おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(四冊目のノート)

実はそういうワタシの父も、
実は飲食店の経営に失敗をした人です。

一時期は中四国地方で数十軒もの飲食店を展開し、
一応の成功をみていました。
業界でも有名な会社で、
経営者である父はいろいろなところで
講演して歩いたりさえしていた。
そんな注目企業を経営していた。

どんな大きな会社にも、はじまりはあります。
たいていが、とてもちっぽけなはじまりで、
父の場合は、父の父から譲ってもらった、
カウンターだけの小さな店がきっかけでした。

1960年代。
まだ日本は貧しくて、でも少しずつゆっくりと、
豊かの方向に走り始めた頃でした。
小さなお店の奥にはドラム缶が置かれてた。
お店の営業が終わりに向かい始めると
その下に使い終わった割り箸や箸袋をくべて、
お湯を沸かした。

当時まだ、一般家庭のほとんどに
お風呂がなかった時代です。
しかも父が経営していたお店は鰻の専門店。
一日、お店の中で働くと
自分自身も蒲焼になってしまったかのように
体中に匂いがついてしまいます。
おいしそうな匂いであって、決して悪臭ではない。
けれど、そのまま家に帰るわけにもいかないだろう、
ということで、お店の奥のドラム缶を
お風呂代わりにしてみんなで使うのですね。
匂いもとれるし、汗もながせてさっぱりする。
なにより、みんなで同じお湯を使うという、
まるで家族になったような親密感が、
ボクはとても好きでした。

後片付けと、次の日の商売の準備に忙しい、
父と母にかわって従業員のみんなが順番でてわけして
子供のボクをお風呂に入れてくれたりもした。
一日中の立ち仕事。
決して楽な仕事でもなく、
毎日毎日、同じことの繰り返しばかりのような職場にあって、
みんな笑顔で、和気藹々で。
たちまち街のうわさになって、
繁盛店と呼ばれるようになりました。

正直に、一生懸命ひとつのことをやっていれば、
チャンスが向こうの方からやってきます。
支店を作ってみませんか?

お店の中には経営者と一緒に、
毎日、仕事をして鍛えられている優秀な人材が
ゴロゴロいます。
だから何の苦労もなく支店ができる。
支店というより、
本店がもう一軒できたようなものでもあって、
それからしばらく。
ユッタリとしたスピードで一軒一軒、
ていねいにお店を作って増やしていくことができました。
どのお店の人たちとも、
まるで家族のような付き合いがずっと続いた。

父の居場所はそれぞれの支店の厨房の中。
学校を終え、お店に行くと、
みんながボクを見つけて
「シンちゃん、元気?」と声をかける。
ボクが体育が苦手で、逆上がりがまだ出来ないこと。
でも、絵や音楽は得意で、
大阪の万国博覧会記念絵画コンテストで
銀賞をめでたくとったこと。
そんなことをお店の人、みんながなぜだか知っていた。

ボクはそういう父の仕事ぶりを眺めながら、
いつかはこうして飲食店の経営を
することになるのかなぁ‥‥。
もしそうなったら、厄介だなぁ。
一度にこんなに家族ができる人生なんて、
うれしいけれど、面倒だなぁ‥‥、
って子供ごころにおもってました。

ボクが小学校を卒業するくらいまでの、こんな日々。
ボクらの家は、本店と呼ばれる店から徒歩1分ほどの、
まさに仕事と生活がシームレスにつながっていた、
そんな日々。

ボクが中学校の2年のとき。
まず本社事務所ができました。
父の仕事場所は、お店の厨房から
本社の社長室のデスクに変わった。
ボクらの家も、お店から遠く離れた郊外に移って、
つまりボクたち一家の生活は、
仕事と切り離された平和で落ち着いたものとなった。

父がいったい、なにを今しようとしているのかが、
さっぱりわからぬ生活が平和なものであるとするならば、
見事に平和。
ひさしぶりにお店にいっても、
そこで働いている人の名前もわからず、
しかもボクの名前を誰もしらないような生活が
落ち着いた生活であれば、見事に落ち着いた毎日でした。
たまに起こる事件といえば、
父と母が仕事のことで夜中に喧嘩をするようなこと。

ボクの親父は、飲食店の店主じゃなくなったんだなぁ。
会社の社長。
仕事は会議をしたり、店を作ったりすることで、
それならボクにだってできるかなぁ。
でも、ボクでなくてももっとそうしたことが上手な人が
世の中にはいるだろうから、
別にボクがこの会社を継がなくてもいいのかなぁ‥‥。
なんて、ことをぼんやり思うような10代半ば。

ところが。

ボクが高校生になった頃から、
父の商売はじょじょにうまくいかなくなり始めます。
魂を込めぬ店をたくさん作った、
というのが理由のひとつ。
ただ、負けん気の強い父は、
もっとたくさんの店を作ることで
さまざまな問題を克服できるだろう、
と拡大をやめようとしません。
誰よりも勉強するのが好きな父は、
日本人はこれから街中を捨て、
郊外のレストランで食事をするようになるだろう、
と新天地を求めて郊外にお店を作ります。
大きな駐車場を備えた、
ハンバーグがおいしい気軽なレストラン。
今でいうところの、
ファミリーレストランのはしりのような店を田舎町に二軒。
ほぼ同時に開業。
‥‥させたとたんに、オイルショックがやってきました。

時の神様に見放されてしまった父の会社はあえなく倒産。

時期こそ違えど、
先週まで語ってきた悲劇はボクの中にもあったのです。

ボクの祖母はこういいました。

オデキと飲食店は同じだよ。
大きくなると必ず潰れるように出来てるんだ。
確かにそうだと思いました。

 
2007-10-25-THU