かっこいい、 草刈さんと周防さん。
最終回 行けば行くほど自由。
周防 草刈、よくしゃべるでしょう?
糸井 いや、想像はしてました。
周防 あ、してました?
草刈 (笑)
糸井 踊る人って、
わりとロジカルなんですよね。
草刈 スポーツ選手もそうじゃないですか?
糸井 スポーツ選手も
しゃべれる人は多いですね。
草刈 体というのは、筋肉も関節も
すべて役割があって
機能がはっきりしているものですからね。
それを理解し出すと、その理屈に合わせて
順序立てて作っていくことになるんです。
体の治療もそうで、
どこがどう痛いか自分で理解して
説明できないとちゃんと治すことはできない。
それがわかればわかるほど、
ピタッとはまる治療にたどり着きます。
糸井 でもいまは、
女優さんのお仕事が
どんどん増えているでしょう?
周防 草刈が『Shall we ダンス?』の最後で
「Shall we dance?」という
台詞を言うところがあるんです。
あのとき、
「自分で気持ちいい間(ま)を作ってから
 台詞を言ってください」
と指示したのに、
ためずにすぐ言っちゃうんですよ。
草刈 (笑)
周防 いつも音楽の間(ま)で踊ってるから、
役者が勝手にいくらでも粘っちゃえるような
自由自在な間(ま)がないんですよ。
糸井 ない。
周防 何回やってもすぐ言っちゃってた(笑)。
草刈 いままでは全部に音があったので、
そこの間(ま)のやりとりで
緩急をつけていたわけですが、
台詞だけのやりとりで緩急をつけるみたいなのは
ちょっとまだ実は、苦手。ためられないんです。
糸井 音楽の小節を割っている
記号まで体に入っている感じですね。
草刈 そうかもしれません。
周防 まぁ、ローラン・プティをはじめ
いろんな厳しい人の中でやってきたので
演劇的センスは
磨かれてると思いますけどね。
糸井 そうですねぇ。
だって、カメラの前に立つのは平気でしょ?
草刈 ああいう巨匠と稽古すると、
ほんとうに何でもできなきゃだめという
気にさせられます。
だから、カメラの前で、
何でもできなきゃいけないという
気持ちの据わり方はあると思います。
そこがいちばん大事かな、という気もする。
できないかもしれないけど、
やらなきゃいけない! みたいなところ。
わりと強引に女優の仕事をはじめちゃって、
なんとなくやっちゃったのは、
その太さでしょうか(笑)。
糸井 うんうんうん。
要するに、音楽がはじまったら、動き出す、
そういう人になってるんでしょうね。
草刈 そうです。
糸井 肉体を使ってる人は、
人間としてすごいですよ。
草刈 私の体型は、日本人としては
バランスが取れているほうで、背も高いけれども、
外国人と並んじゃったら、
通用するぎりぎりのところにいました。

やはり、踊りの精度を高めるしかなかったですね。
すべてを最大限にやって、
「どうだ」と言えるものを身に着けないと、
外国人と並んで踊ることはできなかった。
糸井 弱みがある人の強みですね。
草刈 外国の一流の人たちと比べると、日本人は
子どものときに身につける基礎力の質が
全く及びません。
それを考えると、ほんとうに
克服しなくちゃいけないことが
たくさんありました。

でも、私が最後に思ったのは、
いくら一流の学校を出ていても、
発想力がない人はそれ以上にはならないし、
最後は個人の問題だなと思いました。

だって、ローラン・プティの作品だって、
私たちが初めて、
牧バレエ団(牧阿佐美バレエ団)で
上演したときには、
「日本人にはローラン・プティは踊れない」と
言われていたんですよ。
でも結局、最後は『ダンシング・チャップリン』を
制作することにたどり着いてしまった。

個人がどれだけ突き詰めていくかで
克服できることは、あると思います。
でもやっぱり、環境には邪魔されがちでもある。
私はそういうことにちょっと
恨めしい思いがあるので
「邪魔されない、邪魔されない」と言い続けて、
闘ってきた結果、ここまで自分がこれたという
実感があるんです。
糸井 次の世代の人たちは
もっと行けるということですか?
草刈 ほんとうはそうです。
例えばこういう
『ダンシング・チャップリン』ってね、
こんなのなかなか映画にしづらいじゃないですか。
でも、こういう題材を映画にして、
こんな作品ができたということがあれば、
映画を作る人たちにも、もっと
「あ、なんでもありかな」って
思ってもらえると思う。
糸井 そうですね。
草刈 映画監督でも踊る立場でも、やりようによって
その人なりに行きつく所が
絶対にあるはずです。
私がいちばん言いたいことは、
もしかしたらそういうことなのかなぁって
思うんです。
糸井 うん‥‥なんだろうね。
「自由なんだよ」っていうことを
人は忘れちゃうんですよね。
草刈 はい。行けば行くほど自由なんです。

外国でも、こんなふうな形の
踊りの映画ってないし、
そんなものに主演したダンサーは
いないわけです。
いろんな制限がある中で
ぶち壊しぶち壊しやってきた結果、ここにいる
という感じがいまはしています。
糸井 うん。そして、自由な映画のすべてを
繋げてくれた全体の仲人、
すばらしい接着剤になってくれたのが
チャップリンでしたね。
周防 はい。まったく、そうです。
糸井 チャップリンだからということで、
振付もできてたし、映像への転換もできた。
表現の気持ちも、やっぱり
チャップリンでしょう?
ぼくはこの映画を観た後で、慌てて
チャップリンのDVDを取り寄せました。
周防 観たくなりますよね。
糸井 観たくなった。
周防 もともとのバレエ全体がチャップリンの映画に
きちんと捧げられてるので、
すごく作りやすかったです。
糸井 ということは、
振付したあのおじさんは
ものすごいんですね。
周防 ええ。ぼくは、ほんとうに
この映画を撮りながら、
やっぱりすごいやと思いました。
糸井 その人に認められたというのは
うれしいですね。
周防 うれしいです(笑)。
糸井 いやぁ、ほんとうにお話できてよかった。
本気で何かやってる人たちの話は
全部おもしろいなぁ。
ありがとうございました。
周防さん、何か次の仕事の準備はしてるんですか?
周防 これからちょっとね、
ちゃんとやらないといけないことが
また、あるんです。
糸井 ちゃんとですね(笑)。
はい、これからもたのしみにしています。
(おしまいです。ご愛読ありがとうございました。
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2011-07-08-FRI
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HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN