194 レストランでの大失敗。その15 コートを脱ぐタイミング。

そもそもコートを着たままで、
レストランの客席ホールのどまんなかにいるというのは
かなりマヌケな光景です。
誰かのお宅におじゃましてズケズケ、
気づけば靴を履いたままお座敷にまで上がり込んでた。
そんなオマヌケ。
むしろ、無礼といわれても
しょうがないような状況に似ていたりする。

まずは、「お外仕様」の装いを、
「レストラン仕様」の姿にしなくちゃいけないワケです。
「お客様お召し物を‥‥」と、支配人がいいかけて、
それはそうだと気づいたのでしょう。
その場でコートを脱ぎ始める。

出来損ないのハンフリー・ボガート氏は、
ギュッと絞ったトレンチコートのベルトをカチャカチャ、
音を立ててはずし始める。
同行のご婦人は、コートを脱ごうにも
手に持ったハンドバッグの置き場所を探してアタフタ。
どうなることやらと、
その場に居合わせた人たちみんなが視線を向ける。
仰々しい装いからみて、お忍びのはずだったのに
いきなりステージのどまんなかに
引きずり出されたような状態。

「あの人たち、大丈夫なのかしら」‥‥、と母が言う。

本当に、迷惑だよね。
テーブル同士が離れてる贅沢な空間使いの店だから、
まだ我慢できるけど、
小さな店だったりしたら、
大惨事になることだってあるものネ。
コートや上着がテーブルクロスをひっかけて、
グラスが落ちたりしたも目も当てられない‥‥。



って、そんなふうに答えるボクに、
そうじゃないのよ‥‥、と母が答える。

「あの人たち、本当にココのお客様なのかしら?
 って、それを考えると心配になっちゃうのよね」と。

そういう母の理屈はこう。

こういうお店だから予約の取り間違いなんてコトは
絶対にないとは思うの。
でもね。
何かの手違いで、ダブルブッキングなんて、
絶対ないとは限らない。
それにそもそも、
もしも予約をしてなかったらどうしましょ。
コートは脱いだ。
荷物もお店の人に手渡した。
なのに予約がないのに満席。
お客様、申し訳ございませんでした‥‥、
って荷物やコートを再び渡され
身支度をして出て行くなんて、考えるだけで背筋が凍る。
だから入り口のところで立ち止まる。
立ち止まって名前を言って、
「お待ち申し上げておりました」
って返答されてから
やっと食事のための身支度をはじめるワケよ。
それまでは、ここのお店のお客様じゃない。
お客様じゃないのにのこのこ、
店に入る準備をするなんて無礼者としか思えないわね。
本当にあの人たち、大丈夫なのかしら‥‥、といいつつ、
イタズラっぽい表情で彼らの方をじっとみつめる。



紳士淑女の持ち物は「屋外用」と「屋内用」に
分類することができるのです。
コートは屋外。
カバンも底に鋲が打っているようなものは、
地面に置いてもいいようにできているから屋外用。
帽子だって、サングラスだって屋外用にできていて、
それをお店の中という屋内に持ち込むことは
慎む方が良いのです。
例外なのはご婦人方のお帽子で、あれはおしゃれ。
だから英国王室のウェディングセレモニーにも
かぶっていける。

問題は、それら屋外のモノを
脱いだり手放したりするタイミング。
できることなら自分から脱いだりすることのないように。
お店の人から「お脱ぎになりますか?」
という合図がでるまで頑なに、
じっと着たまま、持ったまま。
それらをお店の人たちの手元に渡すことが、
お店の正式なお客様になる許しを得ること。
そんなふうに思ってお店の入り口の儀式に望めば、
とても凛々しくスマートなお客様としてふるまえる。

さて、そんな彼ら。
お店の人に、まずはこちらにお越しくださいと、
入り口の方に案内されつつ
「お名前をお伺いできますか?」なんて質問されてる。
名前をポツリ。
「お待ちいたしておりました」。
そしてめでたく、コートをや帽子をクロークにあずけて、
彼らのテーブルに案内される。

「あら、予約は大丈夫だったみたいね」
なんて、軽く流してシャンパングラスを持ち上げて、
ひと口喉を潤そう‥‥、とした瞬間に、
母が大きく目を見開いて「あら、いけないわ」と声をだす。

なにがそんなに、いけなかったのか。
また来週のおたのしみ。

 

2015-01-15-THU



© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN