おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。




メニューを眺めてあれこれ迷って、
さあ、注文をする準備ができた。
それでサービススタッフを探して、手を挙げて呼びます。

と、当たり前のようにそう書いて、
ありゃりゃ、最近のファミリーレストランでは
そうじゃないことも多いよなぁ、と思ってしまいました。
今ではテーブルの上のボタンを押して人を呼ぶ、
というスタイルがとても増え、
注文するときだけじゃなくて、
何か用事があるとまずボタンを押すのが、
ファミリーレストランではむしろ
普通になっちゃったのかもしれません。

いかにして「コールボタン」が
発明されたのか?!

コールボタン。
とても便利な道具です。
この道具が発明されてレストランに導入され始めた頃、
情熱的なレストランの人たちはその導入に否定的でした。
理由は、サービスの低下につながるから。
サービスというのはお客様に促されてから行うのでなく、
お客様の気持ちに先回りして行わないと意味がない。
呼ばれる前に自ら気づいて飛んでゆく。
それがサービスの精神だから、と思っていたし、
そうできるような仕組みを作って人を教育するのが
レストラン経営者の仕事だから、と信じていたから。
ファミリーレストランが光り輝いて時代のコトです。

ところがファミリーレストランの競争が激しくなって、
売り上げが伸び悩むようになります。
従業員の獲得合戦が起こって、
結果、人件費がどんどん上がった。
しかも景気が芳しくなくなって、
「合理的で効率の良い」サービスをすることが、
お店が生き残る条件の一つのようになってきた。
ああ、こうやって思い出すと心が冷える気持ちになります。

そもそもファミリーレストランでは、
一人のサービススタッフが担当できるテーブルの数は
5つから6つ、と言われていました。
予約して出かけるような
ちょっと高級なレストランの場合は、
一人で4つから5つのサービスを担当するのが
一般的ですから、その分、
ちょっとサービスの密度は落ちる。
でもそのくらいのテーブルであれば、
お客様から呼ばれなくても気づいてサービスができる、
ギリギリの水準だったのですネ。
一般的なファミレスには
140席ほどの客席があり、
テーブルの数に直すと30から35卓くらい。
つまり客席ホールには6人から7人の
サービススタッフが必要だ、と言われていました。
気持ちよいサービスを実践するためには
8人くらいがいるのが理想的。
そして1980年代にはそうした理想的な
ファミリーレストランが
日本にはたくさん、あったのです。

ところが合理化。
より少ない人数で運営しなくちゃいけなくなって、
結果、呼ばれないでするサービスができなくなった。
例えばかつて6人の接客係が働くことを
標準としていた店で、今はどんなに忙しい時にでも
3人以上のサービススタッフを置かないことを
ルールにしているようなファミリーレストランの
チェーン店があったりします。
大変です。
お客様はいらいらするし、従業員はてんやわんやで、
それならということでしぶしぶコールボタンを導入する
レストランが増えてきた。
これがファミレスのテーブルの上の
不思議な物体のヒストリー。
ちょっと哀しい必要悪の物語。

やっぱり目を合わせて
サービスを受けたいですよ、ネ。

ただこれほどまでに「ピンポーンっ」ボタンのシステムが
定着したもう一つの理由が実はあります。
お客様サイドのある事情。
レストランの現場で仕事している
ベテランのサービスの達人たちは、こういいます。

──最近、何をして差し上げればいいのかわからない方が
  多くて戸惑うことが多いのですヨ。
  お冷の交換、お茶の差し替え、終わった食器の片付け、
  あるいは追加注文を伺うとか、
  ワタシ達がお客様にして差し上げられることは
  いくらでもあるのに、そのヒントを下さるお客様が
  とても少なくなった。
  テーブルとテーブルの間の通路を、
  困ってらっしゃるお客様はいはしないか、
  と歩いていても
  目を合わせてくださる人は数少ないんです。
  そればかりか、まるでワタシ達が今、
  ここにいないかのように
  無関心に振舞われる方が多くて、
  ちょっと哀しくなってしまうんです。

レストランと楽しむときに一番大切なのは、
お店の人とコミュニケーションを楽しむということ。
コミュニケーションというのは、
都合の良いときにだけ声をかける、
ということではないはずです。
例えばあなたが住んでいる家のお隣さん。
日ごろ、ほとんど付き合いもなく
通りですれ違っても挨拶の一つもしてくれない。
どんな人なのか、まったくわからない
「たまたま隣にいるだけの赤の他人」のような人が、
ある日突然、ピンポンって
玄関のベルを鳴らして立っていた。
「すいません、明日から海外旅行に出るんですけど、
 留守中、よろしくお願いしますネ」
そう言った。
なんなんだろう、この人は? と思うでしょう。
一方的な要求、勝手な都合。

サービススタッフが横を歩いているのに、
何かお願いするためにコールボタンを押す人がいます。
今、横を通り過ぎた人に
「すいません」と言えばそれで済むのに、ボタンを押す。
そのボタンから出た信号は厨房近くのサービススタッフが
作業する場所まで飛んでって、そこで初めて
「何番テーブルに行ってください」という指示を出す。
お店の人の頭の中に電波の受信機があって、
ボタンを押せば頭の中でピンポンって音がなる、
のじゃないんです。
不思議です。

よし、ぜったいにコールボタンを
使わないぞっ! 

ボクはレストランで座ったテーブルに
コールボタンを発見したら、
「よし、今日は絶対にこのボタンを押さずに
 サービスを受けてみせるぞ‥‥」と、
わけのわからない闘志を燃やします。
ボクの横をウェイトレスが通り過ぎます。
両手に料理を持って、忙しげにテーブルの横を
すり抜けるとき、ボクはその両手の料理をチラッと一瞥。
それから彼女の顔を見つめて、美味しそうだネ、
というような表情をする。
鼻の頭の汗を見つけて、がんばって、と思ったりする。
たまたま目があったりしたら、ニコッとしてみる。
そのたびに、心の中でこんなメッセージを送ります。

ボクはここにいます。
何か用事があるときには、よろしくお願いします。

正しくそうしたメッセージが伝わった合図は
彼女の笑顔です。
ニコッ!
するとそれから彼女はボクの横を通り過ぎるたびに、
ボクのテーブルの上の状態を見てくれる。
何か必要なものはないのかしら、と
気遣ってくれるようになるんです。
そうするとボクがお願いする前に、
彼女の方からやってきてくれて、
何か必要なものはありませんか?
とかって訊いてくれるようになる。
冷たいお水をお持ちしました、とかって
氷がタップリ入ったグラスを持ってきて、
氷が溶けて底が水浸しになってしまった
今までのグラスと交換してくれたりする。
幸せです。
何かボクに必要なことができたときは、
そっと手を挙げるだけで飛んできてくれる。
ボクがここにいる、ということが
彼女にはわかっているから。
彼女の頭の中には、ボクのテーブルからの
「ピンポンっ」って音が鳴り続いている。
そんな状態。

さてさて、昔話から
ちょっとしたわき道を歩いてしまいました。
本論に戻っていきましょう。
注文をする。
そのときに起こるあれこれ。
考えてみようと思います。


illustration = ポー・ワング

2005-06-09-THU


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