僕たちの 花火の連絡、 見えますか。  スコップ団 平了+糸井重里 対談
第6回 おーい、見えますか。
糸井 平さんは3月11日から急に
本番を迎えちゃったってことだね。
つらいけど、やるしかないよね。
やるしかなかったです。
糸井 でも、いわば「やりがい」はあると思う。
それは不謹慎なんじゃなくて、
人びとはみんな、それを求めてるから
スコップ団に来るんじゃないかな?
ぜったいに嫌なことだけど、
「がまんしてやりましょう」というだけじゃ
人は集まんないわけですから。
うん、そうですね。
糸井 人が求める、やりがいやおもしろさ。
それがないと地獄も乗り切れない。
ぼくもそう思います。
糸井 スコップ団を見てておもしろいのは
そこなんですよ。
「同じことやってみろよ」と言われたら
嫌だというような力仕事、地道なことを、
どこか「愉快さ」で
乗り切ってる気がします。
だって、スコップ団のみなさん、
解散前に集合写真撮ったらみんな明るい。必ず。
そうですね、みんな、ほんとに。
糸井 掃除して、明るく集まってみせて、
解散したら、ただ帰る。
あのへんのハードボイルドさは、
そうとう人間理解にかかわることだと
僕は思います。
「人間てそういうもんだよ」
「失敗するときはこういうことからするんだよ」
ということを、
よくわかってる人のやり方だと思う。

今回の花火は、そのスコップ団がこれまで
少しずつかきあつめた力を
ぜんぶ足さなきゃいけない。
それはきっとはじめてのことだと思うんですが。
以前、スコップ団で
泉ヶ岳に行って子どもたちをポニーに乗せる
イベントのようなことをしたんです。
残念ながら雨で、ただ馬に乗って
たこやき食って終わったんですけどね。
さんざん乗せて、俺も落馬して、
たのしかったんですけど。
糸井 (笑)
そこから、海が見えたんです。
見渡す限りの宮城の海。
山元町とか船岡とか、
もうとにかく全部見えた。
「ここで花火上げたら、すげぇいいと思うんだよ」
そういう言葉が口をついて出ていました。
糸井 そうか‥‥。海から、見えるんだ。
そう。あっちから見えるでしょ、
こっちから見えてんだから。
糸井 うん、うん、うん。
被災は津波だけじゃない。
山の奴らだってつらい思いをしてるし
親戚や友人を亡くしてる。
だから、天国がイメージどおり、
ほんとうに雲の上にあるんであれば、
海からも見える、空にも近い、
この場所がいいんじゃないか、と思って。
糸井 そうだね。
両方が苦しい、その気持ちは
そうとうわからないといけない。
「電気ついていいね」
と言われることのきつさは、
きっとあったでしょう。
亡くなった人が近くにいる場合と
そうじゃない場合も、やっぱり、
立ち上がるための時間が違いますから。
はい、まったく時間に差ができてしまいます。
糸井 気を遣いすぎちゃうと
なんにもできなくなっちゃうし。
それになんだか、そういうことが癪です。
いちばんいいのは、もう、
しゃべらないことです。
だから、何もしゃべらず、
掘ることをしようと思った。

それに今回は、山から花火が上がるなんて、
誰もやったことねぇだろう、
せいせいするよね、という気持ちもあります。
糸井 「冥福を祈ります」で終わっちゃうのは
嫌ですもんね。
そうなんですよ。
糸井 それぞれの人が、
天国に向かって「見てるー?」って
声をかけられる、
その花火大会は、もうほんとうに、したい。
みんなが話しかけるんだよ、
お坊さんのお経にまかせちゃってたことを
自分で声かける。
僕なんて、知らない人かもしれない、
だけど参加したいんです。
田島貴男さんも同じこと言ってました。
亡くなった人たちは、
自分の歌を聴いたことがある
可能性のある人たちだった。
自分の声や、自分が作り上げた旋律が
耳に入ったかもしれない人たちの
家を片づけにいくことに
何の理由もいらない、って。
糸井 うん。
さわやかだなと思いました。
糸井 田島くんは、
自分の泣き言を言わないですね。
反抗とか、声を上げるとか、
そういうことばかりする人がいるけど
スコップ持て、と言いたい。
うん、そうですね、四の五の言わないで。
糸井 だって、俺にしたって団長にしたって、
ほんとうは四の五の言うのが商売です。
うん(笑)。
糸井 それをがまんして。
何もしゃべらないという選択肢で。
糸井 そうだね(笑)。
 (つづきます)

対談場所 協力:エフエム仙台
2012-02-15-WED
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