おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(四冊目のノート)
醤油を白木のカウンターに
落としてしまったご夫人がおねだりした、魔法の正体。

ご主人はひときわ、
前に乗り出すようにしてご夫人の方をじっと見ます。
そしておもむろに口を開いて、こういいます。

それじゃあ、魔法の呪文をお教えしましょう。

そういって一呼吸。
で、一気に3つの単語を言った。

パッション、ペイシェンス、ポリシング。

でもってビックリしたのが、
ご主人がパッションのパッと言った瞬間に、
ニューヨーカーのグループの人たちが一緒に、
その3つの単語を言い始めたコト。
いい終わって大笑いで、彼らはこういう。

実は3ヶ月ほど前、
初めて来たとき同じコトを言われたんだよね。
それから、寿司バーでは
気をつけて食事をするように自然となった。
デリケートな料理は
やっぱり食べるということに集中して、
きれいに食べなきゃ
本当の味がわからないような気がするようになったのが
うれしいやら、不思議やら。
‥‥、とそんなことを言いながら、
ボクらは大いに盛り上がった‥‥、のでありました。


それにしても、
パッション、ペイシェンス、ポリシング。
すばらしい。
情熱、忍耐、磨くこと。
それがカウンターをきれいに保つ魔法の呪文。
その通りでしかないなんたる正直。
しかもなんとも気が利いていて、
ボクらはしゃんと背筋が伸びた。
日本の文化が立派に見事に、
ニューヨークという街で息吹いてる。
そんなことを思ってうれしくなった。

で、件のご夫人。
やっぱり、一生懸命、磨かないと駄目なのねぇ‥‥、
と少々、クシュン。
ご主人、すかさず、こういいます。

カウンターもたまに日焼けをさせてやらないと、
丈夫に育ちはしませんから。

うまい。
ボクらはやんやの拍手をした。
寿司もうまくて、
なんともたのしい晩ご飯となったのでありました。

それにしても、寿司という料理は、
世界の他に例を見ない、不思議な料理。
‥‥、だとは思いませんか?
お客様の前では火を使わない。
調理器具らしい調理器具もなく、
あるのは庖丁とまな板だけという、
キッチンというにはあまりにあっけない場所で作られる。
基本的には寿司という料理一種類しかなく、
これが前菜、これがメインディッシュなどという
料理の間に区別すらない。

こんなのは断じて料理ではありえない。
そう大検幕で怒って店を飛び出した、
フランス人シェフが昔いました。
寿司屋にやってきて、お任せを一通り食べ終わって、
いかがでしたか?とお店の人にそうきかれ、
「ええ、前菜はもう結構ですから、
 メインディッシュをそろそろお願いいたします」
と言った、ボクのアメリカの友人にしてみれば、
確かに寿司。
壮大なる前菜のパレード、
のようにしか思えなかったのでありましょう。

そもそもボクらは寿司屋に
何を食べにいっているのでしょう?
そもそも寿司屋は、
いったい何をボクらに売っているのでしょう?


おすし屋さんは、鮮度と清潔、
そして正直なる手仕事を売っている。

ボクはそう思うコトにしています。

アメリカでは本当に寿司バーが増えています。
おもしろいコトに、中国料理レストランに
寿司バーが併設されたり、
フランス料理の店なのに寿司コーナーを
持っていたりするお店が増えている。
だから、寿司バーが増えているのではなくて、
寿司職人をおいたレストランが増えている‥‥、
といったほうが、
今、アメリカで起こっているコトの本質が
わかり易いのかもしれません。

なぜなのでしょう?

仕事柄、海外で働ける寿司職人を
紹介して欲しいのだけれど、
といわれることがよくあります。
あるときなんて、海外で会う人、会う人に、
寿司シェフの知り合いはいないの?
と聞かれて、あまりのことに、
「なんで君たちは急に寿司が好きになったの?」
と、意地悪な質問をしたことがあります。
答えは簡単でした。

別に寿司が好きになったわけじゃないんだよネ。
寿司が持っている、新鮮で安全で
そして清潔な雰囲気がボクのレストランに欲しいだけ。
あそこの店は寿司を売っているヨ‥‥、というコトは、
そのまま、あの店の食材は新鮮であるに違いない、
ってお客様から思ってもらえる。
寿司シェフは安全の象徴みたいなモノなんだよネ。

なるほどです。

かつてアメリカの食品流通システムが
今のように洗練されていなかったころ。
新鮮なミルクを扱える、
ということは仕入れにココロを砕いて
努力をしているレストランの証でした。
ミルクは長らく、
粉にされて流通するものであったのですネ。
いまだにダイナーレストランや
コーヒーショップに行くと、
こんな看板やポスターを
壁に見かけることがあったりします。

We sell Fresh Milk.

ワタシたちはフレッシュミルクを売っています。
うちのミルクシェイクは
粉末の牛乳とフレーバーシロップで作ってるのじゃなく、
フレッシュミルクとアイスクリームで出来ている
本物なんですよ。
‥‥、という誇らしげな看板です。

We sell SUSHI.

寿司は21世紀の牛乳のようなものなのかもしれません。
 
2007-03-01-THU