ほぼ日酒店 YOI

トーキョーの日本酒 トーキョーの日本酒

「ほぼ日」がお届けするお酒のコンテンツ
「ほぼ日酒店 YOI(よい)」。
第4回でご紹介するのは、
東京港醸造で醸された清酒です。
まずは、東京産のお米と水と酵母を
東京都心の酒蔵で仕込んだ2つのお酒。
「えっ? 東京の都心に、酒蔵があるの?」
そうなんです。
「しかも、東京のお米と、水と、酵母で?」
そうなんです! ちょっとびっくりしちゃいますよね。
東京港醸造のユニークさを理解するのにぴったりな、
生きた乳酸菌を使った(ちょっとシュワッとした)日本酒、
あわせて3つのお酒を紹介します。
02

すごい杜氏、寺澤善実さん

100年ぶりに復活した酒蔵
東京港醸造のお酒づくりの総監督が
杜氏の寺澤善実(てらさわ・よしみ)さんです。
京都の大手酒造メーカーに勤めていた寺澤さんが
どのようにして、
東京ならではのお酒をつくるようになったのか? 
お話を聞きました。

京都の大手酒造会社で修業

は1960年に、京都府綾部市という
若狭湾寄りにある山間部の農家に生まれました。
お米が豊富にとれるような地域ではなかったので、
子どものころから働き手のひとりとして
放課後は家の仕事を手伝っていました。

高校に進学するときには
将来は農業に関係する仕事がしたいということと、
とにかく町に出たいということを考えていました。
そのころは、早く働けるようになって、
親を助けたいという気持ちが強かったですね。
それで、農芸学科のある高校に行って、
お酒やお漬物をつくる酵母や麹といった
微生物を応用する分野を学びました。

京都には醤油やお酒など発酵系の食品会社があります。
高校で学んだことを活かせる仕事として、
そうした会社をいくつか見学して、
1979年に大手の酒造会社に就職しました。

職場は京都市伏見区にある大規模な酒蔵です。
伏見は名水に恵まれ、酒づくりの長い歴史があります。
私は醸造部というお酒をつくる部署に配属されて、
そこで20年間働いて、
お酒(清酒)づくりのすべての工程を身につけました。

お酒をつくる杜氏の仕事の面白いところは、
お米、水、酵母を樽に仕込んで、
温度、浸透圧などいろいろな条件を操作して、
酵母がもっとも活躍できる環境をつくってあげることです。
よく発酵すると、
アルコールをたくさん出してくれます。
できあがったものを搾ったものが「清酒」です。
ちなみに搾らない白濁した状態が「どぶろく」ですね。

こうした仕事は、職人の世界では「見て覚えろ」
「一人前になるのに20年かかる」とか言われますが、
そこには理由があって、
昔の酒造りは天候などの自然に左右される
偶然の要素が大きかったんですよ。

しかし、実は安定して
美味しいお酒をつくることができるようになったのは、
お酒づくりで電気が使えるようになってからです。
精米機や自動圧搾機などの機械の進歩、
木の樽からホウロウの樽やタンクになったこと、
微生物を管理する装置や技術が進化したからです。
私たちは温度や発酵の具合いを数値で管理できるし、
技術を数値で伝えて人を育てることができます。
要は、偶然ではなく、
ねらいどおりのお酒を作ることができる。
それが、この数十年での、日本酒業界の変化です。

お台場で磨いたミニ醸造所の技術

2000年、私が39歳のときに、
勤めていた会社が東京お台場の商業施設に、
省スペースの酒蔵と
京料理レストランとショップをセットにした
「醸造所」を開きました。
つくりたてのお酒をレストランで供して、
京料理とともに味わってもらうというコンセプトですね。
私は杜氏として東京に転勤になりました。

酒蔵にあてられたのは、わずか52平米でした。
28畳ほどの面積ですね。
その省スペースで酒造りの工程をこなすために、
DIYなどで工夫してコンパクトな設備を作りました。
はじめはお酒づくりの責任者でしたが、
やがてレストランとショップの経営も含めた
全体の支配人になりました。

省スペースでおいしいお酒をつくり、
その工程を工夫したり、技術を磨くことは、
杜氏としてやりがいがありましたね。
ところが、お台場は、平日は修学旅行の中高生、
休日は車で買い物に来る家族連れが多くて、
だれもお酒を飲まないんですよ(笑)。
たとえばターミナル駅の新橋は飲み屋街として有名ですが、
電車や車を使って海を渡ってまで
お台場に飲みに来る人はごくわずかでした。

経営的に厳しい状況が続いて、
2010年にお台場の醸造所は閉じられました。
とはいえ、お台場で格闘した10年間は
学ぶことがたくさんあって面白かったですね。
小さな醸造所は日本各地で大切になると確信したので、
この道をもっと極めたい、伝えたいと思いました。

寺澤さんはお台場でつくったお酒を、
2005年から全国新酒鑑評会に出品して、
毎年のように入賞や金賞を獲得しました。
2013年に清酒製造技能士一級を取得。
2012年から「sake compe」審査員、
2019年から「東京国税局管内秋の鑑評会」の
審査員をつとめています。


小さな酒蔵で醸すTOKYOのお酒

台場でお酒づくりに取り組むなかで、
2006年に若松屋の齊藤俊一社長に出会いました。
100年前に廃業してしまった酒蔵を
小規模な酒蔵で一緒に復活させてほしい、
というお誘いでした。

私の技術と経験があれば、
齊藤社長がイメージする小さな酒蔵で
おいしいお酒をつくることはできます。
でも小規模だと儲からないので事業を継続できませんよ、
という話ばかり齊藤社長にはしていました。

決定打は齊藤社長の言葉でした。
「最初は儲からなくてもいい、赤字は困るけれど、
せめてトントンでいい、
まずは酒蔵を復活させるのが目標だ、
利益のことは走りながら考えて行きましょう」
これで、やるしかないな、と。
こうして、2011年に東京港醸造の杜氏になりました。

齊藤社長が住んでいた港区芝の4階建てのビルを
最新式の小規模な酒蔵にリノベーションしました。
屋上のクレーンで酒米などの原料を4階に引き上げて、
最初の工程を4階、次の工程を3階というように、
階を下るごとに工程を進める効率的な動線を設計して、
仕込みをするタンク、麹室、絞り機などを配置しました。
完成したお酒は1階から出荷します。

最初は日本酒の製造免許がなかったので、
どぶろくやリキュールの製造を始めて、
並行して酵母と麹の研究を重ねました。
そして、2016年、
念願だった日本酒の製造免許がとれました。
そこから東京のお米、東京の水、東京の酵母を使った
日本酒づくりをスタートさせて今に至っています。

寺澤さんは、2019年に
「東京港醸造」の代表取締役に就任。
杜氏として東京ならではのお酒をつくりつつ、
日本各地で小規模な醸造所の立ち上げに取り組んでいます。
醸造所を始めたいという人や会社に、
設備の設計、技術と運営管理の指導をしているのです。

2020年には東京駅のなかに
寺澤さんのノウハウによって「東京駅酒造場」がオープン。
8坪という省スペースの酒蔵はガラス張りのため、
酒米を蒸して、麹を発酵させて、
搾って日本酒を完成させるまでの工程を
見ることができます。
2021年には奥秩父に小規模な醸造所が立ち上がりました。
寺澤さんは今ではミニ醸造所の第一人者と言われています。

(つづきます)

取材・文:金澤一嘉