ピピッピピッとデジタルキッチンタイマーのような
音をして鳴る目覚ましを、
切ってしばらくベッドの中でボンヤリまどろむ。
ドアの向こうから、おいしい匂い。
しかもなにやらナツカシイ、
日本の朝の匂いのような切ない香りがやってきて、
ボクはまだ夢の続きの中にいるのかしら‥‥、って。

いやいや。
匂いがやってくるドアの向こうには母がいたはず。
そう思って、ベッドルームのドアをあけると
母がキッチンに立っていて、
カウンターには朝の料理が並んでる。
朝ご飯に出迎えられる朝ってなんてシアワセなんだろう。
しかもそこに並んでいる料理のさまざま。

卵焼きに焼いた鮭。
そして味噌汁。
キッチンの前には母が立っていて
「ちょうどご飯ができたところよ」と。
なんてシアワセ。




鍋でご飯を炊くのはひさしぶりだから、
もしかしたら「ほっちんご飯」に
なっているかもしれないけれど‥‥、と母が言う。

「ほっちんご飯」。

広島出身のボクのばぁやさんが使っていた言葉。
水加減を間違って、芯を残して炊けてしまった
ご飯のコトを呼ぶ方言。
ずっとそれが標準語だと思って育ったボクが
東京の大学に来て、知らずに使って笑われた。
それで人前では恥ずかしくって使うことがなくなった。
家ではそれでも使ってて、けれど一人暮らしをはじめると
スッカリ使う機会もなくて半ば忘れていた言葉。
それをニューヨークという遠くの街で聞けて
気持ちがジーンとしてくる。

砂糖と塩で甘く作った卵焼き。
アメリカの玉子って、日本の玉子と違うのネ。
黄身が明るいレモン色。
コシが弱くて溶いているとすぐに泡がたってくる。
だからキレイにクルンと巻けないのよね‥‥、
長細いオムレツみたいになっちゃった。
と、そういう卵焼きはそれでも甘くて
弁当箱に思わず詰めたくなるような、昔懐かしい母の味。

バターをたっぷり含ませてオムレツを作ったら
上手に焼けるに違いない。
スフレもこんな玉子だったら、
フワッと空気と馴染んで
軽く仕上がってくれるだろうなぁ‥‥、って、
料理しながら思ったわ。
アメリカ人が、茶碗蒸しとか出汁巻き卵のような料理を
発明しなかった。
日本人がオムレツやスフレのような料理を
作らなかった理由は
それぞれの国の玉子が違っていたからかもしれないわね。

たしかに料理は食材次第。
けれど同時に、それぞれの国や地方の食文化が
食材自体の味や性質を決めることもある。
例えば鮭。
日本の人は鮭に対して「肉のうま味」を期待する。
だから塩で水気や脂を事前にはきださせ、
サックリとした歯ごたえにして食べたがる。
一方、アメリカの人は鮭の「脂」が大好き。
脂ののった分厚い切り身を
バターの力をかりながらフックラと焼く。
だから今日の焼き鮭も、
まるでサーモンステーキみたいになっちゃうもんね‥‥、
と、二人はちょっとした、
にわか評論家気分で料理を評する。




それにしても、中国の人は朝早くから働き者ネ。
なるほど、母は、家の近所の中国系の人がやってる
食品店で買い物をして今朝の料理をつくったらしい。
味噌汁の具の豆腐もそこで調達したに違いない。
最近、日本の味噌も扱うようになったんだなぁ‥‥、
と思いながら、まずは汁を一口すする。

あぁ、これは‥‥。
田舎の麦味噌。
甘くてポッテリとしたうま味のある味噌の風味に
ビックリし「おかぁさん、どうしたの?」って聞くと
ニッコリ。
「密輸したのよ‥‥、スリル満点」と笑いながらいう。

今のように国際線の飛行機に持ち込むモノの
規制が厳しくない時代。
でも、食品。
特に生の食品や発酵食品は没収されることがある。
スーツケースの底にでも隠してもってきたの?
と聞くと、そんなコトをしたら
せっかくの味噌がカワイソウ。
手持ちのカバンに大切に入れ、
だから税関で見つかったんだけど、ワタシは言ったの。

これはお薬。
ニューヨークで一人で頑張っている
私の息子のさみしいココロを元気させる命のお薬。
だからどうか、没収しないでくださいな‥‥。
もし、あなたがお父さんの手紙で
日本に帰る決心をしてくれなかったら、
この味噌で里心をつかせてやろうと企んでたから、
そりゃ、必死に私はお願いしたわよ‥‥、って。
たしかにボクの気持ちは元気になって、
やっぱり日本で父と一緒にがんばろうと、
背中をしっかり後押しされた。
冷蔵庫の中にお味噌の残りは入れてあるからね。
お味噌がなくなったら帰ってらっしゃい。
そう言いながら、
母は次の予定に向かってニューヨークをあとにした。

ボクはそれから2週間ほどで仕事の引継ぎや、
ニューヨークをあとにするための準備を行い
友人たちをあつめて母の味噌を使った味噌汁をふるまい、
冷蔵庫の中を空っぽにした。
そして一路、日本に向かって
1年と2ヶ月ほどの寄り道を終えて帰途に着く。




さて来年から場所を日本に移して新たなシリーズを。
気持ちも新たに、ますますよろしくお願いします。
もう数日で今年も終わり、新年の準備に忙しい方、
ふるさとにお帰りになってる方もいらっしゃるでしょう。
あるいはふるさとを遠く離れて、
新しい家族や友人と
行く年を偲んでらっしゃる方も
いらっしゃるコトと思います。
毎年この時期。
ボクは田舎の母親に、
味噌や醤油や調味料をおねだりして
送ってもらうコトにしている。
日本全国どこにいても同じように手に入るものが
あふれている、便利な時代であるからこそ、
年が変わる節目の今に、自分が生まれて育った街の
味や香りを思い出してみるのもステキなコトと思います。
みなさまステキな年をお迎えになりますように。


 
2012-12-27-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN