おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。



和食のレストランで、
例えばお椀の蓋を取るタイミングってあるんですか?

──懐石料理のお店のような場所に行ったとしましょう。
日本のおもてなしは、
とても静かでじんわり染み入るような
リズムをもっています。
少しずつ、少しずつ。
丁寧な仕事をほどこした丁寧な料理を、
丁寧な立ち居振る舞いのサービススタッフが丁寧に運ぶ。
そして丁寧に提供された料理を丁寧に食す、
の繰り返しが日本のフォーマルなおもてなし料理を頂く、
ということです。

和食というのはまるで器を食べるような料理ですネ、
と欧米のお客様はよくいいます。
それほど日本の料理は様々な形、
様々な素材の様々な器に盛り込まれてやってくる。
丁寧な料理が丁寧に作られた器に入ってやってくる、
ということになるかもしれません。
たいていは一度に一つ。
そっと置かれてまた一つ。
同じテーブルを囲むすべての人分の料理が並びきるのに、
かなりの時間がかかることがあります。
当然、人数分の料理が全部出るまでお料理に手をつける、
これはバッドマナーです。
でも例えば、お椀もの。
煮物やお汁などが入って
「蓋をして運ばれる」お椀の蓋をいつ開ければいいのか?
どうでしょう。

フレンチではウェイターが蓋を開けてくれます。

例えばフランス料理のレストランに行ったとしましょう。
天井からはシャンデリアがぶら下がり、
ウェイターが壁に張り付くように立ち並ぶ、
いわゆる高級フランス料理店と呼ばれる店です。
緊張します。
1時間から1時間半ほどの
息詰まるような濃密な時間ののち、
メインディッシュが運ばれる。
お皿の上に銀の蓋いがのっけられて運ばれてくる。
目の前に置かれると磨きこまれて、
自分の顔が写りこむほどにまぶしく輝く
帽子のような蓋いです。
これをワザワザ自分であけて
中を覗き込む人はいないですネ‥‥多分。
どんな料理が中に入ってるんだろう。
テーブルのみんなが息をのんで見つめます。
それまでの楽しげな会話はなりを潜めて、
声を潜めた内緒声のヒソヒソ話が
テーブルの上を飛び交う中、
一つ、また一つ銀色の帽子をかぶったお皿がセットされる。
そして最後のお皿がタンとテーブルの上に置かれた瞬間、
アン・ドゥ・トロアでいっせいに蓋が取られる。

壮観です。
少人数の会食であれば
お客様一人の一人のウェイターが横に立ち、
それでいちにのさんで蓋を取る。
大人数の時には二席に一人の割合で、
それでも両手をつかって同じタイミングで蓋が開く。
おおっ、って歓声が上がりますネ、その瞬間に。
晩餐会みたいな正式な会食では
さすがに声はあがりませんけど、
息を呑むというんでしょうか、
会場全体がどよめきに包まれる。
暫くするとそのどよめきは、
初めて目の前に姿を現した料理に対する
賛辞にとってかわられる。
テーブルを囲む人たちが目と目を合わせて、
楽しげな笑顔をかわし、それから思い思いに感想を語る。
そしていよいよ味わう‥‥、という手順をとるのです。

蓋をかぶって出てくる料理、というのは
「食べる人に驚きをおねだりしている」料理であるのです。
つまり蓋は、料理の温度を保つ以上の役割をもっている、
ということになるでしょう。
驚きのタイミングはみんな一緒に。
抜け駆けは失礼です。
このお椀の中にはどんな料理が、
どんな姿で私のことを待っているんだろう、
とワクワクしながら料理が揃うのを待つ。
楽しいです。

コドモは蓋がガマンできない!

ボクの妹にはとびきり腕白な息子がいます。
美味しいものを食べに行っても、
片時もじっとしていられず
さすがにレストランの中を走り回る、
というようなことをするわけではないですが、
それでも椅子をガタガタさせたり、
テーブルの上のナプキンだとか塩コショウの器だとかを
手にとっては場所を変え、というようなことを繰り返す。
彼は彼なりに一生懸命、おとなしくしよう、
と我慢しているのでしょうけど、
まあ小さな子供は仕方ないです、
せわしなく動き回ることが仕事ですから。
ただお料理がやってくると、
真っ先に手をつけて食べ始める。
お店の人もたいてい、子供の料理は気を利かせて
真っ先に運んでくれるので、
彼の食べる速度はどんどん上がる。
下手をすると、他の大人が頂きますをする頃には
もう自分の分が終わっている、
というようなことがおこってしまう。
いくら、みんなの料理が揃うまで我慢するのよ、
といっても直らない。
で、あるときです、
中国料理屋さんでスープを頼んだら
蓋付きのお椀にはいってやってきた。
いつものように彼の前に真っ先に出されて、
そして蓋を開けようとしたから
ボクは小声でこうささやいた。
「みんなより先に蓋を開けると
 中の料理が消えて無くなっちゃうぞ」
効果覿面でした。
途端に彼は顔色を変え、
蓋に伸ばした手は凍ったように止まったまんま。
それに気づいた大人たちはみんな、
生真面目な顔を作って料理をまって、
そしてみんなの分が揃ったところで
ボクの親父の咳払いを合図にいっせいに蓋を取った。
彼も必死でタイミングを合わせて蓋を取り、
恐る恐る中を覗いて
自分のスープがなくなってはいないことを確かめると、
美味しいね、美味しいねと、
僕らに同意を取りながら食べ始める。
「みんなと一緒に食べると美味しいでしょう?」
という、お母さんの声にうなずきながら。

それからしばらく彼は
「蓋を先に開けると中身が消える」
というそのときの言葉を信じてた。
それが嘘だ、ということがわかったときの
怒ったこと怒ったこと。
ボクはしたたか背中をドツカれました。

驚きはみんなと一緒に。
楽しみはみんなと分け合って‥‥というコトです。

ところで提供ごとにお店の人が蓋をとって
その蓋を持っていってしまうような場合もあります。
それは熱々をなるべく熱々の状態で召し上がれ、
というメッセージです。
他のお客様に了解をとって「頂きますっ」と元気に食べる。
それが一番の礼儀でしょう。

illustration = ポー・ワング

2005-02-10-THU


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