「相馬で気仙沼
さんま寄席」とは?

いままでを振り返りながら、
ご説明します。

「気仙沼さんま寄席」がはじまったのは、2012年の3月。
そもそものきっかけは震災の年(2011年)の10月に
気仙沼市長・菅原茂さんと糸井重里が
会ったことからはじまります。

毎年秋に東京・目黒で行われている「目黒のさんま祭」。
このお祭りで無料でふるまわれる新鮮なさんまは、
気仙沼が提供しています。
「震災の直後ですが、
 気仙沼市としては今年も同じことをしたい。
 目黒にさんまを贈る費用をつくりたいんです。」
そんな相談を市長から受けた糸井は、こう答えました。
「全国の人たちがわざわざ気仙沼まで来たくなる
 そんな落語会を開いて、
 みんなで働いて、さんま代を稼ぎましょう」
これが「気仙沼さんま寄席」のはじまりです。

全国からたくさんのお客さんを集めるために、
糸井は迷わず、立川志の輔師匠に出演を依頼しました。
すると師匠から、
「よくぞ、わたしに声をかけてくださいました」
というご快諾のお返事が。
かくして、
「1000人もの人がわざわざ遠くからやってきて、
見たくなっちゃう落語会」という
企画がはじまりました。

1000人ものお客さんをお迎えして、
たのしい時間を過ごしてもらうには
現場のみなさんの力も必要です。
そこで、地元の人々が中心になって
「気仙沼さんま寄席実行委員会」がつくられました。
準備は着々と進められ、ついにその日がやってきました。
2012年3月25日、日曜日。
東日本大震災から約1年後の気仙沼市民会館で、
第1回目の「気仙沼さんま寄席」が開かれました。

この企画は「慰問」ではありません。
さんまを贈るために
気仙沼の人もスタッフとしてはたらき
お金を「稼ぐ」イベントです。

▲スタッフとして働く気仙沼のみなさん。
▲何台もの観光バスが、震災から1年後の港町をさっそうと走りました。
▲続々と集まってきたお客さんたち。
▲ツアーのお客さんは、それぞれのコースのバッチをつけて。
▲はっぴ姿の「気仙沼さんま寄席実行委員会」会長、松井敏郎さん。

やがて「志の輔らくご」の幕があがります。

▲客席はのっけから爆笑の渦に。
▲糸井重里との「こたつトーク」というプログラムもありました。

「気仙沼さんま寄席」での志の輔師匠の高座は
どれも「伝説」になるものだったと、
わたしたちは思っています。
渾身の一席。
満場の観客は息を呑み、
ひとつの所作も見逃すまいと、
最高の集中力で目と耳と心を、舞台へと傾けていました。

あの名演を、私たちは決して忘れません。

▲みんなで、記念撮影!

2013年9月29日には
第2回気仙沼さんま寄席を、
2015年5月30日には
第3回気仙沼さんま寄席を開催しました。

▲第3回ではサンドウィッチマンのおふたりも出演!

イベントの日の様子は、
それぞれのテキスト中継で振り返ることができます。
よろしければぜひ、ご覧ください。

そして働いて稼いだお金は予定通り、
東京都目黒区の催し「目黒のさんま祭」
のためにつかわれました。

「目黒のさんま祭」の様子も、
2012年から4回テキスト中継でお届けしています。

▲糸井重里も、さんまを焼きました。
▲志の輔師匠も!
▲「さんま焼き隊」のみなさん、お疲れさまーー!

志の輔師匠の伝説に残る高座と
気仙沼の人々のおもてなしの心で、
毎回おおにぎわいをうんできた
「気仙沼さんま寄席」。
第3回で「さんま代を稼ぐ」という
目的を果たしたところで
ひとまずお休みをして、
次の開催について考えていました。

そんなとき、
新たなすばらしい出会いがありました。
それは福島県相馬市長・立谷秀清市長との出会いでした。

「ご縁があってつながった福島県相馬市で、
ぜひ気仙沼さんま寄席を開催したい。」
そんな私たちの思いを志の輔師匠にご相談すると、
「ぜひやりましょう。」とご快諾。
気仙沼のみなさんも「やるっぺ!」と
二つ返事で快諾くださいました。

イベントの名前は「相馬で気仙沼さんま寄席」。
気仙沼で実現したすばらしい時間の心意気やムードを
そのまま福島に受け継ぎたいと、
こういう名前に決めました。
イベントの内容も気仙沼と変わらず、
立川志の輔師匠の「志の輔らくご」に加えて、
翌日にはさんまや、
気仙沼や相馬のおいしいものをたのしめます。

大まかなご説明になりました。
次回は2017年9月17日(日)、
さんまが旬の秋開催です。

2012年にはじまったご縁が、
今度は新しい街でどんな風に交わっていくのか。
うれしくて、おいしくて、とびっきりおもしろい
「相馬で気仙沼さんま寄席」をどうぞおたのしみに!