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「HOBOP」と「HOBOT」の販売と、 『国境なき医師団』などのことについて(その3)。 (※第0回はこちら、第1回はここで、第2回はこちらです) こんにちは。ほぼ日のメリー木村です。 「国境なき医師団」のおおまかなスタンスや、 お金の使いかたなどについて、たずねています。 今回は、「数人ではじめた団体を、 徐々にテコ入れしていった」という話題です。 よく、スポーツでは、 「人は、自分でイメージできる タイム以上に、速くは走れない」とか、 「まぐれ当たりのパンチというのは、絶対にない。 まぐれに見えても、それは、 何度も何度も練習をくりかえしてる途中で いつか打ったパンチを体が覚えていただけで、 それをある時に、素晴らしく出したに過ぎない。 人は、急に、奇跡的な打撃をすることはできない」 というようなことが言われます。 個人の運動において、 よく言われるこの言葉は、 多数の人間のいる企業や団体の動向にも、 割と、あてはまるのではないでしょうか。 つまり、「こういうイメージのことをしたい」 と、片鱗ででも誰かが思っていなければ、 組織を具体的には、誰も何も変えようがないからです。 「国境なき医師団」は、設立当初は、 かなり言論性が強く、ロマンに満ちたもので、 『ボランティア』と言われて、普通の日本人が 「こういう人たちがこういうことをするのね」 とイメージするような団体だったように感じます。 その団体が、徐々に、 証言や世論へのメッセージ性よりも 「効率的な援助」や「物質の配給」を 重視するように変わっていったようなのです。 その変化を、取材中のわたくし木村としては、 「これは、『自然に変わった』のではなく、 誰かが、意識的に『変えた』のだろうなあ」 と感じながら、話を聞いていました。 つまり、最初に言ったことで言えば、 何をしたいか、何を重視するか、の 「イメージを具体的に想定してみた」 結果としての、変化に見えるのです。 そういう視点で、 効率的で物質的な面を重視する団体に 変化した過程を、ひきつづき「国境なき医師団」広報の 鎌田葉子さんに、淡々とですが、伺っています。 お読みくださると、うれしいです。 ![]() (「国境なき医師団」のパンフレット) 【効率的な組織になるための、変化】 1971年に「国境なき医師団」はできたのですが、 最初はほんとうに少人数でやっていて、 効率的ではありませんでした。 「自然災害が起きると、48時間以内にかけつける」 という現在の姿は、さまざまな変化を経たものです。 1979年に、国境なき医師団は分裂をしました。 「国境なき医師団(MSF)」と 「世界の医師団(Medecins du Monde)」との ふたつに、分かれたのです。 最初の設立者たちが、どのような方向性で これから進んでいくべきかという議論が出た時に、 2派にわかれたんです。 そのうちのひとつの派(クシュネル派)は 証言に重きを置いていたんですけど、 もう一方の派(マリュレ派)は、 「『国境なき医師団』は、 プロフェッショナルでなければならない。 やはり効率的に活動するには資金が必要だし、 もっと組織化しなければならない」 と主張をしました。 マリュレ派が残り、現在の 国境なき医師団になりました。 それから組織化、効率化をするようになります。 なるべく公的な基金ではなく 個人の寄付を集めようと、 こころがけていくようになりました。 個人の寄付でしたら、公的な基金とは違い、 ほんとに独立した活動ができるというか・・・。 また、いろいろな活動をキット化したり、 ロジスティック(物資・技術管理)という 概念をとりいれたりしてきました。 最初の頃は、現地に行った医師が、 それこそ自分で、何もかも やらなければいけなかったんです。 家を手配したり、契約を結んだり、 医薬品を保存する冷蔵庫を手配したり、 電気が切れたら、もとどおりにしたり・・・。 そうしていると、結局、 医療活動に専念をできなかったので、 医療援助の際、70年代には ロジスティシャン(物資調達要員) という分野ができました。 それと、地震が起きた時には、 まさに、ただちに現地にいなければならないので、 フランスのボルドーには「国境なき医師団」の ロジスティックセンターというものができました。 そこには、キット化した医薬品がそろっていて、 それは通関済みで、24時間以内に飛べるように、 倉庫に何百種類もキットがそろっています。 「難民用キット」だとか「コレラ用キット」など。 コレラ患者が何人いるかによって、 1000人用キットだとか。 そうしたら、テントや包帯や薬品など、 必要なものがすでにキット化されています。 こうやって、物資に力を入れているところが、 「国境なき医師団」のひとつの特徴だと思います。 自前のロジスティックセンターを持ったということで、 結局、迅速に対応できるきっかけになりました。 例えば、地震の場合、いくら48時間以内に 現地に辿り着けるとは言っても、それでは遅いんです。 すでに死亡者が多数出てしまっているし、 また、「国境なき医師団」の医者たちは レスキュー活動の専門家でもないわけです。 そういう現実を見て、地震の場合などは、 物資に力を入れるようにしています。 すでに存在している現地医療機関のサポートをしたり、 テントやシェルターを送ったり・・・。 ![]() (「国境なき医師団」のパンフレットより) ロジスティック(物資調達)の中でも、 「国境なき医師団」は 飲料水の確保に特に力を入れています。 飲料水は、非常に重要な役割を果たします。 94年にルワンダで虐殺が起きた時に、 おおぜいの人が 難民キャンプに集まっていたのですが、 それは非常に不衛生なものでした。 狭い場所に、多くの人たちがいて、 そういう時に医者が医療活動をしても、 どんどん人が死んでいくだけなんです。 飲料水もなく、不衛生で 伝染病が発生してしまうからです。 密集していますので、 伝染病があったら、一瞬で感染します。 ひとりひとりを治療してても、 やっていけないというかたちですから、 だから、ルワンダの時にも、 最初にロジスティシャンが派遣されました。 井戸を掘って水道をひいて・・・。 実は、最初にいちばん重要なものが、 飲料水の確保だったりするのです。 それなくしては、どんなに力を入れても、 ちょっと、むだだというところもありますので。 「どんなに力を入れても、むだ、という状態に ならないために、組織を効率的に分裂させる」 「医師団ではあるけれども、医療をやる以前に、 絶対に必要な、物資調達の分野を充実させる」 話を聞いていると、試行錯誤のすえに 変化してきた様子が、よくわかりました。 また、途中でサラッと述べてある 「公的なところの援助をもらわずに なるべく個人の寄付で運営をする」 というのは、すごく大事な方針なのだそうです。 公的なところからの寄付の場合は、 そのお金の使いみちに、制限を受けるからです。 「このお金を、こう使ってください」と 言われることを避けて、 独立して自由に動けるように、 なるべくなら、公的基金ではなく、 個人の寄付を受けたい、というようなのです。 (※なお、「国境なき医師団日本」の場合、 99%が、個人からの寄付だそうです) 明日のこのページでは、 「国境なき医師団にいる人は、 どういうきっかけで、参加したのか?」 ということを、主にうかがう予定です。 (つづく) |
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2001-04-04 |