おどろきのサービスで評判の店がある。
大した宣伝もしていないのに、
口コミだけをたよりにかなりの人を集めてる。
予約だって取りにくいんだよ‥‥、
と業界通の友人が言う。
ならば行ってみなくちゃネ‥‥、
と予約をします。
勉強ですから。



予約の電話がまず詳細を極めます。
予定の日時と人数を述べると、
少々お待ちいただけませんか? と。
いささかもったいぶった長い保留音の後、
「その日ならばお席のご用意ができますが‥‥」
と答えをもらう。
「サカキといいます」と名前をいいます。
できれば、下のお名前も頂戴できませんか? と。
サカキシンイチロウでございます。
そう答えると、そのあと、
まるで嵐のような質問が続きます。
連絡先の電話番号をお教えいただけますか?
ご勤務先のお名前は?
差し障りがなければご勤務先のご住所なども
お教えいただけませんでしょうか‥‥、と、
まるで身上調査のごとき矢継ぎ早の質問に、
あぁ、彼らはこうしてボクの情報を探ってるんだろう。

今から8年ほども前のコトでございましたか。
だからインターネットで
いくつかの固有名詞をキーワードに検索をすれば
ボクがどんな人かを探り当てるのは簡単なコト。
電話を切ってしばらくしたら、
なんとボクのオフィスにファックス。
ご同行のお客様のお名前も、
もし決まってらっしゃれば
お知らせいただけませんかと
なんとも、用意周到。
はじめてそのレストランに行くボクを、
はじめて来たとは思わせぬ、
おなじみさん扱いの準備をするに違いない。
ちょっとたのしみではありました。

そして当日。
場所は比較的すぐに分かりました。
街の新しいランドマークとして話題のビルで、
ところがその店にアクセスできるエレベーターが
どうにもこうにも見つからない。
すると黒いスーツにインカムまとった
黒いスーツのおにぃさんが、すっと近づき
「私どもお店をご利用のお客様でらっしゃいますか?」
と。
同じビルにある他のお店へのアクセスは、
すぐにわかるようになってる。
だからココで右往左往としてる人は、
ほぼ確実にその店にはじめてやってくる人だって、
推察できる。
「はい、予約をしておりますサカキでございます」と。
お待ちしておりましたと、
エレベーターのドアがあき、
ボクらが入ると彼のお辞儀とともに扉が閉じる。
再びドアが開くとそこはレストランのお店の中で、
扉の前にたってボクらを待っていた
ビロード風にぬめりとテカリをもった
一際派手なスーツを来たオジサンが、
ボクの顔を見つけてそっと片手を差し出します。

「サカキ様、お待ち申し上げておりました‥‥、
 当店の支配人でございます」

6人ほどのおじさんを一度に運んだエレベーターの中から
ボクを見つけ出し、挨拶をする。
なかなか手際がいいじゃないの‥‥、と。
どんな推測でボクがサカキさんだって
わかったんだろう‥‥、
ってテーブルに付いて言ったら
一番最後にエレベーターに乗った人が‥‥。
「ヒゲ、デブ、坊主、サカキ様」
ってインカムで下の人が言ってたよ‥‥、って。
絶望的なほど、それは分かりやすいヒントで
たしかにそれなら誰でもボクだとわかる。
テーブル担当を名乗るウェイターがやってきて、
まずはボクに
「お待ち申し上げておりました、サカキさま」と言う。
今日のメニューが読み上げられて、
一皿目の料理が半熟玉子と
キャビアの前菜だと告げたのち、
すかさずボクの方をみて、
「サカキ様には半熟玉子の代わりに
 ブリニでキャビアを召し上がっていただこうと
 思っております」‥‥、と。
ははぁーん、ブログを見たな。
ボクの好みもわかった上で、メニューを組んでる。
今の時代のサービスのあり方なんだろうなぁ‥‥、
って思いはしたけど、
残念ながら、その日は彼らが予期せぬコトが
実は既に起こってた。






その日の会食はボクの会社のお客様。
つまり、飲食店の経営者の人たちとボクの父。
彼らの師匠にして、ボクの会社の社長でもある、
その日、そのとき、そのテーブルで一番、
敬意を払われるべき人はボクではなくて、彼のはず。
名前を事前に伝えはしたけど、
ボクの父はブログをやってるわけでなく、
ネットの中ではほぼ無名。
だから彼らはわからなかったのでありましょう。
サカキ様。
サカキ様をボクに向かって連発します。
そのたび、父はビクンと体を反応させて
自分のコトかと背筋を伸ばす。
けれどそれが自分のコトではなくて
自分の息子のコトだとわかると
人目に、ガッカリするのがわかるのですネ。

しかも「サカキ様」というその挨拶は、
テーブル担当の人だけでなく、
店中の人に言うように‥‥、
と徹底されているのでしょう。
手の空いた人が次々ボクのかたわらにきて、
「お目にかかれて光栄です、サカキ様」
などと行ってはテーブル、離れてく。
これほど自分の名前が呼ばれて、うれしくもなく、
窮屈で恨めしい経験は
それまで、あるいはその後もなかった。

たまりかねて、ボクは支配人を呼び、
父を紹介することにした。
「この人、ボクの父親で、
 今日は彼がココに来ようって行ったんですよ‥‥、
 ボクは予約を手伝っただけ」と。

申し訳ないと彼は深く頭を下げて、
全従業員にその旨、徹底したのでしょう。
それからボクのかたわらにやってくる人は
みんなまずはボクに向かって、
「サカキ様」といい、続いて父に
「サカキ様のお父様」という。
走りだした列車はすぐに停まれない‥‥、
っていうコトなのでありましょう。
体の中にすべてのサービスの前後に
お客様の名前を呼ぶ‥‥、
というコトがプログラムされ、
染み付いていたのかもしれません。
そのテーブルは、まるで父兄参加日の
お食事会のようになった。





そのときボクは、はるか昔に京都で出会った、
あの女将さんの最後の言葉を思い出します。

お客様の名前は、お客様の持ち物と一緒でございます。
だからそれを軽々と、口にすることなど
サービスをする私どもには恐れ多くて。
滅多なコトでは名前を呼ばぬ。
ココロの中で名前を呼べば、それで気持ちは伝わるモノ。
それでも名前を口に出し、謝る、あるいは感謝する。
そのときにだけ、私どもは
お客様の名前を呼ばせていただきます。

そういい彼女は、最後の最後に
「クラークさん、ヒルマンさん」
と謝罪の言葉の最後を〆た。
ボクはそれからボクらの店でも、
無闇矢鱈にお客様の名前を呼ばず
ココロの中で名前を呼ぶを、
サービステーマにしておりました。

ただ一度だけ。
目が見えぬお客様をおもてなししたいという
お客様がいらっしゃって、
どうサービスをすればいいのか? と言ったらその人。
普通の人と同じようにサービスしていただける方が
ありがたいです‥‥、と。
ただなるべく、耳元で名前を
やさしく呼んでさし上げると安心されると思いますよ。

どういうコトかと、ボクは実際、
目隠しをして食事をためす。
普通のサービス。
二人でテーブルを挟んで行う普通のディナー。
目が見えぬということはたしかに不便で、不安なコトで、
けれど慣れると案外なんとかなるものだった。
ただ一点だけ。
「右手にお茶のポットを置きます」
というそのヒトコトが、誰の右手がわからない。
「お熱くなっておりますので」と言った最後に、
「サカキ様」とそっと名前を添わせてくれると、
目の前に誰かの顔がボンヤリ浮かんで見えるのですよね。
なるほど、そうかと。
その日、ボクはそのお客様がやってきて、一番最初に
「お待ちしておりました、
 ワタクシ、サカキと申します」と。
挨拶をしたら、自然と彼女がニコリとなって
「ユリと申します、よろしくお願いいたします」って。
ボクはユリさんに何か伝えたくなることがあると、
必ずユリさんと名前を呼んだ。
そのたび、彼女はボクの方に顔を向け、
ニッコリとして頷いた。
2時間程の食事の果てに、
ユリさんがボクにこういいます。

「こんなに安心できた食事は、
 ひさしぶりにいたしました、
 どうもありがとうございます、サカキさん」って。

うれしかった。
人の名前は人を安心させるため、呼ぶべきなんだ‥‥、
とそのとき確信した次第。
名前を呼ぶコト自体が良いサービスと勘違いするお店は
「名前をお呼びできる」というシアワセの本質を、
知らないお店なんだろうなぁ‥‥、
って思いもしました。
勉強でした。

さてさてそろそろ、ボクらのお店が終わりを迎える。
その顛末をご披露しましょう‥‥、また来週。



2011-09-01-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN