口の中で仕上がるカクテル。
ある意味、これほど贅沢な
ブランデーの飲み方はないかもしれないんですよ。
そう言いながら、
ウィリアムは小さなショットグラスを取り出し並べる。

本来、ゆっくり時間をかけて味わうブランデー。
ところがこのカクテルだけは、
一気に煽るように飲んで味わうようにできてる。
強いお酒ブランデーを、グイッと煽って
カーッと体が熱くなってくるのを、
元気や勇気に変えていく。
夜のはじまりの景気づけに。
あるいは、楽しかった夜の幕を下ろす合図のように。
数ある殿方向きのカクテルの中でも、最も華麗で
しかもてごわいモノであるといえましょうな‥‥。

そういいながら、3つ並んだ小さなグラスに
「クゥルヴォアズィエイ」こと、
クルボアジェを注いでいきます。

瓶のラベルは「VSOP」。
つまり、普通はカクテルには使わぬちょっと上等なモノ。
このカクテルには、ブランデー以外の酒や
ジュースの類を使わぬもので、
ですからちょっと上等なものを奢って作る。
しかも、はっきりとした鮮やかな香りと、
濃厚な風味が持続するクルボアジェのVSOPは、
このカクテルを作るために生まれてきたブランデーと、
ワタクシは思っております。




ひとつめ。
そしてふたつめのグラスにトクトク、
クルボアジェが注がれる。
そして3つ目のグラスに、
瓶の口がキスをしようかというそのタイミングで、
エマが口を開きます。

殿方向きのカクテルだというコトならば、
レディーは失礼した方がよいのかしら‥‥、と。

レディーをハンサムにさせる
カクテルでもございますが‥‥、とウィリアムは言う。
「美男子」とかっていう意味でなく、
「立派で凛々しい」というときに使う、ハンサムですね。
女性を凛々しく見せるという、このキーワードに
エマが飛びつかぬはずもなく、
ならば、私もいただこうかしら‥‥、と。
結局、ウィリアムは3つのグラスにクルボアジェを注ぎ、
それから薄く切ったレモンを用意する。
デミタスカップの小さなソーサーの上に
一枚づつレモンをおいて、
カウンターの下からガラスのポットを取り出す。
中には白い結晶状の物体が、サラサラ揺れる。
それは何? と怪訝に見つめるボクたちに、
「グラニュー糖でございます」。
そして小さなスプーンで砂糖をすくう。
それをレモンの上にうず高く盛り、
ピラミッド状に形作ってレモンごと、
ブランデーを入れたショットグラスの上に
蓋するようにそっと置く。

「ニコラシカでございます」。

ロシアな名前。
そういわれれば、ロシア風の帽子をかぶった
グラスのようにも見えるコレ。
ただ、どのように飲めばいいのか、
にわかにわかりかねる謎に満ちた魅惑の飲み物。
マドラーやスプーンがあれば、
砂糖をレモンごと突き崩して
ブランデーと混ぜて飲めばいいのだろうけど、
そんなモノはなし。
それにウィリアムは
「口の中で仕上がるカクテル」
といいながら作ってくれたものでもあります。
もしや、大きな口を開け、
グラスをカプリとくわえ込むのか?
と、考えなやむ。
飲む前。
あるいは食べる前に想像力をかきたてるモノは上等。
その謎めいた挑戦を受けてたとうと、
好奇心がかりたてられる。

大きな灰皿をススッとウィリアムはすべらせ、
ボクらの前のさし出す。
そしていいます。
まずはレモンの両端を、
片手の親指と中指を使って持ち上げて、
軽く2つに折りたたみ
レモンの果肉を前歯でしごき
砂糖混じりのレモンジュースを口に含んで味わうのです。
ドライでスキッとした味がお好きであれば、
砂糖を指でつまんでどうぞ灰皿へ。
酸味をおさえたければ前歯でしごかず、
唇をつかってチュッと吸う。
レモンの皮も一緒にかじれば、
苦味が混じってビターな味わい。
甘み、酸味、そして苦味が口の中に広がったらば、
すかさずそこにクルボアジェ。
グラスの中のブランデーを
一度に飲むのもいいでしょうし、
ほんの少しだけまずはすすって、
そのあとユックリ、ブランデーの純粋な味を
たのしむコトもまた粋でしょう。

自分のイメージした味を、
口の中で作り出すことができる「あなたまかせ」、
バーテンダーとお客様とが一緒に作る
カクテルとでもいいますか‥‥。

なんてたのしい。
そしてなんて、ワクワクさせられるカクテルなんだろう。
ただナヤマシイのが
いろんな飲み方をためしたくなってしまうところ。
さて、どうしよう。




「ボクは、レモンにキスする程度で飲んでみよう‥‥、
 ブランデーの味をたのしみたいからと」。
そうジャンがいいます。
「ならば私は皮だけ残して‥‥、
 シンイチロウは欲張りだから、
 全部の味をたしかめたいでしょ」
と、レモンの皮が苦手なエマは、
ボクの飲み方を勝手に決める。
まぁ、いいでしょう。
レモンの皮の苦味は決して嫌いじゃない。
しかもボクの目の前にあるレモンは
皮の黄色いところがキレイに削がれて、白いところだけ。
レモンの皮の油が味を邪魔せぬようにという配慮。

食べ残したレモンのかすは、
灰皿にどうぞお置きください、
というウィリアムの言葉を合図に、
ボクらはそれぞれのやり方でレモンを口に‥‥。
パクリと全部を口に収めるボクの舌にはレモンの酸味。
透き通っててしかも香りが尖ってて、たまらず噛むと、
ジャリッとグラニュー糖が潰れて甘みがにじむ。
舌がホっとすると同時に、皮の苦味がひろがっていく。
口のすみずみがつねられるようにひきつって、
何かを口に入れたくてしょうがなくなる。
目の前に酒。
クルボアジェ。
ゴクリと飲むと、口の温度が一気にあがり、
酸味が蒸発していくように甘く感じる。
なんたるおいしさ。
しばらく口でクルボアジェをもてあそび、
鼻から抜ける香りや舌をトロンと撫でる
まったりとした飲み心地。
クルボアジェだけを飲んでも感じることのなかった、
香りや風味がスクッと舌の上に凛々しく立ち上がる。
ここから苦味を引いたらどんな味になるんだろう。
酸味を引いたら、あるいはもっと甘みをたしたら
どんな飲み物になるんだろう‥‥、
と想像力が次々膨らみ、
誰かに今の気持ちを話したくってしょうがなくなる。

それはエマやジャンも同じコト。
「レモンの酸味で一瞬、
 口が乾いたように錯覚するのよね‥‥、
 だからブランデーが入ってきたときの
 みずみずしさがすばらしい」。
そういうエマに
「君が一気にグラスを煽る姿が
 今日一番のゴチソウだったよ」
とジャンが目を細めて言う。
おや、早速、ニコラシカの魔法にかかられましたか?
というウィリアムに、
この程度のことはジャンにとっては
ご挨拶がわりのようなモノ。
あと2、3杯は飲ませないと、
魔法は効かないかもしれないわね‥‥、
とエマの言葉にその場がなごむ。

それにしてもニコラシカを煽ってしばらく経つのに
口の中にはクルボアジェの名残があって、
消えるどころがじょじょにそれが鮮やかになる。
体の中にクルボアジェの魔法が巡っている感じ。

ところでこうしたお酒にあわせて、
何かおつまみのようなモノをいただくとしたら
どんなモノがいいのかしら‥‥。

エマの言葉にウィリアム。
もしお時間がゆるされますなら、
あと1時間ほど。
あちらのお部屋でブランデーにあう「サムシング」を
たのしまれてはいかがでしょうか? と。
彼の視線の先にあるのは、
古風な木枠にすりガラスのドア。
部屋をかえ、ふるまわれる酒のつまみとは一体、何?
時間はまだ9時、宵の口。


2012-06-07-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN