。それを理解するわけです。

父が亡くなる前に
自分の好きなように店をやっていいか、
たずねたことがありました。
すると「俺の目が黒いうちはそんなことさせねえけど、
もう俺は目、黒くないから好きにしていいぞ」と。

父と同じことだけやれと言われたら、継いでないです。
この父の言葉を聞けたからこそ、
今、せいいっぱいできています。
思ったより、この世界が奥深く、おもしろいので、
父の時代とはいろいろ違いますが、
この店をベースに、竹や、かご、ざるなどの
編組品の業界を思いっきりやって
おもしろいと思う方向に
どんどん進んでいこうと思っています。

竹の枝をつかったボールペンと、 市川商店オリジナルの竹のものさし。

(つづきます。)

2017-06-08-THU

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