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「HOBOP」と「HOBOT」の販売と、 『国境なき医師団』などのことについて(その4)。 (※第0回はこちら、第1回はここです。 第2回はこちらで、第3回はここだよ) こんにちは。ほぼ日編集部のメリー木村です。 今回は、国境なき医師団に関して、 「どのような人が、 どういう気持ちで参加しているのか」 「効率的に医療するためには、ボランティアの医者は、 現地で、どのくらいの期間、はたらくのだろうか」 といった内容を質問しています。最終回です。 「国境なき医師団」の広報の鎌田葉子さんは、 医療援助の現状の一端を知らせてくれる内容と、 危機管理について、少し、何かのヒントに なっているかもしれないことを、 しゃべってくれています。 では、インタビューに入りますね。 (※「ボランティア」といいますと、 一見、深刻に思えそうですが、 この取材は、いいひとぶったりしないまま、 ひとつの組織論として おたのしみいただけると、うれしいです) 【なぜ、国境なき医師団にいるのかについて】 ----国境なき医師団で働いている人たちは、 どういうきっかけで参加をするのですか? ヨーロッパと日本とでは、事情が違っています。 ヨーロッパでは、ボランティア活動は、 19世紀ぐらいから根付いていますし、 「国境なき医師団」と言えば、例えば フランスやオランダでは、もう、 知っていて当たり前の組織ですので。 特に、国境なき医師団は、ここ30年間、 メディアを通して、知られてきたこともあって、 欧州では、報道されるきっかけが多いんです。 日本では、ちょっとずつ知られきていますが、 それでも、まだまだの観が強いですね。 国境なき医師団が 日本に事務局を作ったのも、1992年と最近ですし。 ノーベル賞をきっかけにして、 知名度もあがったんですけれども、 最初に日本に事務局ができた時には、 もう、ほとんど知られていませんでした。 前提条件の差としましては、 例えばフランスで報道するにしても、 フランスの旧植民地のアフリカが 国境なき医師団のおもな活動地域ですので とても身近に感じられるんですけれども、 日本からですと、ちょっと、 感覚として「遠い」じゃないですか。 だから、フランスやベルギーと同じような 取り組みかたは、最初はできませんでした。 日本独自のプログラムを組んだりしないと、 いきなり 「シエラレオネでこういうことが起こって」 と日本で言ったとしても、 普段からそういう報道がよくあるわけでもなく、 多くの人には知識がないですよね? ですから、フランスでわたしたちが出している ニューズリリースを、そのまま発表しても、 前提の差のために、通用しないと思いますし・・・。 ですから、最初は ほんとに地味な活動をしていました。 だんだん日本でも、欧州に近い 広報活動をしようと思っていますし、 その努力はしていますけど。 ----ボランティアが見えにくい日本で、鎌田さんは、 どうして国境なき医師団に入ろうと思われましたか? わたしは、フランスで生まれ育っています。 向こうにでは、国境なき医師団は 当たり前の存在でした。 ちょうどわたしが大学で勉強していた分野も、 国際関係、その中でも アフリカを選択していましたので、 ちょうど自分の専門に、 国境なき医師団の動きが当てはまっていました。 ある意味では、憧れの団体だったと思います。 ----大学もフランスの、ですか? はい。 ----フランスの中にある「国境なき医師団」に、 入ろうとは、思わなかったですか? 大学院にいた時に、 研修制度というものがありまして、 単位のひとつとして 6ヶ月の研修をする機会ありました。 国際関係の勉強をしていたので、 やはり国際NGOには興味を持っていまして。 たまたま、MSF日本が 研修生を募集しているのをみて 応募したのです。 6か月間の研修を終えたあとに、 スタッフとして残ることに決めました。 非常にやりがいのある仕事だと思います。 ----どういうところが? 国境なき医師団の広報というのは、 ただ、名前を知られるためにしているのではなく、 報道することによって 災害地の被害者の人たちの状態を 改善するためなのが、まずひとつです。 それと、日本で、 あるテーマについて なるべく多くの人々に伝えて、 どうしたら理解してもらえるか、を 常に考えているわけですが、そこがおもしろいです。 ----日本で普通に暮らしている人と比べると、 国境なき医師団のスタッフのかたたちは、 ふだんから、特別な新聞を読んだりしていますか。 インターネットでフランス、イギリス、 アメリカなどの新聞を読んでいまして、 事務所では、朝日・毎日・読売・日経・ 産経新聞・ジャパンタイムズを取っています。 実は、日本の報道を知ることが大切です。 なぜかというと、日本で広報活動をする中では、 日本の新聞に取り上げてもらうわけですから、 日本で何が報道されているか、 何が報道されていないか、を把握することが、 非常に重要なんです。 ・・・それに、日本と外国での 情報の取り上げ方を比較するのも、興味深いですし。 ----フランスで育って、国境なき医師団に憧れた、 とおっしゃっていましたが、具体的にはどのように? 小さい頃から、MSFの活動をニュースでみていました。 政治、宗教、人種など関係なく 困っている人々を救いに行ったり、 メディアに出たりしていましたので、 子どもの私にとっては、 「正義の味方」のような存在だったのかもしれません。 【感覚を麻痺させないために】 ----もともと、学生の時から、 将来の職業としてNGOに入ろうとしていたのですか? そうでもないですね。 特別、国境なき医師団にはいろうと思って 国際関係を勉強していたわけでもないです。 ただ、ひとつの選択肢として、 国境なき医師団に参加する、 というのは、もちろんありましたが。 ----NGOでの、個人の働き方を、教えていただけますか? 現地にいるボランティアは、 医療関係者でしたら6か月のあいだで、 ひとつの援助の責任者はだいたい1年従事します。 けっこう、入れ替わるのが、はやいんですよ。 だから、その間に従事した人が 現地で得た知識をなくさないために、 ガイドラインをしっかり作っておきます。 それまでの人たちが経験したことは、 書き残さないと残らないので、 常にガイドラインを再発行していくんです。 ----責任者が1年働くとか、 医療関係者が6か月だとかいう、 その期間に設定している良さは、あるのですか? この期間の短さは、重要なんです。 と言いますのも、国境なき医師団は、 長期援助の得意な団体ではないんです。 長期援助をするには、どうしても 2年3年現地にいる必要があるので、 たしかに、6か月で入れ替わることは、 期間がはやすぎるという面も、あります。 しかし、紛争地域は、異常な状態ですので、 あまり長くいて、慣れてしまうのは、 危険なことになるんです。 感覚が麻痺する、というか、 銃が飛び回っているのに何にも感じなくなるというか。 フランスから現地にきた医師が、 前に話してくれたんですけれども、 彼は何か、ソマリアかどこかの 内戦のとき活動をしに行っていたそうです。 すでに何か月もいた状態の時に、 現地に着いたばかりの医者と一緒に 手術をしていたんですって。 そうしたら、、急に攻撃を受けたらしいんです。 みんなは当然、「あ!」と言って伏せたんですよ。 それなのに、彼は、「何だよ、弾くらい」と ケロッとしていたそうです。 その時に、はじめて、 自分がこの地に長くいすぎて、 危険の感覚を失ったということに、 非常にあぶなさを感じたそうです。 ほんとうだったら、自分も伏せるべきだったのに、 「あまりにもこういった日常に慣れてしまって、 当たり前になってしまっていた。 でも、そういう態度を取る自分が、 この地では、一番危険で間違っていた」 と言っていました。 紛争地域に長く留まることは、 精神的にも、ボランティアにはよくない、 というのは、確かなんですよね。 やはり、そういった地域で活動をしていたら、 危険を感じる必要がありますので。 例えば責任者であれば、危険を感じたら、 どこかに避難をさせることなどが、必要です。 やっぱり、ボランティアなのですから、 危険が近づいたとわかったら、 避難や撤退の指示を出す必要があります。 だから、 危険に敏感でなければならないんですよね。 この点は、とても大事だと思います。 組織のうつりかわりや、 危険と慣れとの関係について ヒントをもらうような内容を受けて、 今回の取材は終了いたしました。 「国境なき医師団」のかたがた、 ご協力いただき、ありがとうございました。 なお、国境なき医師団日本のホームページは、 こちらになります。興味のあるかたは、どうぞ。 現在、南アフリカの医薬品の特集をしているそうです。 (おわり) |
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2001-04-04 |