おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(四冊目のノート)
ボクはそれから彼女と2人で、
いろんな料理を考え出す、というコトに夢中になりました。

今日は、パンの耳までおいしく食べられるように
焼いてもらいたいのだけれど。
それなら、耳がおいしいパンを探してまいりましょうか?
ホテルのベーカリーからいろんなパンを取り寄せて、
あれこれ焼いてもらって、
結局、山高のイギリスパンの端っこを、
厚めに切ってオーブンで焼く‥‥、
というのが一番おいしい耳の食べ方なんだ、
というコトにたどり着く。

良く焼いた目玉焼きが食べたいのだけれど、
出来れば裏返さず、でも黄身までシッカリ火を通す、
って出来ますか?
おまかせ下さい。
やってみましょう。

‥‥、のような試行錯誤を楽しんで、
そうしてボクはどんどん
「注文をするコトの楽しさ」を
満喫するようになったのです。
そのホテルのレストランに向かいながら、
「今日はどんなふうに自分の食べたいものを
 彼女に伝えようか?」と考えるのが、
とても楽しい朝の儀式のようにまで
なっていったのでありました。

サカキ様のご注文をお伺いすると、
とても勉強になります。

いやいや、ボクの方こそ、
あなたから勉強させていただいたんですヨ。

とそんな感じで手に手をとって‥‥。
メニューにない料理まで、2人で作り出すような、
そんな大仕事にまでなっていく。
ごめんなさいネ‥‥、
ワガママばかり言って面倒では無いですか?
と、ある日、彼女にそう聞きました。
そうすると彼女はこう答えます。

注文をとらせていただくワタシたちの立場になると、
ワガママの中にも良いワガママと
悪いワガママがあると思うのです。
何が食べたいのかなかなか決まらず、
注文をとる手がかりすらつかませてくれない
ワガママなお客様。
食べたいモノを正しく伝える努力をされず、
それで違ったモノが出てきたと
怒りはじめるワガママなお客様。
ワタクシたちを戸惑わせるだけの、
悪いワガママのお客様です。
自分が食べたいのはこんな料理なんだ。
こんな料理を作って欲しいんだ‥‥、
と正しく伝える努力をしていただける
お客様のワガママは、ステキなワガママ。
とてもうれしく思います。

なるほど‥‥。

自分が食べたいモノを伝える力。
それを磨くというコトが、
おいしいモノにありつくとても良い方法なんだ‥‥、
と、ボクは他のレストランでも一生懸命、
言葉を尽くして自分が食べたいモノを
作り手に伝える努力をしました。
明確な目的と強烈なモティベーションのもとに
努力し続けることは、人を達人の域に高めます。
正しい説明を一緒になって考えてくれる、
プロのサービススタッフや
シェフの方々の力を借りることが出来た、
という幸運も手伝ってでしょう。
ボクは、とても上手に注文することが
出来る人になっていたのでありました。


ただ、その自分の内なる力を信じて、
それを濫用してしまっていた時代があります。
過ぎたるは及ばざるが如し‥‥、であります。
プロの力を借りておいしいモノを
食べさせてもらう立場であるはずのボクがおかした、
ちょっとした勘違い。
それを気づかせてくれたのが
あるステーキハウスのサービススタッフの一言でした。

すばらしいステーキを食べさせる、
というので有名な店であります。
すばらしい肉。
しかもそのすばらしい肉を
最もすばらしい状態になるまで熟成し、
絶妙なる技によって焼き上げる。
そこのステーキを一度でも食べれば、
もう後戻りできないくらいにすばらしさがあるんだヨ。
‥‥と、グルメの世界の先輩達からそう聞いていて、
でもその最上級の体験を手に入れるには、
かなり寛容なる大人の財布を
用意しなくてはならないという店。
それでながらく、その店は
ボクの憧れの棚の上の方にそっとしまわれておったのです。
鍵付きの棚。
その扉を開けるための鍵は、
かなりの努力とかなりの思い切りがなくては手に入らない。
そんな扉をガチャッと開ける、
そのときがやってきたのは
ボクが30代の半ばの頃でありました。

その店のコトを良く知る人に紹介をしてもらい、
めでたく予約を果たしてその日を迎えます。
すばらしいステーキ。
それもおどろくほどに高価で
贅沢なステーキを食べるコトが出来る場所。
どれほど特別な場所にあるんだろう。
どれほど贅沢な店構えなんだろう、
とワクワクしながら教えてもらった住所を探して
ビックリしました。
場末感の漂う場所の雑居ビルの地下一階。
本当にコノ場所でいいんだろうか、
と何度も地図と住所と、
目の前にあるビルの姿を見比べて、
小さな看板を下り階段の入り口部分に発見をして、
それでやっぱりココだったんだネ、と降りてゆく。
店も小さなモノでした。
とびきりの贅沢感なぞどこにもなくて、普通のお店。
田舎街にある、ちょっと老舗の洋食レストラン‥‥、
のような感じのインテリアで、ボクはいささか拍子抜け。

なんでこんなところに、
みんなはありがたがってくるんだろう。
そう思いながらテーブルにつき、
お店の中をユックリ、ゆったり見渡すと
厨房の中におだやかな顔つきのシェフが一人。
ニコッと笑ってお辞儀をします。
ふーん、コノ人が
凄いステーキを焼く技術を持った人なんだ。
結構、若く見えるけど、大丈夫なのかなぁ‥‥、
なんて思ったりする。
その人より、数段若い、自分のコトは棚上げで、
ふふーん、お手並み拝見だネ‥‥、
なんてちょっと生意気に思ったりしたのでありました。



爽やかな感じのウェイター氏がやってきます。
ようこそいらっしゃいました‥‥、
と丁寧な挨拶に続いて、
今日の料理の説明をしてくれます。
テキパキと、前菜であるとかサラダであるとか、
聞くだけでも口の中が
おいしいヨダレで満たされるような、
そんな料理の名前が続き、
あれこれ迷って、いくつかの料理を選んで
コースの前半とする。
でもって、メインのお肉の説明。

和牛のすばらしい部分を
お1人様200グラムほど、
お焼きしたいと存じますが、よろしいですか?

よろしいでしょう、お願いします。
それに続いてボクは調子に乗って、
自分の頭の中にある今日食べたくて仕方がない
ステーキの話を始めたのでありました。
初めてのお店でやらなきゃいいのに、
調子にのって、ちょっと反省をするに至った話の顛末。
さて来週のお楽しみであります。
ごきげんよう。
 
2006-11-30-THU