おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

シャーリーテンプル。
色はまるでカンパリソーダのようなルビー色で、
なのにまるでアルコールを含まない
カクテルのような飲み物です。
名前の由来は、アメリカの有名な子役だった
シャーリーテンプル。
彼女のこんなエピソードから誕生した飲み物です。

ありあまる才能。
大人顔負けの活躍。
子供でありながらパーティーに行けばその場の花形で、
誰もが彼女を子ども扱いせず
立派な一人のアーティストとして接してくれる。
にもかかわらず、彼女の手にあるのは
オレンジジュースやソーダドリンクのグラスで、
大人の手にはシャンパングラス。
宝石で飾られてるみたいにキラキラ光るシャンパングラス。
淡い飴色の液体の底で生まれた細かな泡が、
グルグル螺旋を描きながら浮かんでは消え、浮かんでは消え。
それがあまりにきれいで、
なんで自分の手の中もあんなのがないんだろう?って。
うらやましそうに見えたんでしょう。
あるバーのバーテンダーがジンジャーエールに
ザクロから作った真っ赤なグレナディンシロップを注ぎ、
最後にチェリーをあしらって
カクテルを模して作ってあげた、
というのがこの飲み物誕生の伝説です。
大人びた天才子役にふさわしい伝説、
というコトが出来るんじゃないでしょうか。
本当に大人になったシャーリーテンプルが、
シャーリーテンプルを必要としたか?
というと、やっぱりその片手にはシャンパンが、
ということであったろう、とも思いますが、
まあ楽しい豆知識でありますネ。



◆アメリカで、クラクラクラッ、と!


まだお酒をたしなみ始めて間のない頃のコトです。
ボクはアメリカにいて、
そのアメリカという国は何かにつけて
シャンパンを抜く国でした。
楽しいことがあればシャンパン。
つらくて元気を振り絞らなくては
ならないときにもシャンパン。
誰かの何かの記念日にはシャンパン。
そして特別なことがないときには、
特別なことがやってきますように、といってシャンパン。
つまりシャンパンを開ける口実を作るために
人と人が集まる、ような時代だった。
なかでもブランチ。
休日のちょっと贅沢な朝ごはんですが、
ブランチといえばまずシャンパンが注がれて始まるのが
常のようなもので、つまり
「シャンパンブランチ」を心置きなく楽しむために、
一週間、一生懸命がんばりましょう。
それがエグゼクティブの生き方なんだヨ、
なんて言われたりしてたんですネ。

現地の友人に誘われて、
あるちょっとした名のあるホテルの
シャンパンブランチに行ったときのこと。
確かに朝から飲むシャンパンとは素晴らしいものです。
まだ自分の位置をはっきり思い出していない喉が、
ああ、ボクはおいしいものの通路なんだ、
と自分の役割を思い出す。
食欲をまだ十分に思い出してない胃袋が
軽いステップを踏みながら踊り始めて、
そうして徐々に目が覚めてくる。
これほどシアワセな朝を作り出すのに
適した飲み物は無いでしょう。
で、彼らは朝から本当に良く飲む。
まるで彼らのグラスの中身は
ジンジャエールなんじゃないかしら?
と勘ぐりたくなるほど、グイグイグビグビ。
空っぽになったグラスにはまた豪勢に
シャンパンが注がれて、
グラスの底から新たな泡が踊るように上がって行く。
グラスを掲げると泡の向こうの世界は
まるで夢の中の出来事のように見えるんですネ。
フワフワユラユラ。
その光景がとても素敵で、
だからボクもグラスを盛大に傾けて
次々グラスを空にして、
新しい泡でそれを満たしてもらうようなことをした。
ところが。

白人の体ってなんであんなに
アルコールに適した造りをしてるんでしょう?
彼らは何杯飲んでも平気の顔。
ボクの中にはアルコールがどんどん溜まって、
なんだか息も苦しくなった。
頭の中を何頭もの象さんが
ドスドス行進しているかのような感じで、
こりゃ、いかんぞ、と思ったわけです。
でもテーブルは大いに盛り上がっている最中で、
ボクらの背後に陣取るウェイターは
隙あらば誰かのグラスにシャンパンを注いでやろう、
と見張ってる。
どうにかしなきゃ、と思ったそのとき、
シャーリーテンプルを思い出したんですね。
それでウェイターを呼んで、小さな声でこうつぶやいた。
「申し訳ないけれど、
 シャーリーテンプルを作ってくれますか?」って。
「承知しました」と彼はいい、
ウィンク一つを残して立ち去って、
暫くして細やかな泡が優雅に舞う赤い液体で満たされた
シャンパングラスを持って戻ってきた。
ストン。
ボクの横に置かれたそのグラスを見て、一人がこういう。
「何をたのんだの?」
まさかボクだけソフトドリンクを頼んだともいえず、
口ごもるボクの代わりにかのウェイターがこう答える。
「快適な午後をプレゼントする特別な飲み物でございます!」
「特別な?」
「‥‥って一体?」
そう口々に言う悪友達に、
「シャーリーテンプルだヨ」
とボクはふくれっつらでそう一言。

ハハハ、そうか、シャーリーテンプルか。
そういや、お前はあんまり
アルコールが強くはないもんな‥‥、
とかみんなにさんざんからかわれ、ボクは
「うん、頭の中でシャーリーテンプルがタップを
 踏み始めちゃったんだヨ」と居直るようにそう答えて、
笑いをとった。
しかしそのときのシャーリーテンプルは
彼らの手元のシャンパンに何一つひけをとることなく、
素晴らしい休日の朝の素晴らしい彩の一つになっていた。
それから件のウェイターも
ボクにシャンパンを勧めることもなく、
気づけばペリエのボトルが一本、
ボクのかたわらに置かれて次々注がれた。
ボクは泥酔の危機から救われた。
シアワセな休日の朝の、
シアワセな食卓を台無しにする失敗一歩手前から、
無事生還を果たしたのです。



◆もう飲めない、けれど、
 お酒の雰囲気は味わいたい時は。


さてレッスン。
お酒を飲む雰囲気を壊したくは無いけれど、
もう飲めないんです‥‥、
ということをお店の人に伝える飲み物を一つ、
知っておくととても立派な大人になれる。
その一つがシャーリーテンプル。
もう一つ、ボクがひそかに重宝するのが、
「ビターソーダ」。
カクテルにほのかな苦味を加えるために
どんなバーにでも用意されているのがビター。
レモンビターとか、オレンジビターとか、
あるいはアンゴチュラスビターとかって種類があって、
どれもが柑橘類の皮であったり、
薬草であったりの苦味を使って作られている。
これをソーダにチュチュっと数滴落とすと、
あらあら不思議、
甘みのないジンジャエールのような飲み物になる。
外観はまるでハイボールのように見え、
シャーリーテンプルに比べれば少々、
ハードボイルドでより大人な感じがして素敵です。
ただ注意。
ビターソーダを飲むと不思議とお腹がスッキリとして
食事が進む。
あるいは一旦、あきらめるつもりになったはずのお酒を
再び飲みたくなるようなことがおこってしまう。
まあそれもシアワセでありますが。

ところでシャンパン。
ボクはこれにまつわる幾つかの
ほろ苦い思い出があるんです。
例えばこんな‥‥。
笑わないでくださいよ。

(次回に続きます)


2005-08-04-THU

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