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資料#010
耳は目ほどにものを得る
今から5年ほど前の話です。
天気のよい、
ある土曜日の夕方。
その日、ぼくは
前日からの徹夜仕事を終え、
やっと家に帰ってきたところでした。
布団を敷いたはいいけど、
徹夜の興奮からか、なかなか寝付かれません。
その時、
「トゥルルー」
と電話が鳴りました。
「ハイ、小貫です」
「もしもし、私、○○○の×××というものですが」
とてもきれいな女性の声です。
でも相手に覚えはありません。
なんだかウサン臭いです。マルチな雰囲気満々です。
「小貫様は英語が喋れなくて
困ったことがございませんか? 実は私どもは〜」
そらきた。
どうやら英語の教材を買えと言っているようです。
でも、ぼくにはそんなモン買う気も、
買うお金もありません。
「けっこうです」といって
電話を切ろうかとも思ったのですが、
その女性の声が、鈴を転がすというか、
耳元で囁かれているというか、
なんだか受話器越しに
三半規管をくすぐられているような感じで、
たいへん気持ちよく
「もうちょっと喋っててもいいかな」と思い直しました。
「具体的にどんな商品なんですか?」
敷いた布団に寝転がって、そう尋ねると、
シメタとばかりに彼女が続けます。
「もしよろしければ、一度会っていただいて〜」
「いや、その前に少しだけでも知っておきたいので・・・」
「それでは。ウチの商品は・・・で、
・・・・な・・・・です。
ですから・・・・なわけで、
それで・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
彼女が一所懸命、説明しています。
ぼくは適当に相づちを打ちます。
とても気持ちいいです。
でも、でも、でも、でも。
ああ、三半規管が、三半きかんが、さんはん・・・・・
ぐるぐる目が回ります。
彼女の声がだんだん遠くなっていきます。
もう何を言ってるのかわかりません。
次に気づいたのは自分のいびきの音でした。
大いびきです。
よだれが出ているのがわかります。
受話器はしっかり耳に当てられていました。
「もしもし?」
「プー、プー、プー」
電話は切れています。
時計を見ると1時間が経過していました。
どうやらぼくは呆れられてしまったようです。
徹夜明けの、たった1時間の睡眠にしては
たいへん寝覚めがいいです。
でも、こんな気持ちのいい時間を
提供してくれたにも関わらず、
結局、会うことも、
教材を買ってあげることもできませんでした。
ちょっと後ろめたい気分です。
「なんて気持ちよかったんだろう。
マルチのおねえさん、ありがとう」
ぼくは、なんだかその電話が、
まだ彼女とつながっているような気がして、
しばらくの間、切ることができませんでした。
以来、ぼくにとっての「気持ちいい眠り」とは、
「耳」にあります。
子供を寝かしつけるのに、
おかあさんが昔話を聞かせる、
という行為をあなどってはいけません。
きっと生理学的にも理由があるんじゃないかと思います。
ちなみにその後、きれいな声の女性と付き合って、
同じような経験をしましたが、
それが引き金となってフラれてしまいました。
(真剣に悩みを相談していたそうです)
小貫 正貴
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