おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(四冊目のノート)

まずは‥‥。

給仕長が声を整え、こう切り出します。

「本日は、スモークサーモンをご用意しております。
 いつものようにすばらしい出来でございます」

すかさず師匠が小声でボクに、こう解説します。

サカキ君。
今のは、どのようなことがあっても、
スモークサーモンだけはご注文ください。
という意味ですからネ。
迷わず、「ちょうだいします」と言いましょう。

なるほど‥‥。
「ご用意しております」。
しかも「いつものように」というキーワードは、
「絶対に後悔しないから、かならずたのめ」
というコトを、
とてつもなく丁寧に表現する言い回しなんだ。
頭の中のメモ帳に書く。
さっそく勉強でありました。

「いつもの野菜サラダもご用意しておりますが、
 もしよろしければ、
 毛がにをタップリつかったサラダもございます」

これは、サラダはぜひにたのみなさい。
もし懐具合に余裕があれば、
毛がにのサラダをたのんでいただければ、
より一層、満足していただけると存じます。
というコトですから、今日のサカキ君は
「野菜のサラダで結構です」
これが正解ですからネ。

いちいち、勉強。
いちいち、納得です。

給仕長が続けます。

「本日は滅多にないことでありますが、
 すばらしいコンソメがひけております。
 少々、贅沢ではございますが、いかがされますか?」

サカキ君‥‥、これは困った。
結構、値段が高いはずなんだネ、
このコンソメスープは。
でも滅多にないんだ。
ボクらは運がいいんだか、悪いんだか。
どうしよう‥‥?
実はボクもまだ
ここのコンソメを飲んだことがないんだけれど、
どうすればいいかなぁ‥‥。

ボクは、給仕長にこう聞きました。

二人で一人前というのは、お行儀が悪いコトですか?

いえいえ、当店のコンソメはほんのひと含みで
普通のコンソメスープ一杯分に相当する芳醇さかと存じます。
デミタスカップ一杯分で十分に堪能していただけるかと
存じますので、そのようにご用意させていただきましょう。

うん、それでいいんだ。
やるじゃないか、と師匠はニヤリとボクを見る。
ふふふ‥‥、であります。
メニューがあらかじめ書かれていない、ということは、
そこのお店の料理の楽しみ方があらかじめ
型にはめられてはいない、というコトでもある。
だから臆せず、このようにはならないのですか?
と聞いてみても、決して失礼にはあたらないのだ、
ということなのですね。
特に分量。
そのときどきのお腹の具合。
あるいは懐具合にあわせて、
なんとかなりませんか、といってみること。
大切だなぁ、とそのとき思った。

師匠がいいます。

コンソメで贅沢をさせていただいた分、
お肉を少々、少なめにしていただきましょうか。

なるほどスマート。
お店の人の言いなりになるのではなく、
かといって、お客様としての主張ばかりをするのでなく、
お互いの思っていること、伝えたいことを
交換し合って注文となす。
その日、食べるものを決めるということは
作り手と食べ手の共同作業なのである。
‥‥、ということをそのときはじめて、実感しました。

すぐれた給仕長。
あるいはすぐれた注文をとる能力をもっている人とは、
メニューブックがなくとも
正しく、今日、提供できる料理を
伝えることができるのですね。
しかもどの商品が特別で、
したがって少々、値段がはるものなのかを、
直接的ではなく、でもちゃんと伝える言葉を知っている。
安心してたのむことができる料理。
これだけはたのまなくては損してしまうであろう料理。
そのさまざまを、きちんと伝えて、
ボクらの正しい判断を助けてくれるのですね。
そうした卓越がレストラン側に用意されてて、
彼らの言葉の裏側にあるアドバイスを
ただしく聞き分ける注意力と想像力が
ボクたちの側にあったなら、
むしろ文字で書かれたメニューなどというものが
ないほうが、的確な注文ができるのじゃないかしら。

そう感心しながら、食事がスタート。

で、お味の方は?

そりゃすばらしかった。
今まで自分が食べていたステーキって
一体、なんだったのだろうって、
一人、勝手に反省モードに
入ってしまうほどのおいしさで、
なるほど5万円分の貯金をおろしてらっしゃい、
と師匠にいわれたそのワケを、
ジンワリ笑顔で噛みしめた。
‥‥、ような次第でありました。

夢のような2時間ほどがユッタリとすぎ、
そうして最後の課題です。

デザートの注文。
件の給仕長がニコニコしながら、
ボクたちのテーブルに近づいてやってきたのでありました。

 
2007-04-26-THU