後編 「土楽」の仕事と、じぶんの仕事。

火と対話しよう。
そういうことを考えて土に向かったら、
自然と、ろくろを使わない、
手びねりのものが多くなりました。
たとえば、ちいさな壺。
もともと壺は好きなんですが、
大仰なものではなく、
普通に女の子がおうちで使えて、カッコいいもの。
それから「そうだ、イタリア料理人の友人が、
焼締めの四方皿がほしいって言ってたな」と、
そんなのを作ってみたりもしました。
つくるうちに「あれもいいな、これもつくりたい」と、
アイディアがいっぱい出てきて、
どんどん、ろくろじゃなく、手ばっかりに
なっていったんです。
土、手、薪、火。すごく原始的です。

つくる作業は、夜でした。
昼間は「土楽」の仕事がありますし、
料理の仕事もありますから、
電話1本、メールひとつで集中力が途切れることも
多々あるんですけれど、
夜1人で工房で土に向かっていれば、
いくらでも集中することができるんですよ。
ふだん、一人ぽっちが苦手なわたしが、
なぜか、工房でのひとりの時間は、
たのしくて仕方がないんです。

そうしてものを作って、
1回、湿気を抜くために火を入れる実験を経て、
今回、ほんとうの意味での「初窯」をやりました。
焚く時間は、3日間です。
姉の円(柏木円さん)にも手伝ってもらい、
交代で休みをとりながら、火の番をしました。
火を絶やしてもだめだし、
温度を急激に上げても、だめ。
抑えながら、湿気を抜きながら、
まず素焼きに近づけていきます。

それから、陶器っていうのは、土の中に鉱物が入っていて、
その何種類かが、ある温度でいきなり膨張したりする、
悪い性質のものがあって、割れてしまうんです。
それを温度管理でどう乗り越えていくか。
経験がある熟練した先輩たちから教えてもらい、
意見を参考にしながら温度を上げていきました。

もちろんわからないことは教えてもらいますが、
自分で考えるべきところは自分で決め、自分でやりました。
じつは湿気抜きの火入れのときは、
ほんとうは自分で決めなくてはいけない部分を
姉任せにしてしまったり、
若い職人たちに「あんたらも、やってみたら」と、
この窯の楽しさを味わわせてあげうよう、というような
みょうな先輩心が出てしまったんですね。
集中力を欠いていました。
倒れてもいいから自分がやる、という気持ちが薄かった。
今回は、自分で全部やって、判断も自分でやる。
若い子らも、手伝いたいなら手伝ったら、
という感じにしたら、私も楽になりました。

父(福森雅武さん)も、アドバイスをしてくれました。
たとえば温度を上げたくて、いくら薪を放り込んでも、
中に空気が入っていかないと、燃えませんよね。
酸欠になってしまうと火が消えてしまうので。
そういうときにどうやって空気を窯に送り込むか、
そういったテクニックはとても助かりました。

やってみてわかったんですが、
「次はこうしたい」っていうアイディアが
どんどん出てくることが面白かった。
今回、3日間焚いて、1250度から1300度だったんですが、
じゃあ、次は、2日でやるにはどうしたらいいだろう。
窯の構造がわかって、どうやったら温度が上がるかが
わかってしまえば、そういうことができるはずです。
そうしたら、次はもうちょっと短く、
ほんとうに1人で寝ずの番ができるかもしれません。

今回も、休憩するにしても、眠れないんですよ。
目をつぶっても炎の残像が目の前で踊ります。
火には人を興奮させるなにかがあるのでしょう。
そして緊張感。
怖さもありますから。下手したらね、
ガスが充満して、爆発する可能性だってある。
還元のときは、気圧が違うから、
窯全体がググーッと張ってきます。

父は、そのギリギリを狙って、
窯の外壁が内側に吸い込まれて落ち、
炎が空気を求めて一気に外に出るという、
そんな状態を経験したことがあるそうです。
そういう話を聞いていますから、どうしたって怖い。
酸素を求めて、火が手を伸ばすんですから。
食いついてきよる。
そういうのも「対話」ですよね。怖いけれど、面白い。

そもそも縄文の時代から焼き物はあって、
温度計なんかなかったわけですものね。
炎の色となかに入っているものを見て、
判断をしていたはずなんです。
父にずっと「モノを見なあかん」と言われてきましたが、
それが実感として、ようやく理解できた気がします。

今回、そうやって焼いた、初窯の作品を
TOBICHIで展示させていただきます。
いっしょに焼いた姉(円)の作品もあわせて、
また、ふだん、使用している
ガス窯で焼いたうつわもいっしょにならべます。
どんなふうにちがうのか、また、同じなのか、
ぜひ見ていただきたいと思います。

2015-04-08-WED