30半ばの調理長を兼ねた店主。
つまりオーナーシェフと、彼と同年代のお客様たち。
何度かの試食会を通して
まるで同士のようになっていった。
基本的に、ボクらの店のメニューを下敷きに、
料理の細かな味付けやボリューム、それから値段などが
新しいお店用にブラッシュアップされていくのです。
正確には「若返っていく」とでもいいますか。

当時、ボクはまだ30手前。
お客様の平均年齢は50歳の
ちょっと手前というところでしたか‥‥。
ボクらが目指した客単価を、
気軽に払っていただけるお客様となると
やはりそうした年齢層になってしまう。
だから、ボクが食べておいしいと思うモノでは、
お客様を喜ばせることはむつかしかった。
だからボクらはお客様の意見を聞いた。
幸い、ボクの師匠は60手前。
ボクらを可愛がってくれたおなじみさんも、
50半ばの人が多くて
まずは彼らの好む味や分量を基本に置いた。
オモシロイもので、
その年頃の美食に精通したオジサンたちが好むモノって、
女性がおいしく感じるモノに似ているようで、
ボクらのお店は実年紳士とご婦人たちに
居心地の良いお店になってた。

物足りない人もいたのでしょう。
あたかもボクらの店の閉店、そして新たな店の開店は
年老いた経営者が次の世代に店を譲るような意味を
もちはじめていた。

背伸びをしていたのでしょう。
一生懸命、自分の親より深くて
広い経験を積んだ年齢の人たちの
期待に応えようとがんばりすぎて、疲れてしまった。
それも店を売却する話に
気持ちが動いた理由だったのかもしれないなぁ‥‥、
ってそのとき思った。

とはいえ、新しいお店も無事開店し、
お客様の引継ぎもほどよく完了。
実年紳士にとってはちょっと不便な場所で、
贅沢感にも欠けたのでしょう。
ちょっと行きづらくなったなぁ、
とおっしゃる方もかなりいた。
でもボクらはそれでいいんだと。
だって、世代交代をするというコトは
お店で働く人ばかりでなく、お客様にもいえるコト。
ボクら、かつてのオーナー二人も
なるべく新しい店にはいかぬようにした。
新しい世代の人達を、邪魔せずじっと見守る立場。
30歳を前にして、
得難い経験をさせてもらったと今でも感謝をしています。





レストランの経営者としての3年弱の経験の中から、
ボクは一生大切にしたい教訓をひとつ得ました。
それは「レストランとは一体、誰のためにあるのか?」
という問いかけの答えでした。
レストランを始めた頃。
ボクの答えは間違いなく
「お客様のためにある」というモノだった。
だって、お客様がよろこんでくれなくては
レストランは流行らない。
良いレストランとは、
お客様をよろこばせることができるレストランで、
すべてはお客様のためを考え、作られ、
行動しなくちゃいけないんだ‥‥、と。

なにしろ毎日、毎日、お店のドアに営業中と札を出し、
けれど本当に、
お客様がやってきてくれるかどうかはわからない。
夕方5時にお店をあけて、6時になっても
誰もドアを開けてくれない。
本当に、今日はお客様がきてくれるのか?
心配しながら、それでもその心配を顔に出さずに
ニコニコしながら、ナイフフォークを磨いたり、
テーブルクロスのシワを伸ばしてお客様を待つ。
そしてドアが開くのです。
もう嬉しくて、シアワセで。
飛んでいって思わずキスをしたくなるほど、
ありがたくって、
あぁ、やっぱりお客様のために
働かなくちゃいけないんだ‥‥、
と元気を鼓舞して一生懸命働いた。

徐々にお客様がつくようになり予約も入り、
今日、来てくれるかどうかわからぬ
人待ち仕事をしなくてもよくなりはする。
けれどそれでも、お客様のためと頭をさげる。
馴染みのお客様には何かサービスを
して差し上げなくちゃ‥‥、と、試行錯誤もしてみます。

そんなある日、とても印象的な事件がおきます。





ワイン好きのお客様。
一ヶ月に二度ほどのペースでやってきては、
良いワインを抜かれて帰る。
そのたび、新しいお客様を何人も、
おそらく接待で使われてらっしゃったのでしょう。
紹介かたがた連れてくる。
その日は、とても珍しくご家族連れでやってこられた。
落ち着いた雰囲気の奥様、
そしておそらくボクと同い年くらいの息子さん。
そしてその息子さんのフィアンセという
大人4人の会食で、ボクはいつものお礼にと、
ワインを一本、お飲み下さいとお持ちした。
エチケットを一瞥。
そしてこういう。
このワインは、サービスしていただくには
良すぎるワイン。
勿体ないから、別のもっとカジュアルなワインに
変えてくれるとありがたい‥‥、って。

いえ、いつもご利用いただいているから、
ぜひ、これを飲んでいただきたいのです、
とそういうボクにその人は言う。

当たり前によい店でならば、
このサービスをワタシも決して断らない。
けれど、この店ののように当たり前以上に良いお店には、
無理をしてほしくないのですよね。
無理をしすぎて、お店が無くなってもらっちゃ困る。
だから程よきワインを今日は一本、いただきましょう。

お客様から「無くなってもらっちゃ困る店」
とそういってもらえるシアワセに、まず感激して、
そして程よきワインを一本。
当時の、ボクらのお店で一番人気のあった、
一本7000円位のワインでしたか‥‥。
抜いてどうぞ、とふるまった。
そして食事はつつがなく。
お題をいただき、6000円ほどのお釣りを
銀のトレーに乗せてどうぞとテーブルの上にそっと置く。
そのお客様がこう言います。

サービスで頂いたワインがあまりにおいしく、
今日のお釣りを
その思い出のお代においてかえりましょう。
あなたからサービスして頂いたワタシから、
厨房の中の人へのサービス。
皆さんと、おいしいものを食べに行くときの
足しにでもしてくれれば、
お釣りも喜ぼうというものです‥‥、と。

そして彼は続けます。
今日、若いふたりに
ちょうどこう言っていたところなのです。
結婚は、親のためでもなく、
結婚をする相手のためでもなく、
自分のシアワセのためにするもの。
自分のシアワセのためにならない家庭なんて、
持っても仕方が無いものなんだよ‥‥、って。
レストランも同じなのかもしれないですよ‥‥、と。

たしかにお客様のことばかり考え、
必死になってるレストランは、窮屈でときに退屈なもの。
レストランはそこで働く人をシアワセにするためにある。
そう思ったら、もっとすべきコトがある。
そうそのときボクは気が付きます。

「ありがとうございます」とお釣りをいただき、
そのまま厨房に駆けこんで、
「みんなのためにといただきました」
とお釣りをビニール袋に入れて、
オーダー伝票を吊るすフックにぶら下げた。
まだ営業中で、厨房の中の作業もかなり忙しく、
けれど調理スタッフは感謝の気持ちを伝えたい。
そこで彼らは一斉に、天井からぶら下がる空の鍋を
オタマで叩き、ありがとうございましたの声に変える。
お店の中に鳴り響く、まるで教会の鐘のごとき感謝の音。
チップをくれた紳士は大きな拍手でそれに応える。
何事か? とビックリする他のお客様に、
「ちょっとめでたいコトがあったモノですから」
と言って回ると、みんな不思議と拍手をはじめる。
お店の中に響く拍手は、ボクらを祝福する拍手のようで、
それからボクは
「働く人をシアワセにするレストラン」のコトを考え、
みんなでそれを現実のモノにしていった。
その経験が、今のボクを作ってくれたと言っても
それは間違いじゃない。

2011-09-29-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN