おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。



おいしい料理がおいしくあるために
備えていなくてはいけない要素の4つめは
「記憶に残る料理であること」です。

優れた料理は芸術だと思います。
当然、その料理を作り出す料理人は芸術家です。
だけど非常に特殊な芸術家であって、
なぜなら彼らの芸術は形あるものとして
残る類いのものではないからです。

彼らは料理を作る。
僕たちが食べる。
彼らの芸術を鑑賞するということは、
食べてしまってそれをこの世の中から
消え去らせてしまう、という行為なんですね。
可哀相だとは思いませんか?
消え行く運命の作品を次々、
作り続ける芸術家という存在。

確かにレシピは残ります。
芸術を再現するための設計図、レシピ。
でもそんなものを何百回読んでみたところで、
美味しさを体感出来るか、というと、
そんなこと不可能に近いんです。
写真が残ったりもします。
作品が素晴らしかったその瞬間の名残としての写真。
でもその写真がどんなに素晴らしく撮れていても、
それを見るだけでおなか一杯になるか、というと
そんなことも不可能でしょう。
だから料理は食べられなくてはならない。
そして消えて逝かなくてはならないんです。

そんな料理は僕たちに何を残してくれるのでしょう?
満腹、じゃありません。
それは「記憶」です。
思い出、と言ってもいいかもしれません。
美味しかったという記憶や、楽しかったという思い出。
その中に当然、満腹という情報も含まれるだろうけれど、
でも人それぞれがその日の料理に抱いたいろんな感動。
それが料理の本質なんだ、と僕は思うのです。
だから料理人はお客様にとって
記憶に残る料理を作ろう、
そう思う一心でさまざまな努力をしています。
そうした料理人の気持ちに応えよう、と思ったら
ひたすら、今日の料理を自分の記憶に
刷り込む努力をすべきだと思います。


0.1トンだったボクが考えていたこと。



これを書いている西暦2004年現在のボクは、
身長が168センチに対して体重が72キロほどです。
スリムとも言えず、医者の言う理想体重に比べると
7キロ程の肥満、ということであるけれど、
まあ43歳という年齢を考えれば
目くじらを立てるほどのことじゃあるまい、
という程度でしょう。
でも10年ほど前のボクは、
体重計が怖くなるくらいの体重がありました。
たぶん煩悩の数を超えるくらいの
キログラムがあったんじゃないかと思います。
0.1トン、としておきましょう。
正確なところは分かりません。闇の中に葬ったから。

太り過ぎですよ、と言う部下や友人たちの助言に、
「食べるのが仕事だから仕方ないだろう?」
これが当時のボクの口癖でした。
ボクのこの体はシェフの作った芸術品だ、と、
最初はうそぶく余裕もありました。
後頭部にできる瘤のような脂肪の塊を
「天使の枕」と命名したり、下腹部の脂肪のたるみを
「大食漢のエプロン」とか呼んで、
まわりを楽しませることに楽しみさえ見いだしていました。
でも生命の危険がやってくるんだネ。
速やかに、しかも確実に。
いろんな場所に体をぶつけるようになる。
自分はもうトラックになっちゃったのに、
いまだに中型セダンを運転してるぐらいの
自覚しかなかった結果です。
そして、体は内側からも蝕まれてきます。
日常的な発熱に悩まされる。
揚げ句に足の先が涼しくなる。痛風です。
そして医者から「痩せないと死にますよ」と
言われるに至りました。
最低でも20キロは痩せなさい。
しかも速やかに確実に。
医者は、こうも言いました。
「痩せるのなんて簡単ですよ。
 食べ物を一口、口に運ぶでしょう?
 そしたらお箸をテーブルに置いて
 両手をひざの上で軽く組み、目を閉じてください。
 今、自分は何を食べているんだろう、
 ということを考えながら
 モグモグ口を動かしなさい。
 それが味わう、ということなんですヨ。
 分かりますか? サカキさん。
 今までのサカキさんは
 料理を味わっていたんじゃないんです。
 飲み込んでたの。
 だから味わうようにしなさいね。
 口の中の物が無くなってしまうまで、
 絶対両手は動かさない。
 口の中のものが完全に無くなったら目を開けて、
 今食べたものがどんなに美味しかったか
 心の中で整理する。
 感謝と共に整理する。
 その整理が終わったら次の料理に箸をつける。
 口に運ぶ。
 目を閉じる。
 その繰り返し…。
 できますか? サカキさん。」


食べて幸せだった記憶を残すために。



ボクの担当女医さんのこのアドバイスを聞きながら、
大変なことになったぞ‥‥思いました。
だってボクはそれまで驚くばかりの
早食い自慢だったから。
でもボクの体の状態は既に
no excuse 状態であったから、
やりましたね。その通りに4カ月やりました。
なにより
「のみこむ食習慣から、味わう食習慣に変えよ」
という彼女の主張は、
見事にボクのプロ意識の琴線を刺激して、
やってやろうじゃないか、の
エネルギーになってくれました。
そして4カ月後。
ボクの体重は、見事マイナス20キロとなっていました。
ダイエット本、書こうかな?

でもボクはその4カ月間で、
実は体重を減らせたことよりも大切な経験をしました。
当然、体重を減らすに当たって食べ方も変えましたが、
食べる物の内容も変えたことです。
揚げ物や脂肪の多い食べものは姿を消し、
野菜が食卓の主役となりました。
ああ、昔食べていたいろんなものを
もう一度食べたいなぁ、と思いながら
味気無い食卓に立ち向かっていました。
しかし実はそのさまざまな
味気無いはずの料理が
どれほど深く力強い美味しさの記憶となって
ボクの脳みその中にたたき込まれ続けたか。
それに比べて、その時までボクの胃袋に入り続けていた
さまざまな美味であったはずの食べ物に関する記憶が
希薄であったか。
その事実に直面して愕然とさせられました。
思い出せないんです、
それまでどんなものを食べていたか。
それに食べてきたはずのいろんなものが
どんな状態だったかも思い出せないんです。
シェフが作り上げた芸術品だったはずのボクの体は、
ただの脂肪の塊だったんです。
あれほど狂奔して食べ漁った美味の思い出は、
ボクの頭脳まで届かず、
みんな脂肪に吸い取られてしまっていたんです。
そう気づくと心が冷えました。
シェフに対して申し訳ない気持ちで一杯になりました。

食べることが大切なんじゃありません。
何を食べたかが問題なわけでもありません。
それを食べてどう感じたか? が大切であり、
何より食べて幸せだった記憶を残すことが大切なんだ、
という教訓に至りました。
そう分かってからボクは一生懸命、
その料理が何を伝えたいのか、
考えながら食べるようにしています。
それを作った人の気持ちを感じながら
食べる努力をしています。

目を閉じて味わう。
手を止めて味わう。

簡単なことです。
おかげで一度たりとものリバウンドも無く、
ボクは健康になると同時に
料理と会話できるすてきな能力まで身につけました。
気づけばボクの頭の中には
「記憶に残る料理に彩られた記憶に残したい食事」
の膨大なデータベースができあがった、
ということです。
だからみなさんもやってみましょう。


「おいしい」という言葉以外の言葉で
おいしさを表現しましょう。



料理を見つめる。
料理を操る。
そして口に運んで、手を止め、
全神経をただ一カ所、
あなたの口とその周辺に集中させて、
この料理をどう表現すれば
一緒にテーブルを囲んでいる人達に
正しく伝わるだろうか?
って思いながら味わってみる。
できればこの場にいない人達に、
今この瞬間の幸せを伝えとしたら
どう表現すればいいか、考える。
感じる、考える、感じる、考える。
この繰り返しです。
驚きを発見する努力です。
そして一言、発してみましょう。
たとえば、

「軽やかですがすがしい!」

決して「おいしい」という言葉に
頼っちゃいけません。
料理の美味しさを表現するのに
「おいしい」という言葉を使っていいのは
こんな人達だけですから。

1)テレビに出てくる不誠実な人達
2)「おいしい」以外に能のない料理に遭遇して
  うろたえた人達
  
この2種類。
レストランの料理は
美味しくあるのが当たり前なのだから、
「おいしい!」って言ってもそれは
褒め言葉にはなりませんヨ。
大声で言おうが、感嘆符を20個付けようが、
お店の人の心を揺り動かすことはできないし、
何より食べている私達の記憶に
深く刻まれることだってないでしょう。
そうでしょ?

形容詞をフル動員する。
ありとあらゆる比喩的表現を駆使する。
ボクは精神的な豊かさは
「形容詞の豊かさ」と比例する、と思うんです。
ウィットに富んだ聡明さは
「比喩能力の高さ」に比例する、と思うんです。
料理を食べて感じたことを表現し合う、
ということは自分の人生を楽しいものにする訓練だ、
と思えば楽しいですヨ。
一生懸命になってやろう、とも思うでしょう?

気の利いたコメント、
お洒落な表現は記憶に残り易いものです。
ヒントです。
今、口の中に入っているものが
食べ物じゃ無かったらなんだろう?
と思いながらモグモグしてみてください。
食べ物だと思うから「おいしい」という言葉を
不用意に使っちゃうんだね。
だから食べ物じゃない何かを思い浮かべて、
モグモグモグモグ。
ボクは音楽を思い浮かべながら
口を動かすことが多いかな?

例えばトンカツなんて料理があります。
あれは「行進曲みたいな料理」ですね。
口の中で威勢の良い足踏みが聞こえる。
ざっざっざっざっ、って具合に
一定のスピードで美味しさがやってきてはいなくなる。
いなくなったと思ったら
キャベツのシャクシャクっていう
副旋律が聞こえてくるんだけど、
でも噛み締めるリズムは同じ。
そして再びトンカツの主旋律が戻ってきて‥‥
って具合に、食べるという行為が
滞りなく進んで行きます。
元気の出る一品ですネ。
こんな感じ。

そういうことを同じテーブルを囲んだ人同士が語り合い、
お互いの記憶のページに書き込む。
正しい食事の醍醐味だと思います。

料理を食べる。そしてその記憶を残す。
そんな真剣さをもったお客様は、
シェフの、そしてお店の人の
記憶に残るお客様でもあるんだよ。
これがこのパラグラフの結論です。

次回は「おいしい料理がおいしくあるために
備えていなくてはいけない要素」その5、
「最後まで美味しい料理」についてです。


illustration = ポー・ワング

2004-02-12-THU

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