重松 僕は今45歳です。
その30年前の1978年は、
山口県の小さな町に住んでいる
まったくさえない高校1年生でした。
ほんとうに根性もなくて、
何をやってもすぐにやめてしまってたんです。
ただ、それでも
「何かをやりたい、
 何かができるんじゃないか、
 俺がさえないままで終わるはずがない、
 終わりたくない!」っていう気持ちを
「どげんすりゃええんかのう」という
気持ちとともにずっと持っていました。

ある日、中学生のころから大好きな
矢沢永吉さんの自伝「成りあがり」が
出版されまして、
「これは買わなくては」と
バイトして買いました。
カバーがぼろぼろになるくらい
本気で読んだんです。
いい言葉だと思った部分には
線を引くほどでした。
たとえば‥‥
「初恋の相手とは結ばれない、それが人生」とか。
ちなみに、この部分がかみさんに
見つかってしまい、けっこう大変な目にも
あったりしました(笑)。

とにかくこの本からは「勇気」をもらいました。
実家は経済的に豊かではなかったので、
高校時代から日本育英会の奨学金を受け、
大学受験も奨学金と学費免除を前提に
進学する運びとなったんです。
がんばれたのは「成りあがり」からもらった
「勇気」があったからだと思います。
その後、永ちゃんと同じように
夜行列車に乗って上京したのが1981年でした。
あれから27年がたったいまでも、
僕の根底には「成りあがり」があります。

今回、「青春時代に出会う言葉」がテーマですが、
それは何も名作である必要はなくて、
不意打ちのように、たまたま目にした言葉、
手に取った本でいいと思います。
そのひと言や1冊に救われることがあるんだ、
ということを僕は信じていますし、
信じているからこそ、
いま自分が書く側にいるんです。

本日のお相手は、
「成りあがり」の永ちゃんがしゃべった言葉を
文章にした糸井さんです。
「成りあがり」を境に糸井さんは
どんどん一般的にも有名になり、
たくさんの言葉を作り出しました。
僕は「不思議、大好き。」や
「おいしい生活」など、糸井さんが作り出した
たくさんの言葉をシャワーのように浴びながら、
青春時代を送っていたのです。
これらは広告のお仕事から生まれた言葉です。
それでも、名作の長編小説に負けないほどの
いろいろなものを、これらの糸井さんの言葉から
もらったと思っています。

今年還暦になる糸井さんですが、
「ほぼ日」というインターネットの場を使って
いろいろな人の言葉を発信しています。
本当に糸井さんという方は言葉が好きで、
その言葉が伝わる、届くということを
本当に信じていらっしゃるんだなと思いました。
僕は、糸井さんから伝わってくる
言葉に対する思いというものを
いまでも学びながら小説やエッセイを書いています。

「成りあがり」がなかったら、
糸井さんの言葉に会っていなければ
今の人生はあり得なかったと言えます。
そんな糸井さんと今日お話ができるのは
とても光栄なことです。
青春時代に大好きだった人に
おじさんになって会えるということは、
ほんとうに幸せなことだと思います。
どうかみなさんも糸井さんの言葉というものを
堪能していってくださいね。

重松さんと糸井による対談は
来週火曜日からスタートいたします。
お楽しみに。
(つづきます)
2008-07-10-THU