ファーストクラストラベル。
ゴージャスで、エレガンスに彩られた、
単なる移動にとどまらぬ贅沢な時間。
当然、それは高価な時間で気軽に手が出るモノではない。
値段以上に、なにか選ばれた人だけに許された
贅沢のような気がして、
若いボクには縁がないモノだろうなぁ‥‥、
と思っていました。

チャンスは突然やってきました。
海外から日本に進出したいという外食企業が、
マーケティングとパートナー探しを任せたいから‥‥、
と連絡があり、
そのプロジェクトのヒアリングと打ち合わせのために
来ていただけませんか? と。
面白そうでやりがいのある話で快諾。
ボクがめでたく担当となり、
秘密保持の契約などをいくつかむすぶ。
分厚い契約書と一緒に、
航空券がひとり分、同封されてやってきました。

往復のチケット。
搭乗予定の日付。
日系エアラインのコードがかかれたその横に
「F」とアルファベットがふられていました。
ファーストクラスの頭文字。
ビックリしました。
それを会社のみんなに見せるとうらやましがられること、
うらやましがられること。
けれど、それはボクに発券されたチケット。
これも勉強のひとつでしょうから‥‥、
と意気揚々と空飛ぶ人となりました。





昼ちょっと前に成田を出て、
12時間で夕方4時のロンドンにつく。
それが行きのフライトで、
飛行場までお迎えにあがりましょう、
そのまま軽く打ち合わせをして、
食事をご一緒致しませんか‥‥、と、
それがその日のスケジュール。

さてさて、時差をどう克服してやろう。
ずっと起きていたならば、
ロンドンに着き大切な打ち合わせのときが
日本の深夜の1時とか2時。
まともな会話をその状態でする自信がボクにはない。
成田の昼は、ロンドンの4時‥‥、午前4時。
週末の夜更かしの翌日だと思い込むコトができれば、
到着してから楽になる。
まず寝ることだなぁ‥‥、とボクは思った。
ありがたいコトにファーストクラスのシートは大きく、
ほぼベッドのようになってくれます。
あぁ、ありがたい。
今日はぐっすり寝ていくぞ。

お待ちしておりました、サカキ様。
そう、うやうやしくお辞儀をしながら
「なんなりと、お申し付けください」
とニッコリほほえむキャビンアテンダントに
ボクは告げます。
「なるべくたくさん寝たいので、
 クイックなサービスを
 お願いできるとうれしいのですが」
と、そういうボクに、
これまた丁寧にユックリ頭を下げながら、
「心がけます」という彼女。
パリッときれいなテーブルクロスがひかれ、
シャンパンのグラスにキャビアが瓶ごとどうぞと。
あたかもひとりでたのしむ晩餐会のごとき
豪華な料理が次々運ばれて、
彼らが使う「心がけます」という言葉の意味は
「聞きはしますが対応しません」というコトなんだと、
30分ほどで気がついた。
それから延々。
味も見た目もうつくしい料理が次々運ばれて、
3時間ほどかけ食事が終わる。
デザートはいりませんから‥‥、
と椅子を倒して眠る準備を始めるボクに、
「ならばチーズをお持ちしましょうか?」。
お休みになるのであれば、
シャトー・ディケムのご用意もございますが
いかがしましょう。
この期に及んでの見当はずれに、いや、結構。
朝になるまで起こさないで‥‥、と横になる。
目を閉じながら、
ロンドンではもうスッカリ朝になったんだよネと
そう思う。

その後、寝ている間に
何度かトントンと肩を叩かれ起こされる。
最初はアイスクリームをいかがですか?
あとは、スナックの準備ができたからとか、
喉が渇かれているならお水はいかがとか、
彼らなりの心配りなのだろうけど、
ときにして、行き過ぎたサービスは
バッドサービスになってしまうんだというコトを、
このとき、思った。
特にそれが、自分たちがお客様のためにと思い込んで
押し付けてしまうサービスは、
迷惑至極なおせっかいになるのですネ。
おっと、これは、ずいぶん昔の話です。
さすがに今の彼らは、ここまで押し付けがましくはない。
けれど当時は
「お客様をどれだけ喜ばせてさしあげるか」
を一生懸命考え、実践するのが彼らの使命で、
そのお客様の喜びの中に残念ながら
「安眠」というモノはなかった。
眠るのが勿体ないほどのサービスの良さを、
必死に追求していたのです。
飲食店でも、「良いサービスのスタンダード」は、
お客様の中にあるべきで、
提供者側が勝手に決めるものではないって
思いましたよ‥‥。




ロンドンにつき、
将来のクライアントと一緒に食事をしながら
ボクは、まずは
ファーストクラスのチケットに対して感謝をし、
けれどとその日のフライトのコトを話題に盛り上がる。
あれじゃぁ、ファーストクラスじゃなくて、
スーパービジネスクラスみたいだと思いましたと。
言って、少々、言い過ぎたかな‥‥、とちょっと反省。
もしまたロンドンに来るチャンスがあれば、
ボクにはファーストクラスは過分ですから‥‥、
と気持ちを伝える。
それは大変なご迷惑をかけました‥‥、
と笑うロンドンの紳士たち。
今度、こちらに来られるコトがあったなら、
ぜひ、英国航空を使われると良い。
彼らは世界で一番
「ファーストクラスとは一体何か?」
というコトを知っている、
と私たちは誇りに思っております故‥‥、と。

それから数日、
彼らが経営しているレストランの現場をみたり、
日本におけるチェーン展開の考え方のヒアリングをし、
再び日本に戻る。
自分なりの意見をまとめ、
それを我々の提案にして送って待った。
正式に、一緒にプロジェクトを
すすめることにいたしましょう‥‥、
という手紙と一緒に
成田、ロンドン往復のエアチケットが送られてきた。
前と同じくボクの名前にファーストクラスのFの文字。
コードネームがBAと入ってた。
英国航空。
彼らが誇りと思う会社の、
ファーストクラスの旅人となる。





ボクは同じくこう告げました。
「なるべくたくさん寝たいので、
 クイックなサービスを
 お願いできるとうれしいのですが」と。
年かさのバトラー風のパーサーで、
彼は軽く腰をかがめてボクに言います。
たしかに、ロンドンでは、
クラブ遊びもそろそろ終わりの時間でございましょう。
お腹がおすきでなければ、
ホットチョコレートでもお飲みになって、
そのままお休みなさいますか?
それとも、サンドイッチにスコッチで
お腹を軽く満たしてお眠りになりますか? って。
この瞬間、飛行機はまだ日本の成田にあるのに
すでに、ボクの体はロンドンにある。
そんなふうに思って、ホッと気持ちがなごむ。
サンドイッチを頂きましょう。
お供はスコッチでなく、ホットチョコレートに、
もしあればベイリーズを
ちょっとたらしていただけませんか?

ベリーグッド・サーと彼は答えて、
そして飛行機は飛び立って、やがて水平飛行に入ってく。
ポーンっとシートベルトを外せるサインがなると同時に、
サンドイッチとホットチョコレートのカップを持って
やってきます。
彼と一緒にキャビンアテンダントが
毛布と枕を手にやってきて、ボクの膝を毛布で覆った。
彼はテキパキ、椅子の袖からテーブルを半分だけ、
驚いたことにテーブルクロスをひくこともなく、
そのままお皿とカップを置く。
「お休み前にベッドで夜食を食べてるみたいで、
 ウキウキしますネ」。
そういう、ボクに彼はウィンクしながら
「さよう」と小さく答え、
ポケットの中から耳栓とアイマスクを出し、
ボクに手渡す。
そして言う。
おめざめになりましたらお知らせください。
これから、みなさまに食べていただく午餐を
準備させていただきますから。
今日のローストビーフは
うっとりするほどの出来でございますゆえ、
こころおきなく良い夢をおたのしみください‥‥、と。

水平飛行に入ってから、20分でボクは体を横にして、
寝る体制にユッタリ入った。
カカオリキュールの甘い香りと、
体を芯から温めるホットチョコレートのやさしさに
この上もないリラックスを感じたのでしょう。
あっという間に眠りに落ちる。
ファーストクラスな眠りから、
やがて覚めるであろうボクを、
ファーストクラスなマジックが待っていました。
また来週。


2011-07-28-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN