おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。


ところでお客様であるボク達は一体、
どんな失敗を犯しがちなんでしょう?

失敗しやしないかしら‥‥、とか、
今の何気ない行動は本当は失敗なんじゃないかしら、
とビクビクしながら食事すること。
実は、コレがお客様にとっての最大の失敗だ、と思います。
今日の食事を楽しむことが出来なかった、
というコトが失敗なんですネ。

スプーンやフォークを落としても、
あわてずさわがず!

実際に食事をしているといろんなことが起きます。
例えば、フォークを落としてしまった。
しかもフローリングの床に転がって、
カランカラン音まで立てて
どこに行ったかわかんなくなっちゃった。
‥‥どうしますか?
まず絶対に慌てふためかないことですね。
テーブルの下を覗き込んだり、
立ち上がって周りを見回したりしないこと。
そうした行動は、
自分は今、失敗をしてしまいましたと
レストラン中に言いふらすような行為だし、
最悪、そのあたふたが原因で
新たなる悲劇を生むことになるかもしれません。

落としたはずのスプーンが見つからなくて
テーブルの下を覗き込む。
ちょっとした拍子に体のバランスを崩してしまって、
あっ、いけないと思わず掴んだのがテーブルクロスで、
気が付けばかくし芸大会定番の
テーブルクロス引き抜き芸‥‥、でも大失敗、
ってコトが起こらないとも限らない。

お客様のほんの小さな失敗を大きな失敗にしないために、
レストランではお店の人が
あれこれ世話を焼いてくれるのです。
だから、何かしちゃったなぁ、と思ったら
そっと手を上げるか目配せをして、
お店の人に来てもらいましょう。

「すいません、ナイフを落として
 どっかいっちゃったんですけど‥‥」

悲しげな表情でそういえば、
瞬く間にあなたの手もとには
ピカピカでツヤツヤのナイフがやってきます。
心配要りませんヨ、探しておきますから、
と声をかけてくれながら。

もっと素敵な店だったら、あなたが手を上げる前に
お店の人が飛んできます。
とてつもなく素晴らしい店ならば、
飛んでくるその人の手の中には
ナイフがしっかり用意されている、
という具合にあいなるのです。
これがレストランという場所のミラクルな部分です。

「あなたがスープを食べているところを見ると、
 情けない感じがするわ」って??

ちょっと贅沢な店では、テーブルの上に、
ナイフやフォークがズラッと並んでいたりします。
外側から使っていけばいいのは分かっていますネ。
でも、何故だか自分だけ
ナイフの本数が少ないような気がします。
どうしたんだろう?
ああっ、最初の前菜は
フォークだけで食べれば良かったんだ!
どうしよう。
‥‥というような状況でも、全然、大丈夫。
お客様であるあなたは、
あなたが便利で快適なように料理を食べればいいんです。
その食べ方が他のお客様にとって不快なものでない限り。

スープを食べる時、量が少なくなったら
お皿の手前をちょっと持ち上げて、
スプーンを手前から向こうに
滑らせるようにすると良い、と言われます。
テーブルマナーの基本中の基本です。
ただ、この方法だとスプーンの移動距離が長くなって、
途中でスープをポタポタ滴らせたり、
あるいは温度が下がったりするのが嫌だな、
とボクは長らくスープボールの向こう側を持ち上げ、
逆方向にスプーンを滑らせ食べるのを
習慣としていました。
まあ、少々、マナー違反かもしれないけれど、
でもそれほどのバッドマナーじゃないだろうな、
と思ってそうしていたわけです。
ところがある時、同席の女性からこういわれました。

「あなたがスープを食べているところを見ると、
 情けない感じがするわ」

えっ、と思って横の窓に映る自分の姿を見てみると、
確かに背中を丸めてスープボールを抱え込むように
スープを啜るボクは、必要以上に小さく見えて、
驚くほどにみすぼらしかったのです。
いわゆるマナー通りにしてみると、
背筋から首筋がしゃんと一直線に伸び上がり、
なるほどマナーとはそういうことなんだ、
と思ったりしました。

自分が食べている姿を含めて、
レストランという空間の景色になるんだ。
気をつけなくちゃ、と。
小さな失敗、大きな教訓。

ナイフとフォークの内側が
あなたのテリトリーです。

そうそう、ところでレストランにおける
ナイフとフォークの置き場所、
あれってどういう意味か考えたことがありますか?
ナイフやフォークは
「私が楽しんで良いテリトリーの境界線」
である、とボクは考えます。
食事が始まったその瞬間、
あなたはナイフで右側を塞がれ、
フォークは左側に要塞を作り、
正面奥にはデザートスプーンが
ガッチリ、ブロックしています。
あなたが自由に使っていいのはこのテーブルの中で、
これだけの部分しかないんですヨ、ということです。
食事が始まったばかりの状態では
テーブルの上はそれほど親密ではありません。
だからマナーとエリアを守ってネ、と言うコト。

そこで美しく、しかも失敗少なく
食事を始めるためのヒントです。
自分の両側のナイフやフォークを
超えないように振舞いましょう。
まず、両脇をしっかりとじた姿勢をキープします。
当然、背筋はその時、しゃんと伸びているはずです。
肘は張らない。
大きく張った肘はレストランのテーブルでは凶器です。
ちょっとした拍子で何かを引っ掛け、
レストランをてんやわんやの
大騒ぎにさせてしまう凶器です。
だから、脇をとじ、
肘も脇腹にシッカリ付けてスタンバイしてから
ナイフ&フォークを操りましょう。
手を伸ばして、ナイフやフォークをまたがないように。
例えば塩コショウの瓶や、
あるいはパンにつけるバターの容器。
思わず手を伸ばして取りたくなりますが、
絶対に手を大きくは伸ばさない。
長く伸ばした腕は、張った肘以上に凶器です。
ワイングラスを引っ掛ける。倒す。
せっかくの花瓶を倒して
テーブル中を水浸しにしてしまう。
だから、あの人の目の前にある胡椒が欲しいなぁ、
と思ったらその人に小さく声をかけましょう。
「すいません、胡椒をとっていただけますか?」

これがテーブルの上で繰り広げられる社交です。
昔、男性と女性が直接声を掛け合うという習慣が
まだまだ一般的ではなかった時代、
会食のテーブルで好きな人の前にある胡椒や塩を、
必要でもないのにとってとせがみ、
渡してもらうその瞬間に、
指と指が触れ合うその瞬間を楽しんだそうです。
ああ、なんと奥ゆかしく素晴らしいレストランの楽しみ。

そうして美味しい食事が始まります。
ワインが進み、会話も進み、
テーブルを囲む人たちがどんどん親密になるに従って、
私達の両側を塞いでいたナイフやフォークが
次々となくなります。
隣の人や向かい側の人との垣根が
チョッとずつなくなっていく‥‥、という感じ。
最初の、美しく見えるかもしれないけれど、
いささか緊張を強いられる
「脇をしめて肘をとじる」姿勢も
自然と、徐々に寛いだものに変わってゆきます。
おしゃべりをする声も幾分、大きくなり
笑い声も華やいできているでしょう。
デザートがやってくる頃には
ワタシ達を隔てるものが何もない、
ただ一つのテーブルが残されます。
さあ、ここから先は手をつなぐも腕を組むも、
どうぞ自由になさい。
あなた達はもう立派な仲間同士になれたのですから、
という合図です。

お箸一膳を手前において食事を始める日本人は、
こう考えると極めて博愛主義に富んだ
人々なんじゃないでしょうか?
だって、同じアジアでも
中国のお箸とレンゲの定位置は右側の脇だし、
韓国でもお箸、スプーンは横じゃなく縦に並べます。
農耕民族と騎馬民族の
テリトリー意識の違いでしょうか?

さあそろそろ、
素晴らしく楽しかったレストランでの食事も
大団円を迎える寸前までやってきました。
次回は「常連と呼ばれるまでになるには」のお話です。


illustration = ポー・ワング

2004-04-29-THU

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