ほぼ日酒店 YOI

トーキョーの日本酒 トーキョーの日本酒

「ほぼ日」がお届けするお酒のコンテンツ
「ほぼ日酒店 YOI(よい)」。
第4回でご紹介するのは、
東京港醸造で醸された清酒です。
まずは、東京産のお米と水と酵母を
東京都心の酒蔵で仕込んだ2つのお酒。
「えっ? 東京の都心に、酒蔵があるの?」
そうなんです。
「しかも、東京のお米と、水と、酵母で?」
そうなんです! ちょっとびっくりしちゃいますよね。
東京港醸造のユニークさを理解するのにぴったりな、
生きた乳酸菌を使った(ちょっとシュワッとした)日本酒、
あわせて3つのお酒を紹介します。
01

東京タワーの近くに酒蔵があった!

東京タワーから近い都心のオフィス街、
芝(しば)地区に、
100年ぶりによみがえった酒蔵があります。
その酒蔵は江戸後期の1812年に創業して、
ほぼ100年後の1911年にいったん廃業しました。
さらに100年がたつころ、とある出会いがあり、
2011年に復活。
名前を、「東京港醸造」といいます。

材に伺ったのは2021年の秋。
東京港醸造の酒蔵がある港区・芝界隈は、
ほぼ日神田ビルからは地下鉄で6駅、
1998年にほぼ日が誕生したときに
仕事場があった東麻布からも近い場所。
東京タワーからは直線距離で1.2kmという、
ビルが林立する都心のオフィス街です。
そうした場所に酒蔵があると聞いても、
なんだかイメージがわきませんが、
行ってみると‥‥おお、ありました、ありました。
ビルの谷間の路地に面した
4階建ての小さなビル! 
ここが「東京港醸造」の酒蔵です。

江戸時代後期の1812年、この地に、
若松屋(わかまつや)という酒蔵が創業しました。
当時の芝は、江戸湾の海岸に面する海運や物流の街。
薩摩藩の御用商人だった若松屋には、
西郷隆盛らの要人が出入りしていたそうです。
ちなみに芝は戊辰戦争のときに、新政府軍の西郷隆盛と
幕府側の勝海舟が話し合いをした地で(諸説あり)、
江戸を戦場にさせずに無血開城させたことにちなみ、
東京港醸造では「江戸開城」と名付けたブランドで
日本酒づくりをしています。

若松屋は100年ほど酒造りをしたあと
1911(明治44)年に酒蔵を廃業して、食堂を経営、
戦後は雑貨屋として屋号を守ってきました。
若松屋の7代目、齊藤俊一(さいとう・しゅんいち)さんに
酒蔵を復活させたきっかけを聞きました。

「祖母から、若松屋は200年前の江戸時代に創業して、
100年前(明治44年)までは酒蔵をやっていた、
という話を聞いていました。
幕末は西郷隆盛や勝海舟がうちに飲みに来ていたとか、
そんなエピソードも知って、
自分の夢としても、港区の商店街の活性化のためにも、
いつか酒蔵を復活させたいと考えていたんです。

そんななかで、2006年に
杜氏の寺澤(寺澤善実さん)と出会いました。
当時の寺澤は、京都の大手酒造メーカーが
東京のお台場の商業施設に開いていた
省スペースの酒蔵を併設した
レストランとショップで
すべてを仕切っていました。

寺澤は大手メーカーで酒造りの全工程を身につけて、
さらに、お台場の狭いスペースで
酒をつくる設備やシステムを完成させていました。
それを知って「この人だったら!」と思ったんです。
この小さなスペースで酒造りができるなら、
うちの小さなビルでもできるんじゃないか、と。それで
「ぜひうちに来てくれないか。
一緒に酒蔵を復活させてほしい」
と誘ったんです。

もちろん最初は断られました。
大手のメーカーで新規事業に燃えている杜氏に、
弱小どころか廃業した酒蔵がスカウトに来たのですから。
でも、彼しかいないと思った僕は、
そこから約1年、毎月のように寺澤の説得に通いました。
そしてやっともらった返事が、
「できるけど、儲からないですよ」(笑)。
なので、最初は儲からなくてもいい、赤字は困るけれど、
せめてトントンでいい、
まずは酒蔵を復活させるのが目標だ、
利益のことは走りながら考えて行きましょう、
と言ったんです。

そうして、2010年に
お台場の酒蔵を閉じたのをきっかけに、
寺澤が大手酒造メーカーをやめて、
東京で一緒に酒蔵を復活させる事業を始めました」

寺澤さんは杜氏として
「手の感触」とも言うべき職人技を持ちながら、
大手メーカーで技術者として働いていた経験から、
お酒づくりを数値でコントロールすることができました。
なおかつ、酵母や麹といった微生物に詳しく、
学会で通用するほどの研究も重ねてきました。
さらに、お台場時代は支配人として
経営、マネジメントもしてきたという強みもありました。
酒蔵としての経験のなかった齊藤さんには、
「なくてはならない」人だったのです。

こうして、齊藤さんと寺澤さんは、
2011年に「東京港醸造」を開業しました。
若松屋が1911(明治44)年に酒蔵を廃業してから、
100年後のことでした。

東京の原材料で、東京ならではのお酒を。

「東京港醸造」が取り組んでいるのが、
東京の原材料を使った日本酒づくりです。
今回、ご紹介する東京生まれの2つの日本酒で
使っている酵母は東京産です。
ひとつは、1898(明冶31)年以前に発見されて、
北区滝野川の醸造試験所(赤レンガ酒造工場)で
純粋培養されたyedo(えど)酵母です。
ほかにも、近年、日比谷公園のハチから採取した
tokyo酵母(ぶんぶん酵母)を使っています。

お米は東京の多摩川水系、
多摩、八王子、秋川、日野エリアでとれた酒米です。
酒米は水や麹菌が入りやすい、
お酒づくりに適したお米です。

齊藤さんは酒米を集めることに苦労すると言います。

「酒米の生産は、東京23区内ではやっていません。
僕らが使っているのは八王子方面の米農家さんが
生産した酒米ですが、
全体の耕地面積が小さいので、かなり貴重なんです。
農家の方々を訪ねて、なんとか売ってもらえるよう
お願いをして、酒米を集めています」

仕込みに使う水は、東京都水道局が供給する水道水。
水道水ですって!? とおどろきましたが、
現在の東京の水道水って、
酒造りにとても相性のいい高い品質の水なんだそうです。

こうして東京産の素材を都心の酒蔵で仕込んだお酒が
ほぼ日で販売する
「オール江戸」「オール東京」、
そしてもうひとつ、東京港醸造を代表する
ユニークな日本酒の「パラカセイ」。

3つの日本酒がどのように作られているのか、
また、水や酵母については、
これから詳しく紹介していきます。
東京港醸造の「人と仕事」、どうぞおたのしみに!

(つづきます)

取材・文:金澤一嘉