「ほぼ日手帳2016 spring」岡本太郎特集 <みんなのTARO 2016>すでにそこにいた
岡本太郎。

OKAMOTO’S それぞれにとってのTARO


(2)いつまで経っても理解はできないけど。
ほぼ日
岡本太郎の考え方の部分で、
こういったところが好き、みたいなことは
ありますか?
ハマ
いや‥‥理解できないですね、
いつまで経っても(笑)。
ショウ
(笑)そうだね、わかる。
ハマ
理解しようと覚えはじめもしましたが、
個人的にはあまり
「これがこうだからカッコいい」とは
考えてないかもしれないです。
知れば知るほど、よくわからない。
そこが魅力でもあるとも思います。
ショウ
でも、いろいろと知っていくと、
言っていることがずっと一貫していて、
万博で「なんか作ってくれ」と依頼されて作った
『太陽の塔』にしても、
「もうメチャクチャにしてやるぞ」くらいの気持ちで
作っていたとか。
ハマ
その話を聞いてから見ると
「確かにメチャクチャだよな、こんなものを急に作って」
と思うよね(笑)。
ほぼ日
ああ。
ハマ
そういうずっと一貫しているところや、
なびかないところ。
簡単に、常識はこうだからといって
そこに合わせて自分の作品を作るという思考に
ならないところだったり、
そういうところには単純に共感しています。
ほぼ日
理解というよりも、共感。
ハマ
そうですね。
ロックバンドをやっている身としては
中学や高校に通っていた頃に感じていた
さまざまな「なんとなくの部分」という様なことを
忘れてはいけないぞ、という気持ちがありまして、
「そういうことを言葉にして、
 さらにずっと実践してる人がいる」
という凄み。
そういった部分への尊敬だったり、
気分として「‥‥太郎さん、わかるぜ!」(笑)
というところはあったりします。
ほぼ日
(笑)
ショウ
この言い方が正しいかどうかはわからないですが、
「1回でも手を抜いたら、全部が水の泡だ」
という意図の言葉があって、
それはやっぱりすごいなと思います。
作っていて迷う時は、やっぱりあると思うんです。
「どっちにしようかな」ということだったり。
でも「常にいばらの道を行かないと意味がない」
というようなことを言って、実際にやり続けた。
もちろん自分もなるべくそのつもりで活動していますが、
改めてフッとそういう言葉を思い出すと、
「逃げてないから、
 岡本太郎さんはああやって評価されたんだろうし、
 負けてられない!」
と、自分にはっぱをかけられる感じはありますね。
ハマ
あと、すごく日本らしい存在だな、と感じます。
日本の芸術家で、そういったことに
興味がない人たちにも知られている存在は
なかなかいないと思いますが、
岡本太郎はみんなが知ってる。  
そして「太郎」と実に日本人らしい名前でもあり。
さらに、岡本太郎の後、作風の似通ったものが
流行ったかというと、そうではなくて。
そういう意味でも唯一無二の存在というか。
ほぼ日
岡本太郎にインスピレーションを受けて作ったという
「欲望を叫べ!!!!」という曲がありますよね。
そのときは、どう作ったんですか?
コウキ
これは生誕100周年のお祝いソングみたいな形で
お話を受けまして、
「好きにイメージしてもらって構いません。
 勝手に作ってもらって構わないです」
という様なことを言っていただけたので、
最初は
「実験的な20分くらいの曲にしようか」など、
そういう話をしていました(笑)。
ただ、最終的にはものすごくシンプルな
楽曲になりました。
ショウ
でも、どの曲よりも一番、
フィジカルで作ったかもしれない。
カッコよくいえば「セッション」のような感覚で、
とにかくその時の自分たちのできる限りの力を
瞬間瞬間のその中に、全員詰められるだけ詰めたというか。
「作ったはいいけど、これ、とんでもないな」
という感じの楽曲ですね。
ほぼ日
日々の中で、岡本太郎を意識することはありますか?
ショウ
ものづくりをするなかで、「少し進歩したな」
「壁ひとつ越えたな」と思うたびに
「そういえば岡本太郎のあの言葉は
 こういう意味だったのかな」
と、新しい発見があったりします。
それを思うと、やっぱりものづくりの観点でも
常にすごい先を見ていた人だったんだ、
と改めて感じます。
ものすごく頑固な人でもあっただろうし、
素直に「本当にすごいな」と思える。
そして自分にもこの先まだいっぱい壁が
あるんだろうな、と思いますね。
ハマ
あと、この絵(『明日の神話』)に関しては、
もう、日常の光景でもある印象があって。
コウキ
そうだね、渋谷駅。
ショウ
こういう手帳のかたちで鞄の中に入るのも
すごく自然。
「自分の芸術は常に色々な人が触れられる、
 どこにでもあるようなものにしたい」
と、さまざまな作品を作っていた人だと思うので。
手帳になるなんて、岡本太郎本人も
ニンマリ「してやったぜ」と思ってそうな気がしますね。
ほぼ日
先日平野暁臣さんに取材させていただいたのですが、
まさにこの手帳を見て、似たことをおっしゃってました。
岡本太郎の作品を、暮らしのなかに届ける
すごくいいキャリヤーだから嬉しい、って。
ショウ
わかります。
実際、芸術はそうあるべきだという気がします。
自分たちの音楽を考えても、変に持ち上げられたり、
崇められたりせずに、常にすごく身近に
関わるものであってほしいと思うので。
ほぼ日
いま『明日の神話』のお話もありましたが、
そして、こちらが新しく出る手帳なんです。
「太陽の塔」と「明日の神話」で。
コウキ
これ、ツーバージョン出るんですか?
ほぼ日
はい、ツーバージョンです。
『太陽の塔』はこのサイズのものひとつで、
『明日の神話』は大きいのとふつうのがあります。
ショウ
この銀色のやつ、強烈だな‥‥。
俺、これがいい(笑)。
ハマ
僕は一番大きいやつがいいですね。
コウキ
これ持ってたら、職場でかなり
インパクト与えられそうですね(笑)。
ショウ
確かにこれは相当与えられる。
いいですね。
ほぼ日
ありがとうございます。
レイジ
どうでもいいことですけど、
「TECHO」ってローマ字で書いてあると、
「TECHNO」みたいですね。
ほぼ日
‥‥ほんとだ(笑)。
コウキ
このカバー自体、機能面が高いですね。
ただのカバーじゃないというか、
いろいろ入るようになってますね。
ほぼ日
あ、そうなんです。
現在この手帳は15年目なんですけど、
カバーも年々改良して、
いまのかたちになっているんです。
ショウ
ペンが2本入るのもいいですよね。
コウキ
いや、そうじゃなくて、
ふたつのペンホルダーに1本のペンを刺せば、
カバーをとじられるってことじゃない?
ほぼ日
じつはそうなんです、
「バタフライストッパー」と呼んでるんですけど、
ペンホルダーでもあり、開くのを防ぐ機能もあり。
ショウ
そっか(笑)。
それぞれ1本ずつ通すんじゃなくて。
ほぼ日
(笑)2本刺しもできるんで、両方いけます。
ハマ
この手帳はなくさなさそうですよね。
シンプル・イズ・ベストが流行っている世の中で、
これを持ち歩く人は、もう勝ちというか。
ショウ
勝ちでしょう。
打ち合わせでこれ出されたらヤバい。
レイジ
これは舐められなさそうな(笑)。
あとアドレス帳って、もう6人分しか
書くところがなくなっちゃったんですね。
ほぼ日
はい、今はスマホに住所を入れている人が多いので、
大事な人の分だけ書けるようにして、
その分メモページを増やしています。
レイジ
すごいな、10年くらいでこんなに変わるんだ。
僕、中学生のとき2、30ページ分くらい
手帳にみんなの電話番号書いてましたもん。
コウキ
たしかに、昔は覚えてた。
友達の電話番号とか。
ハマ
あとこの「Gift」ぺージ、すごくいい。
ショウ
本当だ。貰ったもの忘れやすいもんね。
大事だ。
ほぼ日
わぁ、ありがとうございます。
実際に、手帳とかを使われてたりはしますか?
コウキ
使ってますよ。
ショウ
俺も使ってます。スケジュールだけに限らず、
歌詞でも、その日あったことでも、
何でも書ける様に1冊使ってます。
ステッカーなんかも貼りまくっていて。
一時期、歌詞をパソコンに書き溜めていたんですけど、
パソコンだと、どうも思いついた時の感じが
蘇ってこない時が多くて。
ほぼ日
打っちゃうと、文字が均一になっちゃいますもんね。
ショウ
そうなんです。
「すごくいいことを思いついたと思って
 書いてるけど、そんなにいいかな」
という思考に陥ってしまう時があって。
なので去年くらいから、手書きにしています。
そういう直感的なものは、
そのまま手で書くほうがいいのかなと
実験中です。
今のところ調子いいです。
ほぼ日
たしかに手帳と歌詞は相性がよさそうですね。
ショウ
いや、でも歌詞に限らず、
なにか書いておくのは本当に大事ですよ。
ぼくらがこの間作ったアルバム(『OPERA』)は、
現代の三重苦――
家の鍵、携帯電話、財布を失くした男の
ストーリーを描いた作品なんですけど、
それはまさに「携帯と鍵と財布をなくす」という
俺自身の実話が元になったものなんです。
そしてあのとき、なかでも一番困ったことは、
「あの人に連絡すればなんとかなる」という人の
電話番号がわからなくなってしまったことなんです。
人の電話番号なんか、もう覚えてないですもん。
こういうところに書いておけばよかったんだー!
と思いましたね。

(岡本太郎特集、OKAMOTO’S編はこちらでおしまい。
 お読みいただき、ありがとうございました)
2016-02-10-WED