おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

アメリカ西海岸、カリフォルニア州の東の端。
ロサンゼルスから東に東に、
延々、車を走らせて小さな砂漠をひとつ越えます。
曲がることを忘れてしまったかのように
まっすぐ伸びるハイウェイをビュンビュン東へ。
東へ東へ、車を走らせると、
はるか進行方向の先の丘の上にキラキラ、
何かが光って見える。
何なんだろう? って、目を凝らしながらズンズン進む。
それまで黄土色だった周りの景色に
ちょっとづつ緑が混ざり始め、
景色にみずみずしさがあらわれるようになってきます。
キラキラは数をどんどん増やして、
まるでなだらかな山肌全部が、
アルミホイルで包まれたかのような光を帯びる。
で、そのキラキラの正体は‥‥、というと
無数に回る風力発電の風車の羽。
圧倒的な風景です。

ここに来るまで、ほぼ全力疾走で4時間近く。
ああ、地の果てにまでやってきたんじゃないだろうか‥‥、
というような場所にとてもステキなリゾート地がある。
砂漠の中の真ん中なのに、そこだけまるで
オアシスのように木々が植わっていて、
そこいら中に湖すらある人工的に作られたリゾートで、
そこにはいくつもの隠れ家的なる
リゾートホテルが点在している。
まあパラダイスでありますね。
ボクらはレストランの視察の途中、
足を伸ばしてこの街を代表するリゾートホテルで
一泊、体を休ませることになっていました。
道中、いったいどんなところに連れて行かれるんだろう、
と不安げに、あるいは不機嫌げに
バスに揺られていた人たちも、
ホテルに着いた瞬間、疲れも吹っ飛ぶ笑顔になります。
何しろ人工の湖に面してホテルはあって、
施設は快適、サービス万全。
しかもその日の夕食は、
メインダイニングの鉄板コーナーで
久しぶりの米粒ご飯が食べられることにもなり、
もうご機嫌。
まずはプールに飛び込んで、シャワーを浴びて、
いそいそ、晩ご飯の開場に出かけることとあいなりました。

アメリカのホテルのレストランにはよく、
ウェイティングコーナーが置かれています。
テーブルが整うまで。
一緒に食卓を囲む仲間が集まるまで。
あるいは食事前のちょっとした時間を楽しむために
用意されている場所で、
たいていは食前酒を飲みながら
しばらくの時間を過ごします。
そのとき、そのホテルのレストランにも
立派なラウンジ風のウェイティングルームがあって、
しばらくこちらでお待ち下さい‥‥、
とボクらは言われました。
時間はタップリある。
リゾートですから、時間を無駄に遣えば遣うほど
それは素晴らしいときを過ごした、
ということになるわけですから、
ボクらは落ち着いたものです。
了解しました‥‥、と椅子に座ってさて歓談、
という具合になったのです。

バーにはおつまみがつきものです。
ボクらが頼んだビールと一緒に運ばれてきたのが
なんと、あられ。
それも醤油味で海苔が巻かれた
細長いのがボールに一杯。
なんとも香ばしい醤油の香りがポワーンっ‥‥、
もうみんなビールはほったらかしで、
あられの方にココロ奪われてしまって
バクバク、ガリガリ。
なにしろローカルフーズを食べて回る
研修旅行の1週間目。
ローカルフーズと言えば聞こえがいいけれど、
毎日、ハンバーガーにフライドチキンに
ステーキにメキシコ料理‥‥、
とお腹にドッシリやってくるものばかりを
食べ続けていたわけです。
そんなときに、おかき。
もう、懐かしいったらありゃしないです。
パクパク、ガリガリ。
瞬く間に最初のボールは空っぽになり、
バーテンダーが次の1杯をすぐもってきてくれます。
それもパリポリ。
またまたお替り。
よほどお腹が空いてらっしゃったんですネ、
と最期にはおかきを袋ごと。
それも業務用の大きな袋をそれごともってきて、
ボクらの横にポンッと置いて
笑いながらバーの方に帰っていった。

そのあと、食事が始まったのですが、
お腹の中でどんどんおかきが膨らんでくるんですね。
お水やワインを吸って
みるみるうちにボクらの空腹は消えうせて、
せっかくの料理が入るだけのスペースが
お腹の中に見当たらない状態に
なってしまったのでありました。

大失敗です。
定食屋さんやラーメン屋さんであればまだしも、
レストラン、それもお洒落を売り物にしているような
レストランで「お腹がすいてらっしゃるんですネ」と
声に出してまでいわれるようなふるまい。
大失敗です。


◆おなかは、メインディッシュにのこしておこう。


レストランやバーにはなくなると
おかわりがやってくるものがあります。
レストランのパン。
バーのピーナツや柿の種。
なくなってしまってもまるで魔法のように
もとの分量にもどってくれる、
いわゆるサービス品のようなもの。
調子に乗ってそればかり食べていると、腹が膨れる。
‥‥、とわかってはいるのですけれど、
都合が悪いことに良い店に限って
こうしたサービス品までおいしくできてる。
料理がおいしいレストランに限って、パンもおいしい。
焼きたてのパン。
オーブンで温められて
まるでジリジリ言うように熱々のパンにバター。
ああ、これだけでおなか一杯に
なってもいいかもしれない、
と思うほどにおいしいパンを目の前にして、
でもその誘惑に勝たなくては
最後まで料理をおいしく楽しむことができなくなる。
素晴らしい料理を目の前にして、
パンでおなか一杯になっちゃった。
なんと哀しいことでしょう。

バーもそう。
気持ちよくお酒が飲める店に限って、
そこのつまみのおいしいこと。
煎ったばかりの殻付きのピーナツ。
それこそとまらぬおいしさで、
みるみるうちにカウンターの上が
殻で見えぬほどにとりちらかったりする始末。
酒を飲むより殻を剥くことに一生懸命になってしまう。
なんと情けないことでしょう。

例の砂漠のリゾートで、
なつかしさにかまけて
あられでおなか一杯にしてしまったとき、
思い返せばボクらはおしゃべりすることも忘れて
ただ黙々と、手をあられの入った鉢と口の間を
いったりきたりさせていました。
だから食べすぎをおこしちゃう。
ボクはそれからおいしいナッツや
おいしいパンに出会ったら、
一生懸命、楽しい会話をしようと思うことにしています。
パンを横目に、うーん、このパン以上に
ステキな話題がどこかに転がっていないかな?
‥‥って。
パンをつまんで一口分に千切りながら、話題をひとつ。
バターをユルユルと塗りつけながら、話題をひとつ。
一口頬張り、ユックリ時間をかけて
噛み、噛み、噛み、噛み。
次のパンに手を伸ばすまで、
会話を楽しみ大笑いして、ワインを飲んでやり過ごす。
‥‥、の繰り返し。
とてもスマート。
なにより、料理と料理の間にパンで
おなか一杯になってしまう‥‥、
というようなことがなくなるという
シアワセ付きの楽しい時間が過ごせるのです。

時間を無駄遣いする楽しみ。
おなか一杯になるのでなくて、
時間と会話を楽しく凄くという贅沢。
是非、わすれずに。
うちにおなか一杯になりにだけきた人‥‥、
と言われることにならぬようにと思います。

(つづきます)


Illustration:Poh-Wang


2006-02-16-THU

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