第11回 のせないラーメン

糸井 ぼくらにとっては、
自分がまだうまく走れなかった
ローギアのころが
たしかにおもしろかったけれども、
セカンド発進してる若い人たちがダメかというと
絶対にそんなことはないと思うんです。
白岩 そうですか。
糸井 それは、自分たちの世代だって、
上の人たちから見れば
ローギアすっ飛ばしたセカンド発進だろうし。
白岩 ああ、なるほど。
糸井 ものや機会にめぐまれてることも、
悪いことじゃないと思う。
「貧すれば鈍する」の反対のことだって
たくさんあると思いますよ。
やっぱり豊かさって、心をよくしますから。
豊かで、奪い合う必要がない民族がいたら、
そこはとっても平和だと思うなぁ。
『MOTHER2』でいうと、どせいさんですよね。
白岩 ああ、どせいさん(笑)。
糸井 うん。どういったらいいかな、
豊かなんだけど、
自分が豊かだと気づいてなくて、
そこで、すごく自然に、
自分のままでいることって
いいことだとぼくは思うんですね。
白岩 いいこと。そっか。
糸井 たとえば、自分の子どもとラーメン屋に行くと、
ぼくなんかはやっぱり、
ラーメンにシナチクのせたり
チャーシューのせたりするんですよ。
ふつうのラーメンって頼めないんです。
白岩 ?? なんでですか?
糸井 「なんでですか?」って言うでしょ(笑)。
白岩 うん。
糸井 そこがいいなぁと思うんですよね。
だから、ぼくなんかは、こう、
より、おいしくしたい、
そのぶんのお金はないわけじゃないし、
って思っちゃうんですよ。
白岩 より、おいしくなりますか?
糸井 そういうふうに
当たり前に思えるのが若い子なんですよ。
だから、子どもは「ラーメン」って
ふつうに注文するんです。
ところが、ぼくは、
「どうしようかな、じゃ、メンマ大盛」とかね、
余計なことを言っちゃうんです。
白岩 へぇーー、そうですか。
その考えは、まったくないなぁ。
糸井 だから、ふつうに「ラーメンひとつ」って
頼める人たちの豊かさに、
もう、たじろぐんですよ。
白岩 チャーシューなり、メンマなりを
のせるのが正式なことだ、
っていうふうに設定されてるんですかね。
ぼくらは、なければなくてもいいしって思うけど。
糸井 あるのに大盛にしちゃうっていう、
そういう貧しさなんですよ。ぼくらは。
白岩 そこに価値がぜんぜん感じられないですね。
それをする意味がまずわからない。
糸井 それなんですよ。
それに、たじろぐんですよ、ぼくは。
たじろぐっていうかね、
親と子の年齢差があったとしても、
ただ「ラーメン」って言う人を、
「かっこいいー!」って思うわけ。
白岩 かっこいいんだ(笑)。
糸井 だって、立ち食いそば屋に行ったって、
ちくわの天ぷらとか
いろいろのっけちゃいますよ。
下手したらちくわの横にコロッケのせて、
こんなに盛り上がったの食って、
「やったー」なんて思ってますよ。
白岩 はーー。ぜんぜん、ないですね。
糸井 ないでしょう?
白岩さんの小説もそういうところがありますよ。
つまり、のせてないんですよ。
白岩 あ、そうか、そうか。のせない、のせない。
糸井 ちくわの天ぷらも、チャーシューも。
白岩 たしかにそうですね。
要らないと思っちゃうんですよね。
糸井 そもそものせるってことを考えてないですよね。
ラーメン食べに来たんだからさ、って。
白岩 考えないですね。
もしも、たのんだものに、いろいろのってたら、
不快なものとして排除すると思いますね。
そうか、そんなふうにして、
知らないところでぼくらは成り立ってるんだ。
糸井 この「ついのせちゃう話」っていうのは、
ぼくらが苗木として育ったときに
いかに栄養が足りてなかったかっていう証拠で、
認識をあらためるようなことじゃなく、
もう、自分の歴史として刻まれてるんですよ。
ちょっと前に、東京タワーがにょきにょきと
生えていく映画がヒットしましたけど、
あれは、東京タワーが建っていくことに
感動した時代があったっていうことなんです。
ぼくらは、その世代だから、のせるんですよ。
白岩 東京タワーは、
もうずっと前から建ってたもんなぁ。
そっか、そんなことはまったく考えてなかった。
糸井 ただね、いま、ぼくは、
「のせる側」の人たちが遠慮しすぎるのも
よくないなぁと思ってるんですね。
白岩 ああ。
糸井 つまり、のせる方も、のせない方も、
両方、遠慮しちゃダメだなと。
白岩 それはそうですね。
のせる人はのせるし、
のせない人はのせないし。
糸井 うん。のせる人の数って
ちっとも少なくないわけだし、
そのバランスは別にかまわないと思う。
白岩 おもしろいですね、それ。
のせるとか、のせないとか、
そんな概念、聞いたこともなかった。
糸井 ああ、そうですか。
あの、違う言い方だけれども、
食べ物って、おいしいものを追求しながら
どんどん歳を重ねていくと、
味があるんだかないんだかよくわからない、
みたいなとこまでいくんですよ。
白岩 はい、はい。
糸井 「このお出汁は、
 昆布をサッとお湯にくぐらせたもので」
みたいなところにいくと、もうそれ、
若い人にはおいしくないとさえ
いえるものになってるわけです。
白岩 うん、なってますね。
糸井 ひとつのほうへ極端に進んでいくと、
そういうことになってしまう。
でも、それもおもしろくないというか、
すくなくともぼくは、
そこへ引っ張られちゃダメだなと思ってる。
で、ここのところぼくは、
急に「カツ丼だ」って言い出したんです。
白岩 は?
糸井 カツ丼に目覚めたというのかな。
白岩 ちょっと待ってください(笑)。
急にカツ丼とおっしゃられましたが‥‥。
糸井 あのね、だから、ちょっと油断すると、
ぼくも「微妙な昆布のお出汁が」っていう
文壇の人たちがしゃべっているような世界に
口を出してみたいなっていう
気分になっちゃうんですよ。
だから、あえて意識して、
「のせる自分」も遠慮なく復活させていこうと。
その象徴として、「カツ丼だ!」と。
白岩 はぁ。
糸井 わかんないと思いますけど(笑)。
白岩 そうですね(笑)。
そのカツ丼の思想には共感できないというか、
たぶん、ダメでしょうね。
糸井 知らないからね、カツ丼のおいしさを。
白岩 じゃあ、もう、
のせない方向で行くしかないな。
こっちはこっちで。
糸井 そうするとね、
ミニマルミュージックみたいになるんですよ。
白岩 ミニマルミュージック?
糸井 だから、違うタイプの女の子に
一回、ガツンとふられたりすると
いいかもしれませんね。
ミニマルミュージックなんてまったく聴かない、
カツ丼成分を秘めた女の子がある日現れてさ、
すごく魅力的だったりすると人は変わるから。
白岩 そうなんですかね。むぅーー。
糸井 そういうのもありですよね。
白岩 そっかー。しかし、小説の話から
カツ丼までいくとは思ってなかったな(笑)。
糸井 いや、ぼく、小説の話なんて、
たくさんはできないから
しょうがないんですよ。
白岩 いやいや、それはもう、
ぼくもいっしょです(笑)。
(続きます)
2009-08-04-TUE
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