おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。




さて、こうやってあなたのお気に入りの店が
次々、増えていきます。
あなたはそれをアドレスブックに書き留める。
今様に言えば、携帯電話の電話帳でも構わないでしょうが、
着実にあなたの美味しい経験の履歴が残っていく
そのレストランの住所がつづられたアドレスブックは、
あなたの生活や人格を雄弁に語るものである、と思います。
実際、ボクのアドレスブックがそうでしたから。

ためしに今から20年も前に
僕が使っていた手帳を開いてみましょう。

失敗だった、最初のアドレスブック。

当時、ボクはまだ学生気分が抜けないながらに、
しかしながらレストランビジネスの端っこを
そろそろと歩き出した頃であり、
同時に日本はと言うと、バブルに向けて驀進していました。
そんな夢見がちな東京を夢見がちに生きていたボク。
そんな人間のアドレス帳は、といえば
もう「生意気で刹那的」なレストランで一杯です。

レストランだけで200軒ほどがリストアップされています。
有名なプロデューサーが開業を取り仕切った店。
海外のデザイナーが日本でわざわざデザインした店。
アメリカの有名レストランの支店。
日本で初めて紹介される料理をメインにしている店。

つまりボクのその時代の手帳には情報が溢れている。
ニュースなレストランが一杯書きとめられてあって、
それじゃあそのとき、ボクがどんな料理が好きで、
そんな人と外食するのが好きだったのか、
というコトを探り出そうとしても、
それが出来ないのです。
なんだかトレンドに踊らされている人の代表、
のような感じがしてしまうのでした。

そもそもその手帳には
店名の上に線が引いてあったり、
修正液で消された電話番号があったりします。
つまり「長続きしない店」のリストのようにも見える。
今、それらの店があるか? と見直すと、
半分以上がなくなっていたりする。
なかには後継者がなかったり、
バブルの頃に地上げにあって、という
避け難い理由でなくなってる店もあるのだけれど、
大抵の店は、流行が終わってなくなっちゃったのでした。

若気の至りとはいえ、恥じ入るばかりの話です。

あ、そうだ、アドレスブックがあったんだ。

それから暫くしてニューヨークにいた時のことです。
いつまで腰を落ち着けるか分からぬ遠い街で、
ボクは丁寧にレストランを選んで、
手帳につける生活をしていました。
日本のように情報誌が氾濫しているわけでない、
という事情も手伝って、
自分の足と、友人の情報を頼りに、
チョッとずつチョッとずつ、
ボクの手帳はレストランの住所と電話番号で
埋まっていきました。
半年間で80軒ほど。
まあまあなペースでボクはボクなりの
レストランリストを手に、
日本に戻ることとなりました。

それから5年ほど後のこととなります。
ボクは再びニューヨークを訪れる幸運に恵まれました。
前回はひとり旅でしたが、
今回はある程度、仕事にも成功して、
ビジネスの仲間たちと一緒にです。
日本からレストランの予約を入れていこうか、
とも思ったものの、
でもニューヨークのことはニューヨークで決めよう、
と、敢えて準備らしい準備はせず、
ホテルに入ってコンシエルジュに
相談することとなったのです。

‥‥困りました。
どのようなレストランを手配してもらうか、
それを伝えたいのだけれど、
あんな店にも行きたい、こんな店にも行きたい、
希望は山ほど出てきます。
数年前には短いながら住んでいたわけでもあって、
自分なりに行ってみたい店のアイディアが
ないわけでもないのですが、
滞在日数はたったの3日。
困りました。

「ニューヨークではどんなレストランが
 お好きでらっしゃいますか?」
そうコンシエルジュに言われて、ボクは、
かつてニューヨークで使っていたアドレス帳を取り出して、
そっくりそのまま彼に渡して、
見てください、と言いました。
ボクが5年前、コノ街に住んでいたときに
使っていたものです、と言いながら。

大成功だった、NYのアドレスブック。

レストラン以外のプライベートな電話番号も
当然、入った手帳ではあったけれど、
でもボクという人間を知ってもらうには
アドレス帳をそっくりみてもらうのがいいだろう、
と、見てもらうことにしたのです。
恐縮しながらも頁をめくり、
暫くして彼はこんなことを言いながら、
アドレス帳を返してくれました。

──ミスターサカキは、
  堅苦しい店よりもフレンドリーなサービスの店が
  お好きなのですね。
  古典的な料理よりも、
  新しいアクセントのついた料理を好み、
  でも創作料理のようなものはあまり好まない。
  大型の店よりもある程度、
  親密な雰囲気の店が好きであり、
  なによりも若々しくて
  勢いのあるお店が好きでらっしゃる。
  ところでこの中で、
  一番、お好きなお店はどちらですか?

そういわれてボクは
友人と一緒によく行った中国料理屋の名前を挙げました。
それから5分ほど、
彼は驚くほどの手際の良さで自分の手帳をめくり
幾つかのレストランの名前をあげ、
それぞれの特徴を述べながらボクの了解を取り、
電話をかけ予約を入れてくれました。
3年前にオープンしたばかりだけれど、
もう名声を集め始めているステーキレストラン。
去年、開業したばかりで
いまだに予約がとりづらいので有名なビストロのランチ。
フランス料理の有名シェフが開業した
アジア料理の特別のテーブル。
などなど、ボク達の3日間のステイは
どんどんその輪郭を明確にし始め、
口の中はヨダレで一杯になるような気がしました。
そして最後に、ボクが告げた中国料理店に電話をかけて、

「そちらの常連のお客様が
 5年ぶりにご利用されたい、
 とおっしゃるのだけれど、
 是非、特別のお料理と
 昔ながらの親密なサービスで
 お迎えいただきたい」
 
というようなことを言ってくれました。

果たして5年ぶりのその店は、昔以上に素晴らしく、
それ以外のそれぞれの店は、
ボクを待ってくれていたかのように素敵でした。

ホテルを出発する時に、
ボクはそのコンシエルジュにお礼を言いました。
「ありがとう。本当に楽しいニューヨークでした」
彼はこう言いました。

「あなたの手帳のレストランの
 ラインアップの適切さに、
 私は実力以上の仕事を
 させていただくことが出来ました。
 今回のレストランはあなたの手帳の1ページに
 ふさわしい店でありましたか?」

「ええ」と答えると、「それは良かった‥‥」と。
そして彼は、自分の携帯電話の電話番号の入った名刺を
ボクに渡してくれました。

素晴らしいアドレスブックを持つ。
なによりも自分らしいアドレスブックを持つ。
それは素晴らしい人生を送ることに等しいことである、
というコトです。

次回から3回にわけて、
じゃあ、どんなレストランを
アドレスブックに書いていけばいいのかな、

ということについて、お話しします。
それでこの連載の第一期を終了したいと思います。

illustration = ポー・ワング

2004-06-24HU

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