おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

生まれて初めて、
お見合いというモノをしたときのハナシです。
まだ大学を卒業してそれほどたってもいない、
つまりまだまだボクが初々しい
青年であった時代の出来事で、
当時、ボクたち家族はみんな見事にふくよかでした。
まるまるしててコロコロしてて、
初対面の人でも間違いなく、
ああ、この一団は家族に違いない、
と正しい推察ができるほどにみんなふくよか。
ふくよかで丸みのある下半身は、
膝上ナプキンがとても苦手です。
ちょうどなで肩をキャミソールの肩紐が
スルスル逃げて収拾がつかなくなってしまうように、
ふくよかさんの膝の上にあるべきナプキンは、
ズルズル、足元に滑ってゆくんですネ。
しごく自然に、ズルズル、ポトン。
ところがふくよかなボクたちには、不思議なコトに
ナプキンを留めておく絶妙の場所があります。
下腹のたるんだ部分。
あるいはおなかの上で
めくれあがったズボンの端切れです。

そのときもボクと親父は、
ずり落ちそうになるナプキンを
ベルトの下でとめていました。
母は‥‥、というと、そのとき和服で、
やはり帯の下にしっかりナプキンをねじ込んでいました。
準備万端。
これならこれから何時間、
作り笑顔に全神経を集中させることができましょうもの。
あとはお見合いの相手の、ご令嬢ご一行様を待つばかり。
失礼な質問はするんじゃありませんヨ‥‥、
などなど、まるで名門小学校のお受験前の家族のように、
しばらく待っておりました。

お連れ様、ご到着でございます、
と個室のドアがパンッと開き、
お待たせしました、と相手の家族、ご登場。
ボクらは間髪いれず立ち上がって、
お辞儀をしながら挨拶をする。
‥‥、とよどみのない対応、のはずであったのですが、
なぜだか相手家族の目はボクらの腰の位置に釘付け。
お見合い相手の女の子なんて、くすくす笑い出す始末。
さてその理由は? と、視線を落とすとボクらはみんな、
腰からナプキンをタランと垂らして立っていた‥‥、
ワケであります。

化粧まわしを巻いた土俵入りのような家族の姿。
あな恥ずかしや。
初対面の姿が土俵入り。
その第一印象、和やかな場を作った、
ということに対しては成功であったのでありましょうが、
20代前半のさわやかな青年像を作り出す、
ということに関しては完全な失敗でありました。

レストランでテーブルについて、
不意に立ち上がるようなことがあったとき。
まず両手を膝の上においてから、
ユックリと腰を持ち上げる。
そうすれば、膝の上にあるはずのナプキンの存在を
思い出すことができたはず。
残念無念、ボクらはそのとき、
飛び上がらんばかりの勢いで立ち上がり、
その勢いでお辞儀をペコペコはじめたワケです。
なんとも無念。

そういえば慇懃無礼が売り物の
件(くだん)のレストランを中途退場してしまったとき。
ボクは両手をテーブルの上にバタンと突いて、
ありったけのエネルギを振り絞って立ち上がった。
だから、腰のナプキンに気がつく由も
なかったのでありました。

そもそもナプキンは「挟むモノでなく置くモノである」。
この大原則を守っていれば、
こんなことにはなりはしなかったのでありますけれど。


◆首の下にナプキンを下げてもいいときって?


ただこの大原則を少々、曲げても良い場面が実はあります。

例えばアメリカあたりの
とてもカジュアルなシーフードレストラン。
イタリア人の給仕長がテキパキ、
ホールのサービスを取り仕切っていて、
料理を持ってきてくれるでっぷりと太ったウェイターが、
今にもカンツォーネの一節を歌い始めそうな、
そんなレストラン。
今日のお勧めはロブスターの
ブロイルになってございますが‥‥、といわれて、
それじゃあ一人一尾ずつ豪快にいきましょうか?
となったようなとき。
あなたのナプキンの定位置は
「首の下」ということになるでしょう。

茹で上がった殻つきのロブスター。
この上もなくおいしい代物でありますが、
食べすすめるとこれが厄介。
殻が飛び散る。
身がはじける。
しかも殻の中に閉じ込められた
タップリの汁が飛び出してくる。
それらが直撃するのは膝ではなくて首の下。
つまり一番無防備な胸元です。

だからナプキンは首の下。
実際、そうしたお店で、
これまた陽気なラテン系のグループが、
ロブスターを前にして、次々、ナプキンを広げて
シャツの首元にクルクル、ねじ込んでから
「ボナペティ」というシーンに出くわしたことが、
何度もあります。
これから手も口もお留守になります。
おしゃべり、一杯、いたします。
‥‥の意思表示。
横でみていたボクらもそれを真似して、
首からナプキン。
そうしたらなんと料理のおいしいこと。
なんとおしゃべりのはずむこと。
そしてワインのおいしいこと。

お行儀悪そうに思えるコトではありますが、
それはお料理をよりおいしく楽しむための作法である。
そういうことです。

そうそう、日本にはとても便利なものがあります。
前掛け。
しゃぶしゃぶ屋さんとか焼き肉、鉄板焼きのお店なんかで、
胸元を汚されませんように‥‥、
と用意されているヨダレかけのようなエプロンで、
なるほどあれは最初から
首の下に忍び込むようにできているナプキンなんだ、
というコトなのでしょう。

そうそう首の下のナプキン。
くれぐれもコレを忘れて、
つけたままお店を出ることのないように。
どう贔屓目に見ても、
それがステキなスカーフに見えることはないでしょうから。
そんなとんでもない大失敗をしでかさないためにも、
胸元を直撃するかもしれない
メインディッシュが終わったら、
そのナプキンを首からはずして
本来の定位置の膝の上に置きなおすといいです。
スマートです。

ナプキンの場所。
ただの一箇所と思っていると、
食事の楽しみが半分になる。
‥‥ということなのです。

(つづきます)


Illustration:Poh-Wang


2006-04-06-THU

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