おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。




「朝食でお酒を飲むのはあり? なし?」

ハワイのリゾートホテルのような場所で見かける光景です。

すがすがしい空気。
美しい海。
真っ白なテーブルクロスがまばゆいほど光る
テーブルに並ぶグラス。
それぞれのグラスの縁に
太陽の星が宿っているかのごとき、輝かしい朝。
波の音。
咳払いをするのもためらわれるほど、
心地よい緊張感に包まれた、
でもカジュアルなコーヒーショップレストラン。
完璧な一日をスタートするのに完璧な場所。
さてそんな場所に‥‥

朝からビール! これ、アリ?!

そんな場所に日本のおじさんたちが4、5人、
ドスドスと音を立てながらに入ってきます。
どうしてなんだろう?
といつも不思議に思うのだけれど、
彼らの話し声はとても大きい。
ドスドスにガヤガヤ。
そしてときおり「ガハハハッ」という
品のよくない笑い声が混じります。
メニューを手渡されるやいなや、
一人が「ビール!」といいます。
するとそれにあわせて次々、
「じゃあ、俺もビールね!」が続きます。
テーブルの上に立ち並ぶビールの瓶。
相変わらず続く、ガヤガヤにガハハハッ。
次第にイヒヒヒであったり、
ゲハハハであったりの人の声とは思えぬ
奇声が混じるようになり、
もうその周辺は素敵なリゾートとは
思えぬ場所になってしまう。

一日が台無しになってしまうお酒。
あるいは、他人の一日を台無しにしてしまうお酒とは
こうしたことを言うのでしょう。

今日は仕事が無い。
ワザワザ海外までやってきて、
今日は何一つスケジュールが無いという朝、
ビールを飲みたい。
その気持ち、その開放感はわかります。
でもそのシアワセを味わうのに、
ビールでなくてはならない理由はどこにも無い。
爽やかな食卓に茶色のビール瓶が並ぶ景色を
想像してごらんなさい。
あまりにそれは爽やかでない。
ビールなんてどこでもいつでも
飲もうと思えば飲めるお酒。
酔っ払うためのお酒、
と言ってはいいすぎになるのでしょうけど、
でも朝の食卓には似合わないもの、であると思います。

朝にふさわしいお酒とは。

実は素晴らしい朝食を楽しめる素敵なレストランには、
朝食とともに楽しむのにふさわしいお酒が
必ず用意されている。
一日を楽しく、ステキに無駄に過ごすためのお酒。
こんなお酒です。

イタリア、です。
それもベネチア。
運河に面した古ぼけてはいるけれど眺望抜群で、
快適なホテルでの出来事です。
前の晩、飲んで騒いで、
何よりお腹一杯を二回繰り返したくらいの分量の
おいしいものをお腹に詰め込んで寝た翌日。
遅めに起きます。
熱いシャワーをユックリ浴びて、生き返ったような、
でも半分はまだ夢の中にいるような、
そんな気分でレストランにおりていきます。
「何にしましょうか?」
そう聞いてくるウェイターに、
ごめんね、まだしっかり目が覚めてなくて
何を食べていいのかノーアイディアなんだ、と答えます。
ついでに「どちみち今日はノースケジュールだから、
ジックリ時間をかけて食欲をとりもどすつもりなんだよね」
と付け加える。
すると彼はこう答えます。
「それなら朝から飛び切り自分を
 甘やかせる飲み物があるのですけど、いかがです?」
聞けば冷たくて喉にサラサラ優しくて、
しかも頭がボンヤリするくらい
シアワセな気持ちになれる飲み物だ、という。
そりゃいただかなくちゃ、ということに相成りました。

彼はまずシャンペングラスをボクの前に持ってきた。
そして暫くして、ピンク色の物体が底にへばりついた
大きなガラスのピッチャーと、スプマンテ、
イタリアの発泡酒ですね、のボトルを持って戻ってくる。
そしてテーブルの上にピッチャーを置き、
「中に入っているのはイチゴのジェラートです」
と言いながら、そのピッチャーの中に少しずつ
スプマンテを注ぎいれる。
ちょっと入れると、ジェラートの上に泡がふく。
スプマンテの炭酸がジュワジュワブクブク、
ピンク色の泡になる。
その泡が落ち着くのを待って、次の分をひと注ぎして、
長めのスプーンでかき混ぜる。
そして再びスプマンテ。
そして泡。
かき混ぜてはまたまたスプマンテ、を繰り返し、
気づけばトロトロのシェイク状の飲み物で
ピッチャーが満たされていた。

お待たせしました、とそれは
シャンパングラスに注がれて、飲めばシャリシャリ、
口の中で踊るように炭酸はじけ、
瞬く間にイチゴの香りのアルコールに戻って
喉を駆け抜ける。
食欲の無い胃袋をしたたか刺激し、
半分、眠っていた頭をコツコツ、
元気よくノックする魔法の飲み物。
刺激的な冷たさの後に、
徐々にポワンとした温かさがやってきて、
起きたはずの頭が再び夢の世界を浮遊する。
そんな飲み物。

スプマンテ・コン・ジェラート、と言います。
ジェラート付きの発泡酒、という意味になるんでしょう。
目の前の運河の水面が急に美しい光を放ち始めたような、
そんな気持ちで午前中をボンヤリ過ごせる、
確かにこれこそが朝に飲むのにふさわしいお酒だ、
と思ったものです。

10月3日という名前の
特別なカクテル。

他にも朝、それも自分を思わず甘やかしたくなる
特別な朝のために用意されるお酒がいくつかあります。
代表的なのは「ミモザ」でしょう。
フレッシュのオレンジジュースでシャンパンを割ったもの。
朝といえば、の定番であるオレンジジュースと、
シャンパンの細やかな泡が喉をなでるように
通り過ぎてゆく、柔らかな飲み物。
サンデーブランチの正しいお供、であったりします。
例えば、ブラックベルベット。
シャンパンに黒ビールを少々、紛れ込ませた飲み物で、
その名のとおり、まるでベルベットのような
艶っぽくトロリトロリとした滑らかな泡を楽しむ
ほろ苦い一品。
二日酔いの朝にいいんですって。
飛び切りお洒落な向かい酒。

ボクの母は、ほとんどお酒をたしなまない人なのですけど、
なぜだかハワイにゆくと、しかもなぜだか朝に限って、
お酒が飲みたくなってしまう、という不思議な人です。
理由は、「今日は何もしないでただボンヤリしよう!」
と、覚悟を決めるためにお酒を飲むんだ、というのです。
一理あります。
たいてい、こう注文します。
「今日という日のために乾杯するのに
 ピッタリのお酒を作ってください。」
おまかせです。
だから、いろんなものがでてきます。
例えばアイスティーにミントをタップリ浮かべたものに
ホワイトキュラソーとフレッシュライム。
あるいは、クランベリージュースにソーダとカンパリ、
であったりとか。
それを飲みながら母はこう言う。

「今日は10月3日だから、
 このカクテルは10月3日という名前にしましょう」
 
そういいながら、ニコニコ、
そしてユッタリそれを味わう。
目を細めながら、グラスをいとおしむように
そっと包んで楽しげに飲む。
あまりにその様がおいしそうで、シアワセそうで、
だから同じテーブルのボクらは、
なんだかその「10月3日」が飲みたくて仕方なくなる。
そして気づけばみんな「10月3日」を注文して、
みんな「10月3日」でほろ酔いになり、
とても楽しい何もしない一日が始まる、というわけです。
10月4日にはもう「10月3日」のことは
みんなすっかり忘れてしまって、
今度は「10月4日」でとても
シアワセになったりしているんですけれどもネ…。

今日一日を無駄にしても勿体無くない、と思えるほど
シアワセなとき、そう思える場所で素敵な人と、
こうしたお酒に身を任せるということは、
とてもオトナらしくて素晴らしいこと、と思うのです。
どうでしょう?

illustration = ポー・ワング

2005-04-21-THU


BACK
戻る