おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(四冊目のノート)

グレープフルーツ。
ボクの家の食卓にはじめてやってきたのって、
いつだったんだろう?
そんなことを考えてみました。

ぼんやりと‥‥。
小学校の高学年くらいの頃だったんじゃないのかなぁ。
今から40年近くも前のコト。
でもその前の日本には、
かんきつ類といえば日本土着のみかん類か、
輸入されたオレンジがほんの少々、あっただけ。
贅沢‥‥、だった。
ボクがお金を払って買っていたわけではなかったけれど、
でも高価だったのだろうともおもいます。
なにかよいことがあったり、
誰かの誕生日のような特別なとき。
そんなときに、テーブルの上にそっと置かれる。
グレープフルーツは、
そうしたとっておきの食べ物でした。

半分に切ってお皿にのせる。
その半分もスパッと房に垂直の方向に切った半分で、
放射状に三角形が集まった、
まるで小さな太陽のような黄色い実。
夏みかんのような色、形。
でもそのように切って、
スプーンで房の中身だけ取り出して食べるフルーツなんて、
それまでボクらは知らなかった。
一個切っては中を確かめ、
一番みずみずしくておいしそうなのを
お父さんの前におき、その片割れは長男坊のボクの前。
しかも先の尖ったギザギザスプーンを一緒に添えて。

それを食べるためだけの道具を必要とするフルーツ。
っていうのも、なんだか他とは違った
特別な食べ物なんだという存在感を発散してた。
けれど、その高価に見合っただけの
おいしい食べ物だったのか?
というと、これが決してそうではなかったのが、
ちとさみしい。

苦い。
すっぱい。
渋い。
と、三拍子そろった子供にはおいしくはない食べ物で、
諸手をあげて、「わぁ、ママありがとう」
って具合にはいかない哀しいフルーツ。

珍しいから。
贅沢だから。
この味がわからないのが
なんだか恥ずかしいことのようにおもって、
家族みんなでありがたく食べるように努力していた。
同じ高価な食べ物ならばメロンの方がありがたいのに。
罰当たりなことを思ったりもした。

そんなような記憶が頭の片隅にポツンとある。

おいしく食べる工夫をしました。
グラニュー糖をタップリかけて、甘さを足す。
しかもとても食べずらいフルーツで、
ギザギザのついた先が尖ったスプーンを
皮と実の間にグサッとさして、
グイグイ、ほじくり返すようにして中を取り出す。
それでパクン。
グラニュー糖のザラザラを、
舌の上で一生懸命溶かしながら、
それで苦味を忘れて食べる。

たいていが、晩ご飯が終わったあとのこと。

アメリカの人たちって、
脂っこいステーキを食べた後に、
このすっぱいので口の中をさっぱりさせるんだネ。
そう知ったかぶりの質問をするボクに、母はこういう。

何をいってるの。
アメリカではこれを朝、
ジュース代わりに食べるのヨ‥‥。
それでパチンと目を覚ますの。

へぇ、そうなんだ。
確かにこれだけすっぱくて苦ければ、
目も覚めるに違いない。
でもそんな目覚めは嫌だなぁ。
‥‥、って、そんな具合に思っていました。
なにより、みかんやオレンジに比べると
それほどみずみずしくはない、
大きいだけの果物の実を、
ジュースの代わりにするなんて、
なんて不思議な人たちなんだろう。
そう、アメリカの人のことを思いもしました。

まだまだ日本の食生活のバリエーションが
それほどなかったのですね。
パイナップルは缶詰であるのが当たり前。
キウイフルーツもまだ日本人には知られてなかった。
ブルーベリーだって、ラズベリーだって
まだ凍った状態で一部の人たちの口に入るだけ。
そんな時代のコトであります。
消費者も正しい食べ方を試行錯誤、
といった状態でもあったのですね。

それから徐々にオレンジであるとか、
グレープフルーツであるとか、
かんきつ類の輸入量が増えたからでしょう。
グレープフルーツそのものが珍しい果物である時代は、
すみやかに終わりました。
値段もどんどんこなれてきて、
いろんなところで見かけるようになる。
輸入される分量が増えるだけじゃなく、
輸入されるものそのものの品質が良くなったのでしょう。
輸送手段が限られていて、
それで未熟な状態でとって
そのまま持ってきていた昔と違って、
あるていど熟したものが手に入るようになり、
結果、苦くてすっぱいだけのフルーツでもなくなりました。

とはいえ、買ったどれもが同じく甘くておいしいか?
というとやはり自然の恵みのフルーツのこと。
モノによっては砂糖や蜂蜜をかけなくては
食べられないようなものも混じる。
食べてみなくてはわからないのが農産物の定めです。
ならばと、フレッシュのグレープフルーツの
一番賢い楽しみ方は、搾ってジュースにして飲む、
ということになる。
何個かをまとめて搾って混ぜ合わせれば、
ほどよく甘くて、ほどよくすっぱいジュースになる。
安価に手に入るようになった、というのも追い風でした。

半分に割ってスプーンですくって食べるという、
かつての食べ方。
高価で贅沢な食べ物としてのグレープフルーツは
徐々にボクの頭の中からかすんで消えた。
そんな頃。
ボクは運命のグレープフルーツに出会うことになる。
究極にすばらしい、
ハーフカットのグレープフルーツとの出会いでした。

 
2007-05-31-THU