[ほぼ日酒店 YOI]今日も乾杯! ほぼ日ペールエール [ほぼ日酒店 YOI]今日も乾杯! ほぼ日ペールエール


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ショーンさんが
ポーランドからやってきた!
ショーン・フミエンツキ(Sean Chumiecki)さんは
1980年生まれ。
ポーランドの南端、チェコとスロバキアの国境に近い、
ビェルスコ=ビャワという人口30万人の街の出身です。
どのような経緯で、日本で暮らすようになったのか
話を聞きました。
ショーンさん

高校を卒業して、1999年にアメリカの州立大学の
美術学部に進学しました。
そこで出会った日本人の女性とのちに結婚します。
大学を卒業して、デトロイトの広告会社で働いたあと、
印刷会社に転職して
グラフィック系の仕事をしていました。
大学時代の友達は、アメリカ各地に引っ越して、
「ニューヨーク最高」「テキサスめっちゃいい」って
言ってきます。僕の母はカルフォルニア州にいて、
「カルフォルニアは最高だよ」と言います。
そいうわけで引っ越ししたいと思うようになって、
当時、嫁さんが働いている会社は、
各地にオフィスがあるから、
どこに引っ越しても大丈夫でした。



そんなときに、日本のお義父さんが
「アメリカで引っ越す前に、
少し日本に来たらどうよ」と。
2006年、僕が26歳、子供が1歳のときに、
嫁さんの実家がある滋賀県に来ました。
最初は近江八幡駅の近くのアパートに住んで、
電車で京都の日本語学校に通い、
結局1年間勉強しました。
そのあと日野町にある嫁さんの実家で1年暮らす間に、
同じ日野町に家を建てました。
そこからはトムさんと同じで、
祭りの準備に参加してくれと言われたんです(笑)。



日野祭りは、近江八幡に住んでいた4年間に
お客として見に来て知ってました。
お義父さんもお酒飲むと祭りの話ばっかりします。
日野町に引っ越して、初めて祭りに参加したときは、
祭りは”ヤバい”文化だなと思った。すごく感動しました。



日野にはお神輿を担ぐ人が足りてないんですよ。
なので、京都神輿愛好会の人が担ぎに来てくれます。
「7月は京都の祇園祭りに来て八坂神社の神輿担いで」
って誘われて参加したら、その流れで、
伏見稲荷、護国神社、松尾神社のお祭りに
お神輿を担ぎに行くようになりました。
2019年に、東京の靖国神社の150周年のときも
みんなで神輿を担ぎに行きましたよ。



日野祭りは、毎回ポーランドから友達が来ます。
その友達は旅行が好きで、
毎年いろんなとこに行っている。
初めて日野に来たときは、1週間東京で観光してから、
最後に日野祭りに来ました。
友達にはっぴ着せて、がんばって2日間お神輿担いだら、
近所のおじいちゃんたちとめっちゃ仲良くなりました。
言葉通じないし、何をしゃべってたかわからないけど、
ポーランドに帰るときに、
「東京行って、大阪行って、食べ物もおいしいけど、
俺は日野祭りがいちばんよかった」って、
「祭りでみんなと一緒にお酒飲んで食べてしゃべって、
旅行会社に大金払ってもできない体験ができた」って、
目に涙うかべて語ってました。



僕は日野町で生活を始めたときに、
英会話教室を開きました。
生徒ひとりから始めて、100人以上になりました。
ヒノブルーイングを始めてからは、
生徒さんを減らして今は50人ちょっとです。
朝からビール工房で働いて、夕方から英会話教室です。
自分でゼロからつくった英会話教室の会社で、
日野の商工会や国際親善グループに入って、
地元の人たちと仲良くやってきたから、
3人でビールづくりを始めるときに、
町のみんなが応援してくれました。
日野の人は、日野祭りのことを考えて
一年間頑張っている人が多い。
僕らもビールづくりで祭りに貢献したいですね。

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