おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

「ファーストゲストは大切にされる」
というのもまたレストラン的都市伝説のひとつです。

ファーストゲスト。
つまり、その日、一番最初にお店にやってきたお客様で、
営業が始まったばかりの初々しい雰囲気の中で
つかの間かもしれないけれど、
そのお店を独占することができるお客様。
それがファーストゲスト。

実はボクは昔、レストランを経営していたことがあります。
経営、とはいっても友人との共同経営で
ボクは他に仕事を持っていましたから、
経営者らしい仕事をバリバリしていたか? というと、
いささか自信はありません。
が、できる限りお店に立って、
お客様をおもてなしすることを心がけてはおりました。
そのときボクは、レストランは
毎日、生まれ変わるものなんだ、ということを感じました。
昨日のレストランと今日のレストランは、
建っている場所は当然、同じ。
お客様をお待ちしているスタッフも同じ。
ご用意しているメニューもほとんど同じ。
日々、ほとんど同じコトの繰り返しが
レストランという現場の作業の実態です。
であるにもかかわらず、いらっしゃるお客様は
日々、異なって、一日として同じ日はない。
まるで一日という寿命を全うし、
日々、新たに同じ場所に生まれ変わる生き物‥‥、
それがレストランなんだ、とボクはそのとき思ったのです。

そのレストラン、何年かの間に有名になり連日大盛況、
という店になったのですが、
最初のうちはどきどきはらはら。
昨日、満席だったかと思うと、今日はガラガラ。
予約を頂戴していても、
本当にそのお客様がやってきてくれるかも不安で不安で、
開店前は胃が痛くなるほど。
だから、その日、初めてのお客様が
ドアを開けて入ってくるその瞬間が、
待ちどおしかったこと、うれしかったこと。
走っていって思わずそのお客様のことを
抱きしめたくなるほど、でありました。

ファーストゲストは大切にしてもらえる。
何より強烈な印象を
お店の人に残すことができるのだから、
できればその日、
一番に店を訪れるお客様にならなきゃ損だ。
とボクは思うにいたり、
それでファーストゲストになることばかりに
こだわっていた時期があります。
ボクが30代前半の頃のことでありました。


◆なにがなんでも一番乗りだ!


予約をするときから気合が入ります。
「夕方は何時からの営業になりますか?」
そう、切り出します。
5時開店でございます、といわれたら何も迷わず、
それじゃあ、5時でお願いします、と即答です。
あとは5時にそこにたどり着くために、
会社を早退する言い訳を考えれば
予約作業は完了なり‥‥という具合でした。

開店と同時に入店。
つまり、目指すは一番乗りです。
下手をすると開店前に
ドアの前に立っていたりしたこともあります。
まるで新年初売りの福袋欲しさに行列をする人のようで
冷静になって考えてみれば、
かなりへんてこりんなお客様に見えたはずですが、
そのときはその情熱が伝われば、と
ただただ律儀に一番乗り。

たしかに得したこともあります。
情熱的に出迎えてくれる。
開店と同時に入ってきてくれる、
まるでラッキーを運んできた
ハッピーゲストのように扱ってくれる。
シャンパンをご馳走になったり、
あるいはお店の人といろんなハナシができたりもする。

なのだけれどすべてに得だったか‥‥というと
そんなこともありません。
5時にお店に入ってから
食事を終えてお店を出るまでの1時間ほど、
他にお客様が一組もこず、
ボクたちだけで寂しく食事をするはめになる。
何回もありました。
自分たちだけのために料理が作られるんだから、
クイックな商品提供が望めるか、というと
厨房の準備が行き届いていなくて、
しばらくなにも提供されない‥‥、
なんてこともありました。
そもそも開店と同時、というのは
レストランがまだ寝起きの状態でもあるワケです。

そもそもサービスの本領は
レストランが満席近くになってから発揮されるもの。
特に熟練したサービススタッフが、
テーブルからテーブルをまるで飛び回るように、
しかしながら氷上をすべるように
滑らかにサービスをしてまわる光景は、
開店直後のお客様よりも
お店の人の数の方が多いような時間帯には、
期待するほうが無理‥‥、ですよね。
真空管ステレオ。
スイッチを入れてしばらくは音もでなければ、
でたとしてもぼんやりとした音。
ユックリ時間をかけて、機械全体が温まるのを
気長に待って、それではじめていい音になる。
しかもちょっとづつ、でも着実に。
良いレストランは、昔ながらにアナログなのでありますネ。
中には開店直後から、元気で明るく
ハイテンションのサービスを提供してくれる
デジタル機器のような店もありますけれど。
例えばファストフードのような‥‥。
でも、やはり深みと味わいという点では、
アナログ的なるレストランの方がボクは好きです。


◆「何時ぐらいが一番、賑やかになりそうですか?」


本格的なサービスがスタートして
1時間から1時間半くらいでしょうか。
サービスの本領がもっとも力強く発揮されるのは。
だからできることなら、
その瞬間をちょっとでも体験できるような、
店の訪れ方をしないと損。
しかも面白いもので、料理そのものも
ある程度の忙しさになって
初めて本来の品質で調理されるようになる。
忙しすぎるときの料理は、
往々にして破綻をきたすものですが、
静かなときの料理もきれいで丁寧ではあるけれど、
退屈に出来上がっていることがあるのです。
面白い。
そう思うようになるまでに、
ボクたちだけがお客様というひんやりした食事を
どれだけ体験したことか。
勉強でありますネ。

開店と同時に満席になり、ものすごい勢いで
一気にサービスの頂点を迎える
すばらしい繁盛店もあるにはあります。
でも、予約するとき、
その日は何時でも予約をお取りすることができますヨ、
というようなときに、ちょっと一言。
こんな質問をしてみてはどうでしょう。
「その日は何時ぐらいが一番、賑やかになりそうですか?」
「そうですね、9時くらいにはほとんどのお席が
 埋まっているかと思います」
「なら、8時ちょっとすぎにお伺いしましょうか、
 よろしいですか?」

いらっしゃいませ、と迎えられ、
前菜を食べながらワインを飲んで、
比較的静かなお店の様子を眺める。
お店の人と、一言、二言、自然に会話が弾んで、
お酒も進んで楽しくなります。
そうしてメインディッシュがやってきて、
テーブルの上がひときわ華やかになる、
それにあわせてお店の中も賑やかになり、
それまで穏やかだったサービススタッフの表情に、
気持ちよい緊張がピリリと走る。
お店全体が、シアワセな時間に向けて
快適なスピードで走り始めるような、
その瞬間に立ち会うことができるでしょう。
これこそが、忙しくなる前を選んでやってくる
お客様についてくる特典。
決して、一番乗りだから得をする、
というわけではないのです。

ただし。いくつかの例外があります。
カウンターに座って握りたての寿司を、
真剣勝負よろしくつまみたいとき。
寿司に限らず、作りたてを作ってくれた人から
直にサーブしてもらって、
その料理そのものを楽しむような店。
そのファーストゲスト。
王様です。

あるいはサービスをしている女性スタッフが
好きで好きで仕方なくなり、
そっと気持ちを打ち明けたいとき。
そんなロマンティックは
そうそうやってくるものではありませんでしょうけど。
ステキなことです。

(つづきます)


Illustration:Poh-Wang


2006-04-20-THU

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