食事がすすむにしたがって体温が上がってしまう。
あるいは、次々お店に集まってくる人いきれで
レストランの室温が上がってしまう。
それゆえ起こる、さまざまな体の異変。
ある程度の経験があるサービススタッフであれば
気がつくコト。
お店のお客様全員が、
うっすら額に汗をかいているような状態であれば、
エアコンの設定温度を
下げてさしあげるなどという対応を、
さきまわりしてそっとすることもできるのですが、
ただお一人で特別汗だくになっているような状況は、
かなり困ったシチュエーション。
そっと冷たいおしぼりをお渡しするくらいしか
対処のしようがないのです。

というのも実は、お店の方から
「お脱ぎになりますか?」とは、言うに言えない。

理由はこうです。
レストランで着席するというコト。
それは「椅子に腰をおろす」という
以上の意味をもった行為なのです。
その意味というのは、
「私はこの状態でこれから食事をたのしみます」
という意思表示。
そのため、食事をたのしむために必要のない、
コートであったり荷物であったり、
さまざまなモノを脱ぎ、預け、
あるいは手元に退避させ、着席をする。
お店の人は、お客様の決意を見届け、
その気持ちを尊重しながら
サービスをしなくちゃいけない。

例えばテイラー仕立てのマオカラーのジャケットを、
キリッと着こなすチャーミングな
女性のお客様がいたとしましょう。
お友達と二人でこられて、
たのしい会話とたのしいお酒で盛り上がる。
頬がほんのり色づいて、
うっすら汗をかかれているからと、
「ジャケットをお脱ぎになりませんか?」
とすすめる。
お友達も、私も脱ぐからあなたも脱げば‥‥、と。
けれど彼女は脱ごうとしない。
何度すすめても、脱ごうとせずに
ポロリポロリと涙を流す。
「遅れそうだったから、
 パジャマの上にジャケット羽織ってきたんです‥‥」
って、このエピソードはフィクションですけど、
そんなコトが起こらないとも限らない。

実際、テーブルクロスをひいてしまった小太りさんが
背広の上着を脱いだあと。
汗でシャツがぐっしょり濡れて、
ピタッと背中に貼りついていた。
人は背中に目が付いてない。
だから小太りさんは気づかずいたけれど、
かっこいいモノでは当然、なかった。

実は、上着の下は必ず隙や、乱れがある。
予期せぬ汗ジミ。
ズボンからペロンとはみ出すシャツの裾。
ほつれてしまった裏地の糸が、シャツの上で踊ってる。
上着は客間。
上着を脱いだら、そこには茶の間。
他の人にみせるための準備が、
いつも出来ているわけじゃない。
だからお客様に恥をかかせないため、
「上着をお脱ぎになりますか?」
はなるべく言わぬようにとボクはずっと心がけてた。





こんなお客様がいらっしゃいました。

深い紅色のタフタ。
ネットリとした光沢のある
ぬめらかな絹を贅沢に使って織った生地で作った、
ジャケットを着たうつくしき女性。
引っ詰め髪で薄化粧。
飾りっけのまるでない清楚のさまを、
真紅のジャケットが引き立てるという
とても印象的なお客様。
どういう関係なんだろう‥‥、
落ち着いた白髪の男性にともなわれ
やってきたのが初夏のコト。
その日はなぜだか、日がおちても
なかなか涼しくなってはくれず蒸し暑かった。
それでほとんどのお客様は座る前から
ジャケットを脱ぎくつろいでいるその中で、
彼女の凛とした姿がとてもはえていた。
うつくしい姿の女性がいてくれるレストランとは、
空気がどこか華やぐものです。
まるで彼女のいる場所が、
お店の中心のような気配すらも漂うステキ。
ボクも気合をいれてサービスをする。
ところがやはり、蒸し暑い日の分
厚いタフタは体にやさしいものではなかった。
彼女の額が汗ばみます。
けれど最初から涼しい装いになっている、
他のお客様は快適げ‥‥。
さぁ、どうしようと思っていたら、
連れの紳士がサッと手を上げボクを呼びます。

「彼女が顔をなおしたいらしいのだけど、
 お手洗いまで案内してやっていただけますか」
とボクに言う。

食事途中の中座は小さなマナー違反。
けれど、不快な顔や雰囲気をかもしだすのは
もっと大きなマナー違反。
しかも同席している、つまり中座して
一番無礼を感じるはずの人からお願いされれば、
ふたつ返事でしたがうことが、ボクらの仕事。
テーブルを手前に軽くひき、
テーブルクロスを引きずらぬよう
手でテーブルトップに押さえ、
彼女のために通路までの経路をつくる。
真紅のジャケットとおそろいの生地でできたポーチを
片手にもち出てきた彼女を、お手洗いまで案内します。
小さな店で、トイレの場所はすぐわかる。
けれど案内してくださいと言うということは
何らかの形でボクを必要としているのだろう‥‥。
そう思ってボクはトイレの外でしばらく待ってた。




果たして、一旦閉まったドアが再び、そっと開きます。
そこにボクが立っているのをみとめて
彼女は、ニッコリ笑って
「どこか変なところはございません?」と。

そう聞く彼女は、ジャケットを脱ぎ
生成のリネンのブラウス姿でたっていた。
ピタっと仕立てのよいシャツで、
清楚な彼女の雰囲気に
むしろ真っ赤なジャケットよりも
こちらの方が似合ってみえる。
新しい洋服を品定めするときのごとき
優雅で、ユックリ彼女は後ろを向きます。
あぁ、なんと。
シャツの後ろには赤い糸くずがたくさん付いてる。
真紅のジャケットの裏地がこすれて、
リネンの生地の隙間についてしまったのでしょう。
ボクは急いで梱包用のテープをだして、
手に巻きつけてペタリペタリと糸をとる。
「ありがとう」といいつつ
彼女はポーチの中から真紅のピアスを取り出した。
蓮のお花のモチーフで、少々、大ぶり。
今日のジャケットに合わせて買ったのだけど、
これまでつけると目立ちすぎるかと思って
途中で外したの‥‥。
そう言いながら、耳にほどこす姿をみながら、
映画ならばココでボクは彼女に絶対、恋する場面。
彼女の手を引き、
レストランの通路をふたりで駆け抜けながら
恋の歌をうたって踊るところだろうなぁ‥‥、
と妄想しつつ、けれどボクの手の中にあるのは
彼女の真紅のジャケット。
彼女は優雅に通路を歩き、紳士の前に戻って座る。
その涼やかな姿にその夜、
そこにいた男性はみんな深くため息をつき、恋をした。
けれど彼女が恋する相手は、目の前にいる白髪紳士。
大人のふるまい‥‥、さて、来週。



2011-04-21-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN