『さんぽブック』を持って スカイツリーの街に出かけよう。

「東京スカイツリー(R)うんちく50」の人気コーナー「ここから見えるよMAP」と、昭文社さんのガイドブックがコラボしました。できあがった本の名前は『東京スカイツリー(R)さんぽブック』といいます。巻末にとじこまれている大判地図が、「ここから見えるよMAP」なんですよ。できたてのほやほやの、この本を片手に、スカイツリーのふもとの下町や新名所に、さっそくおさんぽに行ってきました。

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あさくさ やえ

雷門で待ち合わせ。

下町生まれのカサイさんに、
「浅草にお散歩に行くんですけど
 カサイさんも、ぜひー!」とお願いしたところ、

カサイ
「ぼくの知り合いが、浅草にいるから、
 そいつに案内させるよ。」

というわけで、今回は、
カサイオカムラやえと、
カサイさんのお友だちの
柘恭三郎(つげきょうざぶろう)さんの4名で
浅草をさんぽすることに。

柘さん、なんと、着物姿で登場です。
柘さんは、柘製作所という
パイプや万年筆を作っている工房の専務さん。
ドイツの「タバコ・コレギウム(たばこ学会)」から
世界に5人しかいない、
「パイプの騎士」(PIPE KNIGHT)の称号を贈られた
アジアでただひとりの方だそうです。
時代劇の時代考証や、『何でも鑑定団』で
ライターやパイプの鑑定もされているとか。

浅草のみどころと、
下町文化を教えていただきました。

雷門
仲見世
浅草 やえ

浅草は職人の町。

ちょっと早いけど、まずはお昼ごはん!
洋食屋の「ヨシカミ」さんが満員だったので、
仲見世からすぐのところにある
「すし栄」さんへ。

「すしはやっぱり江戸前だねえ。
 ここの店主は、
 一握り、米160粒。
 職人だよ。」と柘さん。

「浅草は、職人の町でね、
 昔から腕で勝負してる人間が多いんだよ。
 浅草で作ったものを、
 馬喰町の問屋街に卸して、
 全国に流通させるってルートが
 江戸時代からあったからね。
 たとえば、稲荷町は
 『万年筆村』って呼ばれてたな。
 プラチナ万年筆の本社と
 セーラー本社が上野にあって、
 パイロットが京橋にあった関係上、
 稲荷町周辺は万年筆の挽き物職人が
 いっぱい住んでいてね。

 そう呼ばれていたんだ。」

 オレが子どものころの浅草は、
 着物を着てる人もまだ多かったから、
 着物の様子を見れば、
 職業がわかった。
 職人、落語家、芸人、棟梁‥‥
 職人はたもとがあると仕事の邪魔になるから
 袖を筒型や船底型にして、
 身幅も細くしてたもんだねえ。」

浅草は観光の町かと思っていたら、
職人さんの町でしたか!

仲見世
寿司
寿司
浅草 やえ

江戸っ子スタイル〜組紐。

柘さんが、羽織のひもを見せてくれました。
あら? 左右の長さが違う。
その方が便利なのかしら?

「これは、戦後すぐの頃にいた
 あこがれの若旦那が考え出したもんで、
 おれら世代の旦那衆はみんなマネしてね。
 ここ、浅草にしかねえんだ。
 これを使っていると、
 『お、おめえ、そのひも使ってんのかい。
  知ってるねえ』となるわけだ。

 お茶席の着物だけが、着物じゃねえ。
 遊び人とか、かっこつけもんの着物の着方が、
 まだ、浅草にはあるんだよ。
 最近、若い人が着物を着るのが流行ってるだろ。
 あれだっていいんだ。着てくれるのが一番だ。
 ‥‥そうだ、組紐、見に行くかい?」

やってきたのは、組紐の「桐生堂」さん。
お店の表は、
ふつうのおみやげ屋さんのように見えますが、
奥に入ると、組紐がいっぱい。
明治9年創業の江戸組紐のお店です。

組紐
組紐
組紐
浅草 やえ

赤い帯。

新仲見世をとことこ歩いてましたら、
帯屋さんの前で、
柘さんが呼び止められました。

「あら、昨日は帽子かぶって、
 イタリア男のかっこをしてて
 めずらしいな、と思って
 声もかけられなかったけど、
 今日はお着物ですか?」と、
帯屋さんのおかみさん。

こちらは「帯源」さん。
お客さんには、噺家さんや役者さんが多いそうで、
「うちは修理もさせていただくんですけどね、
 お師匠さんにもらったものだからと、
 修理しながら何十年も使う方も
 いらっしゃいますよ」と、おかみさん。
三社祭の半天につける帯や、
お相撲さんの帯もありました。

おかみさんが、そういえば‥‥と
男物の赤い帯を出してこられました。

「柘さんにアドバイスいただいて
 つくってみた赤い帯が、
 還暦の祝いにいいって
 よく出るんですよ。
 赤い帯を買う人がいるなんて
 思いませんでした。」

やえ
え? 赤い帯ってめずらしいんですか?

「昔は、赤い帯を『腹切帯』って言っていた。
 江戸っ子は赤い色でも
 『血赤』を好んでいてね。
 たとえば珊瑚だって、
 血赤珊瑚が極上とされていたんだ。
 粋な色なんだね。
 黒い着物を着て赤い帯を締める。
 その上に黒い羽織をはおると、
 赤い帯がちらちらといい具合なんだ。
 いままで血赤の帯はなかったから、
 『赤いワンポイントって、いいねえ、
 作ってみれば?』と言ったのだよ。」

はあ、なるほど。
ふむふむ、と思っていたら、
柘さんはさらにこんなエピソードも
教えてくれました。

「衿の幅も、昔から仕事で決まってる。
 あるとき、好きな歌舞伎役者さんが
 着てた着物が、粋でかっこよくてねえ。
 呉服屋に訊くと、
 衿の幅をほんのちょっと狭くしているというんだ。
 あれと同じのを作ってくれって頼んだら、
 『旦那衆が役者と同じかっこしちゃあ
  いけません。』って、たしなめられて。
 仕事や役割で、かたちも違うんだ。」

帯源
帯源
浅草 やえ

ステテコがああ〜。

新仲見世には、
どてらやジャンパーを売っている
洋服屋さんが並んでます。
柘さんはきょろきょろしていた私に向かって、

「バブルの頃に、ブランドが流行っただろ?
 ブランドもんでも置いたらどうだ
 ってアドバイスしたら、
 『浅草じゃ、ブランドもんなんて売れないよ。
 これが売れるんだ。』
 って、言っててねえ。」
と教えてくれました。

浅草に遊びに来たときに見かけるたびに、
売れるのかなあ?
と、ふしぎに思っていたのですが、
売れ筋なのですね。なるほどー。

永澤屋さんというお店の前に来たところ、

「おっと、休みだ。
 ここ、おれがいつも買うところ。
 このステテコ、動きやすいし、
 あったかいんだ。」
と、おもむろに、着物をぱっと上げて
みせてくれました。
いや、いや、いや、道ばただから。
びっくりしました。はい。

永澤屋さんは、明治3年創業の
足袋と下着のお店。
職人さん手作りの足袋やステテコ、
ももひき、半襦袢、
鯉口シャツなどがあるそうです。

新仲見世
新仲見世
永澤屋
浅草 やえ

江戸っ子は、蕎麦。

続いて、はきもの屋さんに
案内してもらうことに。
その途中に、そば屋さんの看板が。

やえ
「江戸っ子はそばが好きって言いますけど、
 柘さんも、おそばがお好きですか?」

「小さいときからさ、
 『うどんは、女、子どもの食べ物だ。』って
 訊いて育ったね。
 だから、子どもの頃は風邪をひいても
 意地張って、
 『オレは男だ!』って思って食べなかった。
 うどんをはじめて食べたのは、
 中学に入ってからかなあ。
 (小声で)うどんもいいよね。」

散歩
そば
浅草 やえ

江戸の下駄は、真っ角(まっかく)下駄。

和泉屋さんという文化文政年間創業という
はきもの屋さんに到着。

昔は下駄の種類がいっぱいあったそうです。
柘さんのお気に入りは、
ウインドウにも並んでいた
「真っ角(まっかく)下駄」。
はじめて見ました。

「今日は朝、雨だったから、
 雨用の下駄をはいてきたけど、
 いつもは、『真っ角』って、
 長方形真四角の、角が直角になっている
 下駄をはいてるんだ。
 幅が細いほどかっこいいんだけどね、
 こいつは、実は、とても歩きにくい。
 歩きにくいのをがまんしてはくのが、粋。
 やせ我慢と見栄でもって、
 シャイな部分がないと江戸っ子じゃねえ。」

やえ
江戸っ子は、やせ我慢と見栄なんですか?

「初物がいい、ってよく言うだろ?
 でも、手に入りにくくて値段が高いものを、
 当時の町人は食べられなかったと思うよ。
 食べてなくても、初物がいいって言うんだよ。
 宵越しの金はもたねえってのも同じ。
 毎日、金をつかい切るっていうんじゃなくて、
 もともと金がないときにも、こう言ったと、
 おれは思うなあ。」

いろいろな江戸っ子話をうかがううちに、
江戸っ子の粋というものは、
モテる、モテたい
のあらわれではないか?
と思いついた私です。

和泉屋
和泉屋
浅草 やえ

和傘。

 

和泉屋さんには和傘もありました。

「どうどう? にあう?」と柘さん。
和服姿に、お似合いです。

和傘は福島や岐阜の
職人さんがつくっているそうで、
光にあてると、
和紙のこまかい繊維が浮き出てきれいです。
繊細な糸かがりを、
できる方も少なくなっているとか。

和泉屋
和泉屋
和泉屋
浅草 やえ

千社札と旅行。

柘さんとカサイさんは、どんどん歩いていきます。

ふと、柘さんが立ち止まり、
「千社札」というものを見せてくれました。

「千社札っていうのは知ってるかい?
 仲間で日本のあっちこっちを旅行して、
 神社にお参りに行って、
 こいつを神社にはるわけ。
『さんぽガイド』の昭文社さんといえば、
 地図つくってるところだろ?
 その旅行に持っていく地図は、
 かならず昭文社のにしてるんだ。
 こまかいところまで載っていて正確で、
 地図のなかで一番使えるねえ。」

やえ
ありがとうございます!
『さんぽブック』を編集された、
昭文社の坂口さんもよろこびます。

そんなことを話ながら、
「浅草ROX」まで来ました。

カサイが、この先に「浅草ロック座」という
いま、活躍されている年配の芸人さんたちが
お若い頃に修行をされたところがあると
教えてくれました。
浅草ロック座、名前は訊いたことがあります。

「昔の区画だとね、
 あっちから、浅草1区、2区、3区ときて、
 あそこが6区。
 だから、浅草ロック座。」と柘さん。

え? 「浅草ロック座」の「ロック」は、
音楽の「ROCK」じゃなくて、
「6区」でしたかあ。

千社札
千社札
ロック座
浅草 やえ

昭和スター。

それまで、
すたすた、カランコロンと歩いていた、
カサイさんと柘さんの足が、
ぴたっと止まりました。

「昭和スターかるた発売中」

カサイ
「浅草に『マルベル堂』という
 プロマイドを撮る写真館があってね。
 いや、ここは写真館じゃなくて、
 系列のレストランだけどさ、
 有名だったんだよ。」

柘さんも、うんうんと、うなずきながら
「スターのプロマイド、
 中学の頃、買ったなあ」。

昭和スター
昭和スター
浅草 やえ

洋食ヨシカミ。

柘さんが指さした先に、
「うますぎて申し訳ないス!!」
と書かれた看板が見えました。

カサイ
「あそこのビーフシチューは、
 うまいんだ。
 昼時は並ぶからね、
 すいている時間を見計らって行くのがいいよ。」

カサイさんも柘さんも、
「浅草に来たら、一度はここで食べなきゃ」と
おすすめです。

わ〜、この次に浅草に来たときは、
食べに行かなきゃ。
『おさんぽガイド』でも紹介されているから、
道順は、ばっちり。
迷うことなし。
(実は、やや方向音痴の私。
 朝、駅から雷門までの道を迷ったのでした。
 とほほ。
 カサイさんが迷っている私を発見して、
 雷門まで連れてきてくれました。)

ヨシカミ
ヨシカミ
浅草 やえ

ここからも、スカイツリー。

江戸の町を再現したお店が並ぶ
伝法院通りを抜けて、
仲見世方面へ。

「梅園」という甘味屋さんの先に、
スカイツリーが見えました!

伝法院通り
スカイツリー
浅草 やえ

手仕事。

柘さんが、
ひょいっとウインドウをのぞき込みました。

「この指物(さしもの)なんて、
 職人の俺が見ると、うなるねえ。
 桑物の木目の出し方や、
 寸法がなんともいえない。
 桑物ってのは、桑の木のことだけど、
 あつかいが難しいんだ。」

指物というのは、小さなタンスや
箱とか机のことを言うのですか。
メモメモ。

釘や接着剤を使わずに、
木と木をつなぎ目を見せないように
つないでいくのだそうです。

このお店のそばには、
三味線屋さんが。

いままで浅草に来たときは、
気がついてなかったけど、
職人さんの町なんだなあと
だんだんわかってきました。

指物
三味線
浅草 やえ

もり銀さん。

 

銀のアクセサリーや根付けを
製造販売されている
もり銀」さんへ。

お店に入ると、銀でできた
アクセサリーや、根付け、
ぐいのみ、鈴、バックルが並んでいます。

人間国宝の彫金家・奥山峰石さん
という方が監修された
えとの根付けの
うさぎが、かわいい〜!

三味線
三味線
浅草 やえ

天ぷら屋さん。

浅草に来たなら、
天ぷら!
天ぷら屋さんを教えてください〜。

「有名なのは、大黒屋だねえ。
 大黒屋もいいけど、
 こっちもいいよ。」

と教えてもらったのが、
中清」さん。

明治3年から続くお店だとか。

お店の雰囲気もすてきです。
記念撮影しちゃいました。

親が上京してきたときに
つれてきたら、喜ばれるかもー。

その後も、カサイさんと柘さんは、
しばらく、天ぷらやうなぎの話で、
盛り上がっていました。
おじさんたちが足を運ぶお店は
かなり気になります。

三味線
三味線
浅草 やえ

アンヂェラスでお茶を。

山小屋風のレトロな喫茶店で
お茶をすることに。
なんでも、池波正太郎さんも
通っていらした老舗とか。

カサイ
「昔、『浅草に行ったら
 アンヂェラスのお茶とケーキ』
 というのがラジオCMでよく流れてたなあ。
 有名だったんだよ。」

大手メーカーさんや商品じゃなくて、
喫茶店がCMを出す時代も
あったんですねえ。

お店の名物「アンヂェラス」
というチョコレートケーキを
いただきました。

アンヂェラス
アンヂェラス
アンヂェラス
浅草 やえ

煙管は江戸の職人技の結集。

柘さんがおもむろに
煙管(きせる)を取り出しました。
江戸時代のものだそうです。

「この吸い口のかたちは元禄って言ってね。
 元禄時代に流行った袖のかたちを
 見立てているんだ。
 江戸時代の職人は、
 こういう見立てをよくしたんだねえ。」

「日本の煙管は、西洋のパイプに比べて
 煙草を詰めるところが小さいだろ?
 これは煙草の葉を細く刻む技術が
 あってこその大きさなんだ。
 江戸時代から、日本には、
 煙草の葉を0.1ミリほどの
 極細の幅に刻む技術があったんだよ。
 
 刃物が葉にぴったりしすぎると、
 葉がひっついちゃって、きれいに切れないだろ?
 だから、刃物もほんの少し湾曲させてさ、
 切り刻む。
 左から葉を包丁に向けてずらしていくんだけど、
 そのとき、ずらすのに使ったのは
 手じゃなくて、竹。
 竹の弾力を使って、極細に刻んだわけ。
 職人技だねえ。」

煙管につかう煙草の葉をはじめて見ましたけど、
たしかに、糸よりめちゃめちゃ細いです。
これを機械じゃなくて、手で作るなんて、
それはそれは、すごい技術だなあと。
江戸の職人の技術って、おもしろそう!

江戸の職人技や町人の暮らし、
江戸っ子の話を
たくさんうかがうことができて、
なんとも、たのしいおさんぽでした。
柘さん、ありがとうございます!

アンヂェラス
アンヂェラス
浅草 やえ

浅草から見るスカイツリー。

さて、浅草をおさんぽすると、
そこかしこから、スカイツリーが見えます。
スカイツリーができつつあるおかげで、
浅草も観光客が増えて、大にぎわいだとか。

そして、この浅草で、
スカイツリー撮影の
ナイススポットといえば、
オカムラが撮ってくれた
アサヒビール本社の金色のオブジェと
一緒に撮る1枚でしょう!

江戸の下町文化が残る町、浅草と
スカイツリーをたのしんでくださいね。

スカイツリー
スカイツリー
スカイツリー
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