おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。




冷たく冷えた赤ワイン。

それは掟破りでしょうか?

常識として、白ワインは冷やして、
でも赤ワインは室温で飲むのが一番美味しい、
と言われます。
赤ワインが持つ独特の風味と香りは、
低い温度では液体の奥底に閉じこめられてしまう。
室温程度に温められることによって、
その実力が発揮されます。

赤ワインが良い状態になったことを、
よく「開いてきた」という言い方をします。
それはまさに、寒い朝にはかたいままだった花のつぼみが、
日が昇り、温度が上がるにしたがって
きれいに開くようなことからそう言うのでしょう。
だから心あるレストランでは、
適温を心がけてワインを出します。

なのに! です。
もしあなたの手元に届けられた赤ワインが、
まだ冷たい状態だったらどうしましょうか?

熱帯のリゾートでよく冷えた赤ワインが。
さああなたなら、どう対処しますか?

バリ島での出来事です。
山奥のリゾートホテルのメインダイニング。
高級で知られたホテルの、
これまた高級で知られたレストランではありますが、
壁がありません。
テラス風にしつらえたレストランで、
まさに熱帯雨林のただ中で食事するような店でした。
そもそもバリ島では、
都会にない不便を楽しむのが最高の贅沢で、
だからこのレストランは、暗闇と熱気と、
そして濃密な空気に包まれることを
最大のおもてなしと考えているのでした。

ワインを頼みました。
リストにはオーストラリアや
ニュージーランドのワインが並び、
不勉強なボクにはなかなか選べず、
どれかおすすめを一本、と頼むと、
速やかにチリ産の赤が運ばれてきました。
優雅に抜栓が行われ、
テイスティング用に注がれたグラスを持つと、
それは冷え冷えとしていました。
「冷えているんですネ?」と聞くと、
「赤道の太陽に負けぬように、冷やしてあります‥‥」と。
そういう考え方もあるのか、と口を付けると、
これが驚くほどに美味しい。
汗がすっと引くほどに心地よく、酸味も爽やかで、
こうしたワインの楽しみ方もあるのだな、と
その時、思いました。
ワインを注ぐ彼の素晴らしいところが、
決して一度にたくさんは注がずに、
三口分程度を注いではすすめることでした。
そのたびに外気の熱気と湿気で
汗をかいたボトルの水滴を丁寧にふき取り、
ワインの状態がどうなったのかを聞いてゆきます。

熱帯では花も大急ぎで咲いて、散ってゆきます。
ワインも驚くべきスピードで花開き、
メインディッシュが始まる直前に散り始めたのでした。

コノ国のコノ場所のこのレストランで
美味しくワインを飲む、と言うことを熟知した人。
‥‥素晴らしいと感じました。

私達から遅れること10分ほどで
やってきたお客様がいました。
同じようにワインをとり、
それが予想以上に冷えていることに激怒して、
テイスティングを勧められても
口に付けることがありませんでした。
ボトルは寂しくテーブルの片隅に置かれたまま。
「赤ワインは常温で」の鉄則を守ろうとしたのでしょう。
熱帯のしめった空気の中で瓶はどんどん汗をかき、
テーブルクロスは水滴だらけで
びしょびしょになってしまっても、そのまんま。
30分ほどその場にあったでしょうか?
おそらく瓶の中の温度が、熱帯の気温と大差なくなったころ、
満を持してその人はグラスを手に取り、
テイスティングを試みました。
‥‥美味しかったのでしょうか?
一生懸命飲むのを我慢して、
ボトルがかいた以上の汗をかき、
口にした生ぬるい物体が、
果たして本当に美味しかったのでしょうか?

何より、本来、受けることが出来たはずの
30分間分のサービスを受けることが叶わなかった、
ということは、劣化したワインを飲むことよりも
哀しいことじゃなかったのでしょうか。

冷えた赤ワインが出てきたら
「なぜ?」と訊いてみてください。

コミュニケーションです。

だからまず冷たい赤ワインに遭遇したら、
「これには何か意味があるんですか?」
と聞いてみること。
頑なな常識にこだわると、
本当の楽しさに出会うことが出来ません。
レストランには素朴な疑問が満ちあふれているものです。
その疑問を素直にプロフェッショナルにぶつけてみると、
驚きの解答を得ることが出来るものです。
なのだから、そうした権利を行使しないのは勿体ないです。

そして、好奇心です。

ワインに氷を入れて飲んだことがありますか?
お行儀が悪い行為なので、
レストランではしないようにしていますが、
お酒を飲み過ぎてちょっと喉がいがらっぽく感じるぞ、
というような時に、ボクは、
ワインをオンザロック状態にして飲みます。
さっぱりします。

ワインを水割りにして飲んだことがありますか?
前の晩、お酒を飲み過ぎて、
特に赤いワインをたっぷり飲んで、
胃袋の中に石粒がたくさん入ったように
重く感じるときなんかに、
水で割った薄目のワインをクイっとやる。
最高の迎え酒です。
あまりに美味しいので飲み過ぎてしまうと、
二日酔いが三日酔いになってしまうので、要注意。
でもそんな注意をしないといけないほど、
美味しいものなんです。

これらのワインの飲み方をボクは誰に教えて貰ったか?
というと、イタリアのレストランで
陽気に働いていたウェイター達。
彼らは安いワインで楽しく食事をし、
その後、すぐに接客をするために、
こうした飲み方を発明したんだ、と言っていました。

私達は評論家じゃないですから、
どんどん新しくて面白い飲み方を考えて、いいんです。
‥‥じゃないと勿体ないです。

バラの花は美しい。
それはつぼみの時も美しく、散る直前まで美しい。
場合によっては地面に落ちた花びらまでも美しく、
ドライフラワーになってなお、
美しくあることをやめるワケではない。
バラの花にのみ言えることではないでしょう。
ワインも、そして私達の人生も‥‥。


次回は「ごはんを先にもらうのは無粋?」というお話です。


illustration = ポー・ワング

2004-07-29-THU

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