おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

寿司屋のカウンターに座っていました。
20代半ばのことでした。
磨き上げられた白木の一枚木のカウンター。
その縁の、本来、直角に角張っているのが
当たり前の角一辺が、
まるでサンドペーパーで磨き上げられたかのように、
滑らかなアールを描いて丸く削れたその様を眺めつつ、
ボクはユックリ、大きな息をついて座っていました。

生まれて初めて、自分ひとりで銀座のたちの寿司屋、
というところに行ったときのことであります。


◆いざ、師匠に紹介された店へ!


「銀座の寿司屋デビューをしてみたいんです」

何気なくその当時、ボクが師匠と仰いでいた
おいしいモノを知る人にそう言ったのがキッカケでした。

それはかなりの冒険ですネ‥‥、と言いながら
それでもお店を一軒紹介してくれ、
ワザワザ、電話で予約をしてくれたその人は
さらに、ボクにこう言いました。

「あとはすべて勉強です」

──どうしなくてはならないのかを
  教えてあげるのは簡単だけど、
  敢えて言うのはやめましょう。
  自分で考え、自分で行動する。
  大人のデビューをしてごらんなさい。
  もし困り果てたら笑顔でそっとこういいなさい。

  「今日、初めてこのようなお店に来ました、
   お任せします」

  どのような首尾であったか、
  是非、ボクにも聞かせて下さいネ。

その寿司屋さんは、今まで自分が知っていた
ありとあらゆる寿司屋とは違った場所でありました。
カウンターの向こう側にあるべきネタケースが、
どこを探しても見当たらない。

職人さんの後ろの壁に20枚ほどの
ネタが書かれた木札が貼られ、
でもそれらが幾らで売られているのかの情報が一つもない。
つまり店のどこを探しても値札がない。

入り口近くの席に案内されたボクの周りは、
仕立てのよさげなスーツ姿のおじさん達と、
いい匂いのする髪を大きく結ったお姉さま方ばかりであった。

つまり場違い。

何かお飲みになりますか? と聞かれて
お茶でいいです、と答えたきり、
ボクは次に何をどうすればいいのか
検討もつかずに立ち往生していました。
辛い沈黙。
ボクの前の職人さんがこう聞きます。

「何からおつくりしましょうか?」

それでボクは師匠の言葉を思い出し、
やっとの思いで
「よくわからないので、お任せしたいと思います」
‥‥、そう言いました。

それをきっかけに寿司が次々握られて、
ボクの目の前にストンと置かれる。
ボクは何も言わずにそれを頬張る。
また握られてストンと置かれて、
それがボクの胃袋の中に消えてゆく。
‥‥の繰り返しの40分ほど。
その美味を楽しむことが出来たのか? というと
まるで針の筵に座るような時間でした。

本当にこの寿司はおいしいんだろうか?

ボクの隣で同じように寿司をつまんでいる
常連風のお客様が食べている寿司と、
自分の食べている寿司は
本当におんなじモノなんだろうか?
なんて、不安が次々、湧いてくる。
なにより一番の不安と言えば、
果たして幾らかかってしまうのか、
予想も付かない、という不安。
思い出すに、人生で最も不安な食事がこの40分。
‥‥でありました。



◆初めての寿司屋でどうふるまうべきか?


翌日、師匠に会って、
とても窮屈で楽しめなかった、という報告をしました。
すると彼はにっこり笑って、こう言います。

「じゃあ今晩、ついてらっしゃい。
 出来たばかりの寿司屋さんに一緒にいきましょう。
 ボクも初めて行く店だから、いい勉強になるでしょう」

その夜、ボクは師匠にお供する弟子になりました。
カウンターの前に座って、眺める景色は昨日と同じ。
しばらくするとカウンターの中の職人さんが
笑顔でこう聞いてくるのも、昨日と同じ。

「なにをおつくりいたしましょう?」

でもそれに対する答えは
昨日のボクとはまったく違ったものでした。

「今日、初めて来たのですけど、
 幾らぐらいで楽しめますか?」
 
おお、いきなりの質問です。
しかも一番聞きにくい、値段のコト。
どうなることか‥‥、とビクビクしていたら
お店の人はからわぬ笑顔で、
小さな紙をそっと見せつつ、こう言いました。

「おきまりでしたらこのお値段で。
 お任せでしたらこちらのお値段からになりますが‥‥」

「それならお任せでお願いしましょう。
 2人とも飲むほうではありませんから、
 握りから初めておなか一杯にしてくださいね」

と、その一言でめでたく食事が始まりました。

「シンイチロウ君、値段を聞くのは
 はずかしいことじゃありませんヨ」

師匠はそう言います。

──むしろ、いくらになるのかビクビクしながら
  料理に集中できないことの方が恥ずかしい。
  なによりせっかくの料理そのものに
  申し訳がないでしょう。

その通りだ、と思いました。



◆値段を訊くのは恥ずかしいことじゃありません。


レッスンです。
値段を聞くのは恥ずかしいことではない。
問題は、値段をいかにスマートに聞くのか?
というコトです。
しかも値段を聞けるチャンスはたった一回。
お店に入って実際の注文を始める前、と心がけましょう。
あれこれ料理を頼んで楽しんで、途中で
「ところでボクら今、幾らくらい食べてるんだろう?」
って心配になる。
それでお店の人に聞く‥‥、
なんて恥ずかしいことこの上ない。

一度切り。
それはメニューを用意している店で
食事するときも同じことで、
メニューを開いたその直後に、
お店の人にこう聞いてみるんです。

「だいたい幾らくらいの予算を
 覚悟しておけばいいんでしょうか?」

お店の人は多分、的確に答えてくれる。

「お酒をお飲みになる方は8000円くらい、
 お飲みにならなければ5000円くらいで
 お帰りになりますヨ」

そのヒントにあわせて頼むものを加減すれば、
とても賢く、しかも安心をした食事が出来ます。

注文をする、ということはとても楽しいことだけど、
同時にドキドキすることでもある。
果たして幾らかかるのか?
そう考えるとドキドキして当然で、
そのヒントをお店の人から引き出すことがとても大切。
そしてそれはあっけないくらい簡単なことでもあるのです。

客単価‥‥、あるいはもっと単純に料理の値段。
次回はそれに関係する幾つかの話をしてみましょう。
驚くほどにへんてこりんなご注文。
あるファストフードレストランでの
ビックリするようなエピソード、であります。

また来週。

(つづきます)



2005-11-24-THU

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