「ほぼ日手帳2016 spring」岡本太郎特集 <みんなのTARO 2016>お父さんのようで、
お母さんのようで。

オリジナル・ラブ 田島貴男さんに聞くTARO


(2)「いのち」の火花を描いた人。
田島
ただ、太郎さんというのは、
単に子どものまま、裸のまま、
大人になった人ではないんです。
実はものすごく趣味がいい人なんだよね。
もともと趣味がいい家系に
生まれてる人だから。
ほぼ日
はい、漫画家の岡本一平さんと
小説家の岡本かの子さんがご両親で。
田島
うん。だけど太郎さんは、
自分のそういう趣味のよさとかも
「ぜんぶ捨てちまえ!」
「裸一貫にならなきゃ!」って、
あるときぜんぶ放り出したんだと思うんです。
太郎さん自身が
こんなことを言ってるんですね。
「子どもの絵は芸術的だけれども、
 芸術作品ではない。
 意識的にいろいろ考えた上で、
 子どもみたいな絵を描くに至る。
 それが芸術作品である」
と。
ほぼ日
ああー。
田島
つまり、そうなんだよね。
太郎さんは、大ボケ、大馬鹿の道を
自分で意識的に辿ってた。
そして、ぼくにとって太郎さんという人は、
その身を持って
「表現や芸術は、
 カッコいいやカッコ悪いじゃない、
 人間そのもの、いのちそのものを
 描けるかどうかだ」
ってことを教えてくれた人という気がしますね。
自分でも、もともと感じていたことだけど、
太郎さんのおかげで、
理解を深めさせてもらったというか。 
太郎さんはずっとそういうことだけを
やろうとしてたし、そこしかやらなかった。
ほぼ日
岡本太郎さんはことばもすごいですよね。
「誤解の満艦飾となれ」とか。
(「誤解される人の姿は美しい。
 人は誤解を恐れる。
 だが本当に生きる者は当然誤解される。
 誤解される分量に応じて、
 その人は強く豊かなのだ。
 誤解の満艦飾となって、誇らかに華やぐべきだ」
 ──『芸術は爆発だ! 岡本太郎痛快語録』より)
田島
そうそう! そうなんですよ。
今って、たとえばTwitterで発するだけでも、
常にツッコミが入ってくる時代だから。
ちょっと言うだけで
「なに言ってるんだ!」と非難されるし、
誤解もされる。
だけど、いかにツッコまれようが、
太郎さんは「それでいいんだ」って認めてくれる。
ほぼ日
まさに「誤解されていいんだ」と。
田島
そう、だから生きてる上で
いろんな困難にぶち当たればぶち当たるほど、
太郎さんのことばが、すげぇグッと来るんです。
太郎さん自身が丸腰で、無防備のまま、
ガーッとこうアクション付きで
「それでいいんだよ!」
って言ってくれる感じがある。
それも自分の場所を保ちながらカッコよく
言うんじゃなくてね。
ほぼ日
もう、ただただ本気で。
田島
うん、太郎さんの言い方って、
ある意味ダサいというか、
もう「この人は馬鹿なのか?」とか
「アホじゃないの?」と思われるような
言い方なんですよ。
ほぼ日
(笑)
田島
‥‥でも、それがね、
すばらしくいいんですよ。
説得力があるっていうか。
だから何度も、何度でも言いますけど、
太郎さん、カッコいいですよ。
すごい好き。
ほぼ日
はい、聞いていてカッコいいです。
田島
ぼくは吉本隆明さんと岡本太郎さんって、
それぞれ逆の部分が好きなんですけど、
隆明さんはぼくにとって、
「こらこら、お前、何やってるんだ」って
ツッコんでくれる人なんだよね。
太郎さんは逆で、
人間の最初の
「お前! お前、生きろ!」という
炎の部分を担当してくれてる。
「情熱を持て!」
「情熱を持つことを怯んだりするな!」
「なりふり構わず、とにかく燃えろ!」
って。
ほぼ日
岡本太郎さんは、学生から
「芸術では食えないんですけど」
って言われたときに、自分もお金がないのに、
「じゃあ、俺んちにカレー食いに来ればいい」
と言ったというエピソードもありますね。
田島
そう、そういうこと、
太郎さんはやりかねないですよね。
そういう、
自分をまったく守ってない感じ?
「この人ほど自分を守らない人って
 いないんじゃねぇか?」
ってくらいに、守らない。
自分で「マイナスに賭けろ」って決意して、
それを人にもすすめてるような人だから。
ほぼ日
「マイナスに賭けろ」も象徴的なことばですね。
田島
安全そうな道じゃなくて、
「いつでもあえてマイナスの道を選べ」
っていう。
もちろん安定ってわかるし、
人類の長い歴史を思うと、正しいですよ。
そうしなきゃいけないと思うけれども、
だけども同時にそこで
「マイナスに賭けよう」と決意することによって、
「いのち」の力がワッと湧き上がっていく。
そういう人間の持つ情熱の部分を
「いのちの炎を燃やすんだ! 
 そこを絶対俺が守ってやるから」
っていう人ですよね。
ほぼ日
田島さんが岡本太郎さんのことを
はじめて知ったのはいつですか?
田島
15年前くらいだったかな。
岡本太郎美術館にフラッと遊びに行って、
そのときは全然興味なかったんです。
だけど、なんとなくそこで
『自分の中に毒を持て』という本を買ったんですよ。
そして読んでみたら、
当時の自分にぴったりフィットして、
「なんだ、この本は?!」とびっくりして。
それから毎日読んでました。
ほぼ全ページ、全フレーズに線を引きながら、
まるでお経を唱えるかのように(笑)。
ほぼ日
(笑)
田島
その後、もちろん太郎さんのことを
考えない時期もあるけど、
それでも自分の土台のところに
ずっといる人ですよね。
今日も『自分の中に毒を持て』を
持ってきましたけど、
これ、全フレーズいいですよ。
全部いいですね、本当‥‥これはいい。
勇気が出てきます。
本当にみんなにすすめたくなっちゃうの。
もう、読まなくてもぜんぶ覚えてるというか、
体に染みついちゃってるよね。
家に10数冊あります(笑)。
ほぼ日
すごい数(笑)。
田島
人にあげてたりもしましたから。
そして太郎さんのことは
自分のお守りみたいな感じで、
いつでも持っておきたいんですよ。
そして自分がなんだか
ボヤーンとしてきたり、飽きてきたり、
落ち込んできたりとかしたら、
「ああ、太郎成分欠けてきたな
 ‥‥本読むか!」
みたいなさ。
ほぼ日
自分の生活に太郎さんがいると、
ちょっとうれしいというか。
田島
まさにそう。
いまってみんな、スマホを常に持ってたり、
情報がまとわりついてる状態でしょ?
こういった暮らしの中で
太郎さんみたいな存在って、
うれしいんですよ。
「とにかくどう思われようが、突き進め!」
って言ってくれるから。
ああ、だから‥‥そう!
この手帳も持ってるとちょっと
お守りみたいな感じになるんだよね。
ほぼ日
たしかにお守りみたいな感じ、
ありますね。
田島
そうそう、これは最高にうれしいよ。
超うれしい。
ぼくもこれまでガワ(カバー)をとっかえひっかえ
手帳を使ってきてますけど、
これはうれしいでしょう。カッコいいですよ。
もう、満面の笑みです。
ほぼ日
(笑)うれしいです。
田島
太郎さんの芸術からひしひしと感じるのは
やっぱり「いのち」でね、
「いのち」をね、全力で讃えてる。
人間も、まずその前に動物で、
生きものとしての「いのち」を
まず土台に置くことが大事なんだって。
もちろん「人間らしさ」だって
絶対必要なんだけど。
‥‥で、その
「人間らしさ」と「動物らしさ」が
葛藤してぶつかり合って、
とても悲しいことになったり、
喜ばしいことになったり、
人類の歴史にはいろんなことが起こる。
そういった、その、
「いのち」のぶつかる火花みたいなものを
ずっと描きつづけてたみたいなね、
そんな感じがするんですよ。
ほぼ日
「いのち」の火花を描きつづけたひと。
田島
そうして「とにかく生きていく」ってことが
大事なんだっていう。
‥‥だから、太郎さんっていうのは
あらゆる人に必要な芸術なんですよね。
太郎さんのように生きることは
まずむずかしい気がするけど、
その奥にあるものは、
みんなに通じることだと思うんです。
だから、その言動を見ていると
いろんなツッコミどころが
あるように見えるかもしれないけど、
太郎さんって、そういうんじゃないんですよ。
いろいろな困難にぶち当たっても、
「大事なのはぶち当たっていくことなんだ。
 ぶつかって、燃え上がれ!
 負けてもいいじゃないか」
ってことを最初に言いきってくれてる人。
太郎さんの姿勢って、一生そうだったもんね。
そこから踏み外したことないっていうか。
カッコいい言い方は、一切しなくて。 
自分を守りながら発していたことばは、
ひとつもない気がします。
だから、やっぱり大好きですよ。
太郎さん、大好きですね。

(田島貴男さん編は、こちらでおしまいです。
明日4日(木)からの
平野暁臣さん編に、つづきます)
2016-02-03-WED