裏返しのフード 裏返しのフード
 パーカといえば、小学高校学年になった頃に「パーカのフードが裏返っている人は恋人募集中」なんて、そんなくだらないサインがあったことを思い出す。私たちはほんの少しだけ大人の世界を知り始めたばかりの子どもで、今の小学生よりマセてもいなかった。だから恋人がほしくて自分からフードを裏返すなんてことはなくて、お互いがお互いのフードを後ろからコッソリ裏返しては「わー!〇〇彼氏(彼女)募集中!」なんて飽きもせずに毎日からかいあっていたものである。ひっくり返された子は顔を真っ赤にして「募集中じゃないし!」と言いながらフードを直すのがお決まりの光景だった。

今思えば、あれがどうしてそんなに恥ずかしかったのかよく解らない。恋人募集中でもべつにいいじゃないかと、大人になった今では思えるのだけれど、まだオタマジャクシに短い脚が少し生えた程度の年頃だった私たちには、異性に興味を持っていると思われること自体が恥ずかしかったのだと思う。フード返しが流行っているあいだ、私も他のみんなと同じように、しきりに後ろを振り返りながら日々を送ったのを憶えている。
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 あれから20年ほどが経ち、私のいよいよ30代の入り口に差し掛かった。ここに来るまで、私にそれなりにいろいろな経験をしてきたと思う。小学生の私が知ったら嬉しいこともあるだろうし、逆に「しょうもない大人になったな」と軽蔑されそうなこともある。ちいさい頃の私は、今よりももっと頭が固くて、自分の人生に間違えなんて許されないと思っていた。私の考えることは常に正しくなければならないし、誰かの顰蹙を買うようなこともしないようにして、誰もが納得してくれる答えを出さなければいけないと思っていた。それでも私は人間で、そのうえもしかすると、まぁまぁ人よりポンコツだった。間違えるたび、間違えたことを認めたくなくて、胸のどこかから湧き上がってくる後悔を見て見ぬふりばかりしていたような気がする。「これでよかったんだ」と気持ちを押し切って、振り返ろうともしなかった。

後悔できない人生は苦しい。失敗だったと自分で認められなければ、そこに生じたひびは塞がれないままどんどん大きくなっていく。理想の自分と現状の自分が少しずつズレていく音を聞きながら、なんでもないように崩れかかった家で無理やりくつろぐにも限界があるというものだ。これを書きながら、ほとんど横倒しになった家の中で飲もうとしたアツアツのお茶を顔面に浴びる自分を想像する。昔の金のかかったバラエティ番組みたいで、それはそれで結構面白い気がする。失礼、話がそれました。
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とにかく、私が今顔面にお茶を浴びずに生活できているのは、どこかの私が、ある種の弱さをおぼえて潔く曲がることができるようになったからである。私が間違ってたとか、あのときはどうかしてましたとか、命を取られるような駆け引き以外では、素直に後悔できるようになったからである。間違えてもいいや、なんて思いながら生きれているわけではないにせよ、あの頃よりはだいぶ気楽だ。その一方で、自分のやりたいことを真っ直ぐにやる力はどんどん強くなる。歳を重ねたことによる図々しさによって、自分が持っている欲を悪いことだとは考えなくなったのである。フードを裏返されただけで泣きそうなほど恥ずかしかったはずの私は、いまやひとりで好きな時間に映画館に行くことができるし、ひとりで中華料理屋さんに入って、好きなものを好きなだけ食べられる。嫌いだと思っていた人ごみもそれなりに楽しんで、嫌いだと思っていた人とも意外と楽しくおしゃべりできる。好きだった人と別れることもできる。誰かを必要として、誰かに必要な人でありたいと思う。
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自分の「やりたい」が、どこかで誰かのためになったらいいな、なんて思っているように語りながら、実際そんなことは後付けだったりして、ぶつかって寄り道して、もう戻ってこない時間を後悔しながら生きている。何度も振り返る理由は、もうあの頃と同じではない。進んできた迷いだらけの足跡を愛おしむためである。
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伊藤亜和(いとう・あわ)

文筆家



2023年の父の日にnoteに掲載した「パパと私」が、注目を集め、本格的に執筆活動をはじめる。24年に『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)で作家デビュー。以降、『わたしの言ってること、わかりますか。』(光文社)や、『変な奴やめたい。』(ポプラ社)を出版。

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sketch:恵谷 太香子