かつて‥‥。
もう40年ほども前のコトになりますか。
脱サラという言葉が流行ったコトがありました。
サラリーマンであることを脱して、
自分で事業を起こそうという、今の言葉にすると
「ベンチャー」あるいは「独立起業」とでもいいますか。
そして当時、その脱サラの
最も気軽な行き先が飲食店でした。
小さな資本で確実に、
新しい人生をスタートすることができる仕事として、
飲食店経営が脚光を浴びた時代。

最も人気があったのが「喫茶店」でありました。





何しろ、喫茶店の開業の仕方だけを教える
学校があったほど。
実は、ボクの師匠がその学校で経営講座を持っていて、
アシスタントのような仕事を
させてもらっていたコトもある。
コーヒーの豆の知識や落とし方。
サンドイッチの作り方とか、
パフェやケーキの焼き方、
それから価格戦略、お店の作り方であったりと、
開業に必要であろう理論や実技の講座が
100時間ぶんほどでしょうか、用意されてた。
当然、やってくる人たちのほとんどが
サラリーマン時代にコツコツとためた貯金と、
借入金をしてまでこれからお店をしようと
思っている人たちですから、そりゃ、必死。
講義の内容にないものも、
疑問と思えばなんでも貪欲に質問をする。
その質問を整理して、答えをまとめて発表するのが
アシスタントとしてのボクの当時の仕事で、
特に多い質問が
「宣伝はどうすればいいのですか?」というモノでした。

ボクも飲食店の効果的な宣伝って
どんなモノかと気になって、師匠に聞いてみることにした。
答えは至極簡単でした。

喫茶店なんて、宣伝をする必要なんて本来無いの。
来てくれた人においしいコーヒーを作ってあげて、
また来ようと思ってもらうコトが大切。
毎日、決まった時間にお店をあけて、
同じ商品、同じサービスを提供し続けるコトが
宣伝なんですよ‥‥、って。

でも、何度も同じお客様に来てもらおうと思ったら、
たまに新商品や季節商品を導入して、
それをお知らせすることが必要なんじゃないですか?
同じお客さんに何度も来てもらうっていうことは、
それだけいろんな商品があった方がいいんだろうし。
どうなんでしょう?
そう食い下がるボクに、師匠は
「明日、朝の9時にオフィスの近所の喫茶店で
 一緒に答えを探ろうよ」と言って翌日。
商店街というにはいささか寂しい、
けれど30軒ほどの小さなお店が並ぶ通りの一角にある
小さな喫茶店に二人は集まる。
実はココ。
師匠の学校の卒業生がやってる店で、もう5年。
そこそこずっと繁盛している。
メニューはコーヒー、サンドイッチに
アイスクリームにパフェ程度。
お世辞にも品揃えが豊富と言えぬ、
いわゆるどこにでもある喫茶店。

近所の会社の人たちでしょう。
新聞を読みながら、
コーヒーにモーニングセットのトーストかじり、
テーブルの隅でコンコン、茹でた玉子の殻を割る。
それが20分程もたつとそうした人たちが
ほとんどお店をあとにして、
おそらく会社への出勤時がやってきたのでしょう。
ごちそうさまとお店を出てく彼らと入れ替わるようにして、
近所の商店のご主人らしい人が次々やってくる。

コックコートにジャンパーを羽織った人がやってきて、
ボクらの横を通り過ぎると
焼けたラード特有の甘い匂いが漂ってくる。
「あの人ね、あそこのお店のシェフなんだよ‥‥、
 ソースを仕込み終えると必ず毎日こうしてくるの」と。
あそこのお店っていうのは、近所の、
ハンバーガーがおいしいので有名な洋食店で、
その人は、そこのご主人だった。
なるほどラードが焼けた匂いは、
ソースを仕込むときに炒めた
牛すじ肉の匂いだったんですネ。

「モーニング、ホットコーヒーでね」って一言。
そしてお店のマスターに、そっと聞きます。
「カレーはおいしく出来ました?」って。
当時、喫茶店でカレーランチを出すのが流行りはじめてて、
それで数日前に喫茶店のご主人が
「おいしいカレーはどうすればできますかねぇ‥‥」
と何気なく洋食店のご主人に聞いたらしい。
律儀なご主人。
簡単に、おいしくカレーを作るレシピを作って
渡してあげたんだという。

作ってみたら、これが結構、旨いんですよね。
やっぱりプロはスゴイなぁって思いましたよ。
ありがとう。
けれど、やっぱり、あなたのお店のカレーにくらべりゃ
違いは一目瞭然で、だからあれを売ろうと思ったら
かなり安くしなくちゃいけない。
でも、せっかくのカレーを安く売ってしまったら、
おたくに迷惑をかけちゃいそうで。
だからやっぱりカレーは売らないコトにしました。

「それはそれは!」
とパチリとライターでタバコに火をつけながら
洋食屋さんのご主人が言う。
内心、あのカレーを売られたら、
手強いライバルができるぞ‥‥、って思ってたんだ。
ありがとうな。
これから毎朝、こうしてここに
来なくちゃいけなくなったなぁ‥‥、
と言いながらもウレシそうな顔して
プカっと大きな煙の輪っかを吐いた。
それを聞いてた他のお店のご主人たちも、
ニッコリしながら小さく頷く。





喫茶店はネ、小さな街のすべての人達と
持ちつ持たれつで繁盛していく。
だから何もかもを独り占めしようとしたらダメなんですよ。
うちの学校では、コーヒーの作り方は教えるけれど、
お酒をの売り方は教えない。
夕方の喫茶店を支えてくれるお客様は、
これから営業準備をしようと動き始める
居酒屋やバーの人たち。
サンドイッチの作り方は教えるけれど、
ご飯の炊き方は教えない。
パフェの作り方は教えるけれど、
あんこのコトは教えないし、
ホットケーキの焼き方講座はあるけれど、
ケーキの焼き方講座はないんです。
そろそろ、ケーキを焼かないですむ理由が
わかる時間がくるよ‥‥、と。

時計が10時半をさした頃、
近所のケーキ屋さんのご主人が、
大きな包みをもってお店にやってきて、
はい、今日の分をそれを差し出す。
中にはケーキが入ってて、
つまりココのケーキは
近所のケーキ屋さんのケーキだったという訳です。
納品を終えたケーキ屋さん。
そのまま椅子に座って朝のコーヒーを飲む。
師匠がそこに集まっているお客さんを一人ひとりさしながら
「あの人はね、和菓子屋さんの若旦那さん」。
今やってきた人は朝ご飯の営業が一段落した
定食屋のご主人で、一番奥にいる人は、床屋の大将。
間もなく床屋の奥さんが
呼びにくるんじゃないのかなぁ‥‥、と。
言い終わるか否かのタイミングにてドアがあき、
「あんた、お客さんが待ってるわよ!」
と床屋の女将さんが声かける。

街の中で生きていく。
街の人に贔屓にされて喫茶店は繁盛していくって、
こういうコトなんだなぁ‥‥、と実感しました。
そして床屋の大将が、財布の中から
紙の綴りを取り出して、一枚ピリッと。
切り取り手渡す。
コーヒーチケットというあれです。
10杯分の値段でコーヒーが11杯のめる
11枚綴りのチケット。

得だから、あれを買うんじゃないんですよ。
この店にくればたのしい時間が待ってるんだと、
その安心感を財布の中に閉じ込める。
それが「おなじみさん」になるってコト。
このお店のファンクラブの
会員証みたいなモノかもしれないネ‥‥、
と師匠はいいつつ、財布の中からコーヒーチケットを出して
ビリッと2枚破って、朝の勘定を払って帰る。
喫茶店とはそういう場所‥‥、である訳です。

カフェと喫茶店のそれぞれの特徴を説明しながら
違いを解き明かしていこう思っておりましたのに、
喫茶店の話ばかりでそろそろ今日も終わりになります。
来週、カフェの話を少々。
少なくとも、カフェにコーヒーチケットはない。
それが来週の話のヒントとなりましょう。

ところで、カレーのレシピを教えてあげた洋食店。
それからしばらくして、そこでランチを食べた人には、
この喫茶店のコーヒーが半額になる
サービスチケットが手渡されるようになりました。


2013-02-21-THU



© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN