YAMADA

第6回
『いつもさみしい』は、
人に頼らず、
ひとりが嫌いじゃないほど、
感じやすい


アテネとの時差にボケまくる日々に、
いきなり本題で恐れ入りますが、
ハンドルネーム、大月さんからの
「『いつもさみしい』をたとえてみた」、
『いつもさみしい』描写をご紹介したいと思います。



=
「いつもさみしい」か?と問うならば、
「いつもさみしいかもね〜」と答えます。
言われてみれば、そうかな、という感じで。
いつもは気にとめてないけど、
ちょっと斜め後ろをふりかえれば、
ひらひらと海を漂うマンタのように、
常に『さみしい』がそこにあるような。

だけど、みんなそうなんだとばかり思ってました。


えらいことになってきましたわー。
もう日本中マンタだらけ、
マンタうようよですよ!
うわー、目に浮かぶ。
朝の通勤電車とか、
ヒトとマンタの和え物になりますがな。
もはや幻想文学の域です。

さて、
『いつもさみしい』を知ろうシリーズその4は、
「『いつもさみしい』は、人に頼らず、
 ひとりが好きなほど、感じやすい。」です。


=
『いつもさみしい』です。
周りに友達もたくさんいる。
いつも家族がそばにいる。

でも、誰も私の心を知りません。
私は一人なのだという思いがいつもつきまとっています。

毎日楽しく暮らしてます。
いつも笑顔だねと言われます。

でも「さみしい」のです。


「さみしい」くせに、あまり人を頼りません。
お手伝いなど、人の手が欲しい時、
自分では手におえない事が起こった時などは
すぐに笑顔で、人に頼る事ができますが、
「さみしい」時に、
素直に人を頼ることができません。


人の温かさに少しでも触れると涙がでます。

人の温かさに飢えているというよりも、
欲張りなのだと思います。

常に誰かと心でつながっていたいと思っています。
常に誰かに優しくされたいと思っています。
常に誰かと・・・・

そのくせ、べったりな関係はすぐ疲れてしまい、
「サバサバしてるね」と言われます。

(どないやねん!?)
りょう (三十路女)


「さみしいくせに、
 あまり人を頼らない」となると、
増々さみしさが加速しそうですが、
人に頼ることで生まれる
関係のうっとうしさを考えると、
さみしいほうがましということなんでしょうか。

この両天秤をつき詰めはじめると、
いっそ人の気配さえしない、
無人島にでも行ってしまえ、って
ことになりますよね。


=
うまく説明できないんですけど、私の場合は、
親と住んでいますし、友達もちゃんといますし、
仕事もきちんとあるんです。
友達とは本音で語りあえるし、親とも仲良しだし、
職場の上司もいい人だし、彼はいませんが、
別にそれを気にする事も
今の所ないし、冷静に客観的に見ると
さみしい要素は全然ないんです!

でもなんていうか、
全部が私の死ぬまで続く訳じゃない、と
いつも心のどこかで思っていて、
それなら今この時を楽しく充実させよう!
なんて一生懸命じゃなくうっすらと思ってるんです。
悲観的、とかそういうんじゃないんです。
さみしいからと言って、
1人が嫌いな訳じゃなくて、1人でブラブラしたり、
お茶したり、ジーッとしたり、
趣味に没頭するのも好きなんです!
基本的には人生なるようになる、
とかどちらかというと楽観的だし。
だけど、心の底にいつも、
この「さみしくない瞬間を守ろう」とする
「さみしさ」があるという感じでしょうか。


なんだか表現しきれていなくてすみません。

みゆき


わざわざ一人の時間を
つくろうともされているわけで、
「『さみしさ』がこわい」ってことでも
無さそうなんですが、
この「さみしくない瞬間を守ろうとするさみしさ」
とは、また厄介な気持ちですよね。
とかく「さみしさ」という感情は、
どんなものにでも
くっついてくるものなんだなあと
感心してしまいます。
この理屈でいくと、
「あまりにうれしすぎるさみしさ」も
有りですよ。

オリンピックで金メダルを取った選手が、
インタビューで開口一番、
「さみしいです!」と答えたりしないか。
しないな。


=
血液型O型42歳女です。
小さい頃からしっかり者。
一人で生きていけるタイプと周囲から思われていたし、
自分でもそう思う部分もありました。
でも、実際は一人では生きていけません。
頼られる方でよいのです。
誰か、私を頼ってくれる人がいなければ、
駄目なんです。

とにかく、一人でいるのは、さみしい。
でも、これって、私だけだと思ってました。
違うって聞いて、
他のO型の人もそう思っているのだと聞いて、
ちょっとホッとしています。


この方の場合は、
「人に頼りたいではなく、
 人に頼られたいのだ」ということですが、
ピッチャーもキャッチャーも
ボールを投げて受ける人ということに
変りないように、
詰まるところは、
頼るも頼られるも
当人の見方次第という気がします。

「人に頼りたい」という気持ちを
抑え込むために、
「人に頼らず、
「人に頼られたい」という表現を
されているのかな、と感じました。
というのも、「自立」という生き方が、
ここ20年ぐらい
流行っているんじゃないかと思ったのです。



=
ほぼにちは。
私はB型女子27歳ですが、
『いつもさみしい』ですね!
コミュニケーション依存症というか、
独りで楽しめないというか。

高校生までは、違ったんです。
むしろ一人で考えたり、
本を読んだりすることが好きで
「いつもさみしくない」でした。

ところが、大学生になって
仲良しの彼氏ができてから、
『いつもさみしい』が爆発しました。
人に依存する気持ちよさを
知ってしまったからかなあ。


ひらお あきこ


ま、「男ができて女は変る」(その逆も真)という
なんとも青春の日の出来事らしい、
ほほえましいお話なのですが、
それ以上に、
ひとの「自立」と「依存」を
考えるヒントになりました。

「『いつもさみしい』は、人に頼らず、
 ひとりが好きなほど、感じやすい。」

こういう心理が生まれる背景に、
「自立」を尊ぶ風潮が
あるように思われるのです。
今回、ご紹介したメールは、
たまたま女性からのものだったのですが、
この「自立」というテーマは、
女性において、
より強く意識されているように思います。

いわゆる「自立した女はかっこいい」というような、
雑誌『COSMOPOLITAN』的な見出しが、
女性にとっての重しに
なっているような気がするんです。
ちょうど十数年前、80年代の後半に、
男女雇用機会均等法ができてから、
男と対等に働く女性が法律のもとに生まれ、
と同時に男に頼らない「自立」という考えが、
時代を生き抜く価値観の
基本アイテムとなったんじゃないかと思うのです。

そうなると、
つねに自分に「自立」を強いることになり、
それが、孤立を求める生き方につながって、
自分で自分を苦しめることになっちまいます。

ひとはさまざまなものに依存して生きている。
この事実から考えた方が、
気楽なんじゃないかという気がします。
たとえば、
今、これを書いている
O型のわたくしも、
床というものが無ければ、
1階に落ちてしまいますし、
メガネというものが無ければ、
モニターに吸いつくようにして
原稿を書くはめになるわけです。
そもそも文明生活ゼロベースな例を
出しましたけれど、
自立って、どこまでほんとうに必要か?
これはあらためて問いただす意味が
あるように思えます。

確かに、ひとつのモノや一人のヒトに
依存し過ぎるリスクということはあります。
野球界では巨人に依存し過ぎるリスクが
問題になっていますが、
男だ女だ子供だに依存し過ぎるリスクというのも、
日々暗い事件を生む原因じゃないかと思うんです。

視点を変えて、
「依存」を肯定的に捉えるならば、
「ネットワーク」と考えられそうです。

コンピュータの世界では、
ネットワーク化がリスク分散であり、
また同時に、シナジー効果による
ポテンシャルの拡大だということは、
人間においてもあてはまるんだろうと思います。
と、するならば、
「たくさんに依存する」
という選択肢もありそうです。

今や、パソコンを断線状態で
使っている人が
ほとんどいないように、
人間においても「自立」を求め過ぎる
スタンドアローンな生き方は、
実際のところ得策なんだろうかと思ってしまいます。

『いつもさみしい』は、
「自立」という幻想が生むんでしょうか。





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2004-08-26-THU
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